「分かったら失せろ」
逃げ出すようにして男は慌てて私から手を離すと、そのままもの凄い勢いでその場を後にした。
新……
黒雅のトップ……
「君、梓のお気に入りだろ。何でこんなところにいるんだ」
さっきの地の這うような声とは違い、以前見たときのように穏やかで余裕気に話し出した目の前のこの人は、そんな話し方とは裏腹に冷めたようにとても冷たい表情で私を見下ろす。
特に答える事もせず、そんな彼をジッと見つめたまま立ち尽くしていると掴まれていた腕をそっと離した。
甘い雰囲気の顔立ちからは想像もつかないような、深くて暗い独特な空気。
「おい、聞いてるか?」
「はい」
「やっと喋った」
声は優し気に聞こえるのに、冷え切った瞳が……どこか壁を感じるその視線が少し怖い。
「で、こんな所で一人雨に濡れてる理由は」
「とくに…」
以前も確かこんな事があった。
間宮の家がうんざりで…孤独で虚しさに押し潰されそうで……
そんな時見つけてくれたのは梓だった。
だけど今はもう違う、梓は来ないし……目の前にいる人物は望んでいた人物じゃない。
「族に関わってる女が一人で出歩くなんて、シルバーナイトは随分ゆるいんだな」
そう興味も無さそうに呟いた男は雨にもかかわらずポケットからタバコを取り出すと、それに火を付けた。
嗅ぎ慣れない匂いが鼻をかすめる。そういえば…シルバーナイトの皆んながタバコを吸っている所を見た事がない。
不良といえばタバコを吸ってそうなイメージなのに、彼等からこの香りがした事は一度も無かったように思う。
「来いよ、これ以上濡れたら風邪引く」
視線で後ろにある車を見ると、その後私を視界に入れて入るよう促してくる。
来いって…シルバーナイトと黒雅は敵対してるのに…付いていくわけがない。
行ったら何をされるか分からないし、そもそもさっき助けてくれたのだって疑問なくらいだ。
この人とこれ以上ここにいるのは危険だ。
「さっきは助けて頂きありがとうございました」
いきなり倉庫を出てきたから、きっと皆んなも心配してる。
それにいい加減寒くなってきた。考えすぎのせいか頭も酷く痛い。
いくら今は戻りたくないと思っていても…いつまでもこうして雨に濡れているわけにもいかない。
私は足元に落ちてあったぐちゃぐちゃになったノートを手に取ると、そのまま彼の横を通り過ぎて歩き出した。
「待てよ」
新の横を通り過ぎた時、勢いよくいきなり引っ張られた腕。その反動でグラリと上半身が揺れる。
転ぶ!っと反射的に思ったのは良いものの…上手く手足に力は入らなくて、それどころか何故か視界がボヤけていった。
あぁ、なんだかふわふわとした気分だ。
力も視界も体温も、全て曖昧で分からない。
「おいッ!」そんな焦ったような声が耳の遠くから聞こえて来たころ、私の視界は真っ暗になって…身体に少しの温かみを感じた後そのまま自然にゆっくりと瞳を閉じた。
喉が焼けるように痛い。
熱くて熱くてジリジリとした感覚に襲われる。
……頭も背中も、体の節々の痛みで目が覚めた。
しかし、目が覚めたと同時に自分が今まで眠っていたんだということを自覚する。
私、さっきまで何してたんだっけ…
何処にいたんだっけ…そんな事が頭をよぎるけれど、視界はボヤけて定まらない。
うっすらと開いた瞳の先に映るのは薄暗い景色。もう夜なのだろうか。
ゆっくりと身体を起こそうと力を入れるけれど、寝返りをうつのがやっとで、次第に少しずつ冴えて来た視界に、知らない場所だとやっと分かった。
「やっと起きたか」
ボーッとする頭で誰の声か考えるけれど、私の知っている聞き慣れた声ではない。そんな事を思いながらゆっくりとそちらへと振り返る。
「…あなた、どうして」
そこにいたのは、黒雅のトップ新。
新はさっき着ていた服とは違いラフな格好になっていて、濡れた頭をバスタオルで拭きながらこっちへと歩いて来た。
「まぁ、雨の中いきなり倒れられたらそのまま放っとくわけにもいかないし連れて来た」
……私が、倒れた?
「熱があるのに、あんな雨に当たってたら倒れて当然だ」
「……熱?」
「自覚なしか」
私、熱があったんだ…どうりで身体の節々が痛いわけだ。
しかし、それよりも問題がある。
「ここは…何処ですか」
私が寝ているベットはもちろん私の部屋ではなくて、全く知らない場所。
シルバーナイトの倉庫でもないし、病院でもない。
新は私の方へ歩いて来ていた足をベットの手前で止めると、そのままゆっくりとベットへ腰を下ろした。
キシッとスプリングか軋む音が重たく聞こえる。
漆黒の瞳が私を捉えると、そのまま妖美に微笑んだ。
「俺の家」
「………え」
それは予想外の答えで…だってつまりこの人が私をここまで運んでベットに寝せてくれたという事。
新はそのまま私の方へとゆっくりと手を伸ばしてくる。それに思わずビクリと身体を揺らすと「ジッとしてろよ」と呟かれてそのまま私の額へ手をかけ何かをはがした。
「新しいのに変えろ」
そう言って手渡されたのは熱さまシート。やっぱりこの人が看病してくれてたんだ…
でも、何故。
意図がわからない…だって私はシルバーナイト側の人間で…助けてくれるとは思えない。助けられる義理もない。
……この人って、もしかして良い人なの…?
でも、黒雅のトップであることは間違いなくて…そして黒雅は危険なチームだと言われてる。
そんなチームのトップが無害なわけがない。
「…どうして」
そう小さく言うと、ベットに座ったまま私を見てる新がバスタオルを床へと落とす。
「興味がある、梓のお気に入りに」
それはどこか冷めた瞳で、何も写してないみたいに遠くを眺めた。
やっぱりこの人は怖い。何を考えているのか全く見て取れない。
「…梓のお気に入りなんかじゃないです」
「嘘付いても逃がさないけどな」
「本当です、私を捕まえても梓は来ない」
それは切なげに、まるで自分を言い聞かせるみたいに私自身を言葉が包んでいく。
「何でそう思うんだ?」
何で……何でと言われても…
梓には他に大切な人がいて…それは私じゃないから。ただそれだけの簡単な事だ。だからあの子を置いて私を助けに来たりはしない…
「まぁでも別に、人質として連れて来たわけじゃない」
「……え」
「単純に興味がある、君に」
「……興味…」
「危害は加えない、黒雅じゃなく俺の単独的な行動だから」
何それ……余計に訳わからない。
梓とこの人は知り合いみたいだし…前に朱音さんの事も知っているようなそぶりだった。
もしも何かを企んでいるんだとしたら私はここから逃げ出さないといけなくて、今すぐ出て行く必要がある。
「出て行こうとしてるだろ?」
「………」
「やめといた方が良い、他の族に捕まったら何されるか分からないぞ。俺に見つかったのがせめてもの救いだな」
救いって…逃してもくれない。しかも最低なチームだと言われてる人にそんな事言われても…
「…あなたの言う事を聞くわけないでしょ」
勢い良く身体を起こそうとするけれど、やっぱり力は入らなくて…それどころか頭がグラグラと回る。
「やめとけ、熱が上がる」
余裕気に笑った彼は、私の肩辺りをトンっと押すようにしてベットへと倒れさせた。
「安心しろ、熱が下がったら帰してやるから」
視界が薄まっていく…眠ってはいけないと頭では分かっているのに…身体は言う事を聞いてはくれなくて…ゆっくりと重たい瞼が閉じていく。
「…あなたは…優しいのか怖いのか…わからなぃ…」
最後に確かそんな事を口走った気がする。
その時見た彼の驚いたような表情は、夢だったのか現実だったのか曖昧で…私は再びゆっくりと瞳を閉じていた。
「ちょっと新さん!どう言う事ですか。こんな事してタダで済むと思います?」
誰かの大きな声が聞こえる。
「別に、俺の勝手な単独行動だから気にするな」
「単独行動って、あなたは黒雅のトップなんですよ。単独行動になってないから言ってるんです」
「も〜なっちゃんうるさいー、もう少し落ち着いてよ」
「カケルは黙ってろ。とにかく今シルバーナイトはとんでもない事になってますよ。総出であの子を探してる」
「だろうな」
「だろうなって。なら何故あの子をここに連れて来たんです?今この時期にシルバーナイトとやり合うつもりですか?」
暗い部屋には一本の光の筋が見えていて、ドアが少しだけ開いてるのか分かる。
そこからきこえてくる声。
先ほどより少しだけ動きやすくなった身体をゆっくりと起こすと、そのままベットから抜け出した。
今更気づいたけど、私は着ていたはずの制服ではなくティーシャツに短パンを着ている。
まぁあれだけ濡れたんだ、あのビショビショの服のままベットへ寝せるわけが無いか。
羞恥心よりもやけに頭は冷静で…黒雅のトップの家にいるというのに何もされていない状況が少しだけ私の心に余裕を持たせてくれる。
だからか、何の躊躇もなく少しだけ開いていた扉に手をかけるとそのままゆっくりと開いた。
そして、その扉の音に気が付いたのかソファーに座っていた新がこちらへと振り返り、その前で立っていた黒縁眼鏡の男が次に私を視界に入れる。
「うるさくて起きたか」
新はそう言い立ち上がると、私の前まで歩いて来て額に手を置いた。
「さっきより顔色はマシだな、まだ熱いけど」
そんな新の瞳はやっぱりどこか冷たくて、それなのに少し優し気な声を出す。
「帰ります」
「そう急ぐなよ」
「熱が下がったら帰してくれるって言いましたよね」
「まだ下がってないだろ」
「もう平気です」
ここに長く居るわけにはいかない。
何をされるかわからないし…皆んなも私を絶対に探してる。
もし私がここに居ると知ったら、琉聖達はきっと黒雅と戦う事になる…そんなわけにはいかない。
「それに、ここにいる理由はありません」