抵抗する気も起きない。声を出す気にもなれない。
落ちたノートを拾う動作さえしたくない。
グイグイと乱暴に手を引かれ歩き始めた男は、何やら私に話しかけているけれど…それも耳には入らなかった。
佑衣に渡すはずだったノートももう雨でぐちゃぐちゃで、拾う事すら出来ない。
「名前は何て言うの?めっちゃ可愛いね!君のこと見た瞬間一瞬時が止まったかと思ったよ。可愛いすぎて」
ニコニコと楽しそうに話す男は、私が答えない事に対して気にも止めていないのか…そんな嘘臭い言葉を並べる。
「おい、その女離せ」
低くて冷徹な声。それと同時に肘あたりを掴まれた私の腕。
一瞬、まさかと思って高揚する心。
だけれどその違いにすぐに気が付いた。
独特なオーラに、思わずジッと見つめてしまいたくなるほどの漆黒の髪。
さっき男が言っていた事と同じように、私の時が一瞬止まる。
「俺の連れだ、離せ」
大人びた口調に、色気のある顔立ち。そして薄いグレーのタレ目がちな瞳。
傘もささずそこに立っているその人物は、少し後ろにある車から降りてきたのかまだあまり濡れている様子はなかった。
「…新さ…ん」
男が驚いたように目を見開いて、そのまま自然と一歩後ずさると
「す、すみません!!新さんのお連れの方だったとは知らなくて…」
持っていた傘を投げ捨て、男はヘコヘコと頭を深く下げて謝り出した。