いつものように、ダイビングの後片付けを済ませていると、おやじさんの近づいてくる足音に顔を上げた。


「海里、たまには一杯やらんか?」

 おやじさんが、俺を酒に誘うのはこの時が初めてだった。

「ええ」

「適当に終わらせて、店に来いよ」

 そう言うと、整備の済んだダイビング用具を抱えて店へと入って行った。


 片付けを済ませ店へと入ると、すでにおやじさんはカウンターに座り缶ビル―を口にしていた。

「お前も持って来い」
 
 と、冷蔵庫を指した。俺は、言われた通り冷蔵庫を開けビールの缶を取り出すと、カウンターに腰かけた。

 カウンターには、出来上がったばかりに湯気をあげた、揚げ物など数品のつまみが並んでいた。見ただけで、奏海が作った物だと分かる。大きなウインナーが主人公のように皿の真ん中に並んでいる。

 俺の顔は、自然とにやけた。

「メシまですみません」

 俺が頭をさげると、

「どうせ奏海が作ったんだ、味の保障はないぞ」

「そうですか……」

 俺も、しらばっくれて答えた。


 軽く缶を交わし、ビールを口にする。


「はあ―っ」

 と、旨さのあまり息が漏れる。
 箸を手にし、さっそくウインナーにかぶりついた。旨い。奏海の味だ。それが、俺にはほっと出来て嬉しい。

 だが、ほっとしたのもつかの間で、おやじさんの低い声が頭に響いた。

「なぁ、海里。大学卒業したらどうするつもりだ?」

 おやじさんの言葉に、俺が今まで曖昧にしてきた現実に向う時が来たのだと思った。俺は、答えにつまりしばらく黙りこんでしまった。正直に親の会社を継ぐとでも言えばいい事なのに、何故かすぐに言い出せなかった。


「実は、勇太がお前の事を心配しているんだ…… そろそろ、仕事の準備にかからなきゃなんじゃないのかってな……」


「勇太が?」

 俺は驚いて顔を上げた。確かに、父親から仕事の事で呼び出されていた。多分、勇太は俺が志賀グループの人間である事は知っている。今までよく黙っていてくれたとは思うが、出来る事ならこの家族には知られたくなかった。


「そんな顔するな。勇太もお前の事情を分かっているから心配しているんだ」


「ええ、父親の会社に内定は決まっています」


「そうか…… それなら、そろそろ、うちのバイトも終わりにしないとだなぁ……」

 この時、俺は、この店から離れるという事に始めて気付いたのだ。


 おやじさんば、俺の仕事に支障が出ると思って、あえて自分から言ってくれたのだと思う。

 でも、その言葉が俺の中で、何かを動かせてしまった。