夏も本格的になると、喫茶店もダイブショップも慌ただしくなった。

 俺は、当たり前のように店の手伝いをするようになっていた。始めて、この店に入ってから二か月が経とうとしていた。

「おい、海里ちょと来い」

 おやじさんの声に、俺は確認してい今日の客のリストの手を止めた。


「はい」

 俺は、ショップの机に座るおやじさんの前に立った。


「これ。少なくて悪いな。まだ、この店も始めたばかりでな……」

 おやじさんの手には志賀海里殿と書かれた茶色い封筒があった。


俺は、茶色い封筒手に取り封を開けた。


「えっ。おやじさんこれ……」

「まあ、何かの足しにしてくれ」

「俺、こんな貰うわけには……」

 俺は慌てて、封筒を返そうとおやじさんの前に出した。


「結構助かっているんだ」


「そんな……」

 俺は、封筒を手にしたまま目頭が熱くなってきた。

 始めてだった。働いて金を貰うなんて…… 
 別に金に困ってるわけでもないのに、嬉しくてたまらなかった。この金は、絶対無駄に使いたくなかった。


「おやじさん!」

「なんだ」

「この金で、ダイビングのインストラクターのライセンス取らせて下さい」

「ああ別にかまわん。うちも助かるし。だが、講習料はいらないぞ」

「いえ、この金でと取りたいんです」

 俺は、生まれて初めてと言っていいほど、真剣に人に何かを頼んだのでは無いだろうか?


 おやじさんも、少し考えたようだが俺の目を見ると、


「ああ、分かった」

 と、意外にすぐに納得してくれた。


 それをきっかけに、俺はあらゆるマリンスポーツのインストラクターの資格を取った。一年経つ頃には、船舶の免許まで取得して、勇太に漁師にでもなるのかと笑われた。

 大学も四年になれば抗議も殆どなく、俺は店に入り浸っていた。前に遊んでいた奴らも就職活動に追われ、俺の事など気にもしなくなった。

 俺は、すでに父親の会社への内定が決まっている。就職活動もしなくていい。志賀グループに就職するのは、生まれた時から決まっていたからだ。兄もすでに役員として会社を動かしている。

 俺も、就職と同時に与えられた役職があり、特に困る事も無いだろう…… 
 会社の経営は、父と兄が指揮っているのだから、俺は与えられた事をやるだけだ…… 


 でも、本当にそれでいいんだろうか? そんな、今まで当たり前だった事への不信感が、少しづ俺の中で大きくなっていた。


 できる事なら就職せずに、このままこの店で働けないだろうか? 
 そんな事がふと頭を過る事があった。