夏が残したテラス……

あまりに近い距離で視線をぶつけられ、離れようとしたのに両手で頬を押さえられた。

「な、何? 私は何もしていないわよ」


「高橋に迫られただろ? 俺が知らないと思ったか?」


「げっ…… 迫られたって訳じゃ……」

 何で私が、こんなにおどおどしなきゃならないんだ。


 だけど、海里さんは私を脅すように睨みつけるとフっと鼻で笑った。


「俺が、きちんとケリつけておいたから」

「はっ? どういう意味よ?」


「高橋の奴が、奏海の事を守るような事言って喧嘩売ってきやがるから、買ってやっただけだ。俺の物に、気安く近づくなって言っただけだけどな……」

 海里さんば、口を横にして嫌らしくニヤリとした。いやらしいのにカッコいいと思う私の頭は、おかしくなってしまったのだろうか?


「いつのまに……」


「手遅れになる前に、先手を打つ。それが俺のやり方だ」


「意味がよく分からない」


「いいよ、分からなくて……」



 海里さんは、軽く唇を重ねると私を優しく抱き寄せた。


 その暖かさと安心感に、私はいつの間にか眠ってしまっていた。


 嵐の風と雨が、静かに去って行った事にも気付かないまま……
朝目が覚めると、ソファーには海里さんの姿が無かった。
 夢でも見ていたのではないかと不安になり辺りを見回した。目に入ったテーブルの上に並ぶマグカップに、ほっと嬉しいため息がもれた。

 階段を降りると、テラスからガタガタと音がしている。
 テラスへでると、手すりを直している海里さんの姿があった。

「おはよう……」


「おお、おはよう…… ほらこれ」

 海里さんは、立ち上がるとポケットに手を入れ何かを取り出した。

「あっ」


「嵐が治まれば、簡単に取れるのに……」

 海里さんは少し怒ったように、白い石のブレスレットを差し出した。


「ありがとう……」

 外れたチェーンも綺麗に直されていた。
 私はブレスレットを腕にはめると、嵐の後の、まだ雨の雫が残るテラスの上から、海に向かって手を伸ばした。ブレスレットの白い石が、海の光りに混ざりキラキラと光る。

「綺麗……」

 海里さんは、修理が終わったらしく、手すりを揺らし確認している。


「なあ、奏海。波に乗らねえ?」


「えっ? うん!」

 少し驚いたけど、海里さんと波に乗れるのは、特別の時間を共有できるみたいで嬉しかった。

 私は、海里さんに向かって笑顔を向けた。
私達はボードを抱え海岸へと降りた。
 雨も上がり、砂浜にはちらほらと人影が見える。

 私達は、並んでボードを漕ぎ沖へと向った。

 波を待ち、同時に立ち上がった。


 気持いい……


 きっと海里さんも同じ事を思っているだろう……


 チラチラと視界に入る、海里さんの姿は凛々しく綺麗だ……

 このまま、海の上をどこまでも自由に進んでいけるのではないかと思ってしまう

 スピード―も風も、全ての感覚を海里さんと感じている。


 そして、堂々としたこの背中にずっとついて行きたい。


 きっと、初めて、この海岸でこの姿を見た時から……

タオルで髪を拭きながら店へと戻った。

 テラスには、パパが手すりに寄りかかり海を見ていた。


 私達を見るなり、パパは言った。


「アホが……」

 パパは心配して急いで帰ってきたのだろう……


 私は思わず笑い出してしまった。


「アホって、言われてるよ。あははっ」


「俺だけじゃねえよ。奏海の事もだ」


「ええ―っ ウソっ― 私も? あははっ」


 パパが、手すりを確認しながら、嬉しそうにふっと笑った。


 こんな風に笑ったのは久しぶりだ。

 こんなに、心から楽しいと感じたのはいつぶりだろうか?


『ママ、私は、今すごく楽しいよ』
今年の夏も終わり、海岸に人姿も少なくなった。

 海里さんとの関係が特に変わったわけではなく、一緒にどこかに行ったり、二人でまったりする事もない。いったい、あれはなんだったのかと思うくらいだ。

 しいて変わったというなら、海里さんは、忙しいようで、海外出張でしばらく来ない日もあれば、何故か平日の夜にふらっと来る事がある……


 美夜さんは、安心したと言って、ほっとしたように北海道に戻って行った。私はよほど皆に心配をかけていたようだ。
夏が終われば、夏限定の高橋くんのバイトも終わる。


 高橋くんのバイトの最後の日。
海里さんはケリを付けたとい言うが、私は高橋君に何も言っていない。恋愛経験の乏しい私には、何か正しいのかは分からないけど、高橋くんには自分の口から気持ちを伝えなければいけない気がした。


「奏海さん……」

高橋くんが、少し迷ったように声をかけてきた。
 私は、キッチンで片付けをする手を止め、高橋くんの方へ顏を上げた。


「高橋くん、ご苦労様。色々お世話になりました」

 私は、深々と頭を下げた。


 高橋くんは、困ったような目で私を見た。


「奏海さん…… 俺、約束したのに、プレゼント見つけられませんでした……」


「そんな事……」

 正直、何て言っていいのかわからない。


「僕、奏海さんは海里さんと一緒にいたら辛い思いするだけだと思ったんです。だから、よっぽど僕の方が奏海さんを幸せに出来るんじゃないかって本気で思ったんですよ。
 だけど、いくら探しても、奏海さんが喜ぶようなプレゼントが見つからないんです。海里さんより凄いプレゼント簡単に見つけられると思ったのに……」

 高橋くんは、少し悲しそうに微笑んだ。
「ごめんなさい…… どんな素敵な物でも、私は受け取れない……」

 その事葉が高橋くんを傷つけたと思う。
 だけど、それが正直な気持ちだった。


「いいんです。謝らないで下さい。奏海さんは、どんなに辛くても悲しくても、きっと海里さんの側にいるんでしょうね。
 それが分かったから…… どんなプレゼントも、奏海さんをあんな幸せそうな顔には出来ないんだなって……」

 高橋くんは、テーブルに置いてあった鞄を持ち上げた。


「本当にごめんなさい…… でも、ありがとう…… きっと、高橋くんからのプレゼンで幸せになれる人が居ると思う。こんな事しか言えなくてごめんなさい……」


 高橋くんは、鞄を肩にかけると店のドアへと向った。


「奏海さん、俺、来年はもうここへはバイトに来ませんから」


「えっ?」


「俺、そんな出来た人間じゃないんで。来年の夏までに次のバイト見つけて下さいね」

 振り向いたた高橋くんは、悲しそうな目ではなくニコリと笑っていた。


「うん。わかった」

 私には、また来年もなんて言えないし、言ってはいけないと思う。


「お世話になりました。お元気で……」


「高橋くんも元気で……」

 私は、精一杯の笑顔を向けた。
 他に何が出来たといいうのだろうか? 
 何を言ったところで、高橋くんの気持に答える結果にはならない。
 それなら、せめて次に会う事があれば、笑顔で会いたい。


 高橋くんは、深々と頭を下げ店を出て行った。


 夏の終わりは少し淋しげで、いつもの夏の終わりと少し色を変えていた。
私が傷つけてしまったのは、高橋くんだけでは無かった。

海の風を冷たく感じ始めたころ……

それでも、四季折々の海が好きで潜りに来る人や、海岸にはサーファーの姿もある。店にも、昼時は海で過ごした人やドライブ途中の人などで、それなりに活気がある。


 ランチタイムも過ぎ、人が引け店も落ち着き出した時だ。


 店のドアが開き、人が入って来た。


「いらっしゃいませ…… あっ……」

 
店に入って来た人の顔に目を向けると、一瞬にして緊張が高まり、台を拭いていた手が止まった。


「どうして?」


 そう言って力無く、青白い顔で入ってきたのは由梨華だった。以前、店に来た時の華やかさや勢いも無かった。
「由梨華さん……」

 私は何をどう答えて言いのか分からない。


「どうしてあなたなのよ! ただの喫茶店の店員じゃない? 私は大内財閥の娘よ! 私より、どうしてあなたに価値があるのよ? 教えてよ!」

 由梨華は、そのまま床に泣き崩れた。


「どういう事ですか?」

 私は、由梨華から少し離れた場所に立った。


「海里さん、私と婚約しなかったのよ! あなたの存在があるからでしょ? 言ったじゃない。あなたより、私の方が海里さんにとってメリットがあるって…… なのに、どうして離れてくれなかったのよ?」

 由梨華は、顔を上げキッと睨んできた。
 泣き崩れているのに、目からは憎しみが溢れている。


「私にとって、海里さんは大切な人なんです」

 私も、その目に負けないよう、しかっりと由梨華の目を見て言った。


「それが何? 私には、志賀グループが必要なのよ! あなただって、志賀グループを利用するつもりなんでしょ?」


「私には、志賀グループがどんな物か、正直分かりません…… でも、海里さんが背負っている物であるなら、私も一緒に背負って行きたいです。それだけです」


「そんなのきれいごとよ。志賀グループの力が無ければ、私は……」

 由梨華さんの言っている事は、この間と大分違う気がする。あれだけ自分が志賀グループに必要だと言っていたのに、今は志賀グループが自分に必要だと言っている。

 この人は、本当に海里さんの事を好きだったのだろうか?


 私は、由梨華さんの前に腰を下ろした。


「私は、志賀グループでなく、志賀海里という人が大切なんです」


「うっ― あなたが居なければ、私は海里さんと婚約できたのに!」

 由梨華さんは、私の肩を両手で強く掴んだ。


「それは違う!」

 ダイブショップのドアを開き、すっと入ってきたのは海里さんだった。