DISTOPIA EMPEROR―絶対王者は破滅を命ず―



バンドの取り巻きの不良どもが一足先に暴れ出している。


特に親しい仲間でない相手は、全部が敵。


恨みや害のない相手だろうが、おかまいなし。


野蛮な声を上げながら、乱闘が始まる。



バカバカしいけど、これがこの世界の日常だ。


戦闘的な熱狂ほど簡単に増幅されて伝播する感情は、ほかにない。


人が集まって興奮の度がちょっと過ぎるだけで、止めようもない暴動に発展する。



自分の身を守れるのは、自分だけ。



【こっち来んなよ。おれには手ぇ出すな】



おれは号令《コマンド》を発動して、乱闘を遠ざける。



鈴蘭がさよ子の手を引いて、おれのそばに寄った。


ここにいれば安全だと直感的に理解したんだろう。



おれは女の子ふたりに笑ってみせる。



「今の号令《コマンド》、雑魚《ざこ》にしか効かないよ?」



鈴蘭がちゃっかりと微笑む。



「厄介な人たちからは、煥先輩が守ってくれますから」



ほら、と鈴蘭が指差す先で異次元の戦闘が始まっている。




戦闘服を着込んだ敵の一人が、光の壁に突っ込んで弾き飛ばされた。


煥が突き出した手のひらの正面に、六角形の真っ白な光の壁が生じている。



ほくそ笑む煥が額の胞珠をきらめかせて、引っ繰り返った敵との距離を詰める。


敵は、逃れようとして転がる。


その動きも、煥は先読みしている。



軽い跳躍。容赦なく踏み付けながら着地。


何かが折れて砕ける音。くぐもった悲鳴。



煥は手のひらの先に光の板を創り出して、敵の体に押し当てた。


たちまち、焼け焦げる音と匂い。


煥の白い光はずいぶんな高温らしい。



敵の絶叫。


それを断ち切ったのは、あの素早すぎる襲撃者だ。


猛烈な速攻を、煥は難なく防ぐ。



「邪魔すんなよ」


「するに決まってるでしょう」



妙に静かに会話して、二人とも、ニタリと笑った。


戦闘狂だ。


こいつらにとってケンカってものは、手段じゃなくて享楽なんだ。




接近戦。


繰り出される技を目で追い切れない。


相手の意図は何となく読める。


煥に光の壁を出す隙を与えないこと。


単純な格闘なら互角にやれるから。



あっちでもこっちでも殴ったり蹴ったりの大騒ぎで、熱気と怒号が台風みたいな勢いで立ち上って渦巻いている。


呑まれそうになる。


ついつい、おれも暴れてみたいなんて思ってしまう。



やめてよね。ガラじゃないでしょ。


おれはさ、のんべんだらりと生きていられりゃそれでいいっていう、ことなかれ主義の平和主義を信奉してんだよ。



乱戦のど真ん中のエアポケットで、おれのすぐそばに立つさよ子が「ああぁぁ」と大きなため息をついた。


そして声を張り上げた。



「もうやめて! カイガさん、やめて。帰って! お願い!」




カイガと呼ばれたそいつが一瞬、動きを止めた。


一瞬の隙を、煥は見逃さなかった。


シュッと鳴った拳がカイガの顔を狙う。



「おっと」



カイガはバランスを崩しつつ煥の拳を避けて、地面に手を突いて鮮やかに後転した。


何かの弾みで、フードが外れる。


肩に掛かる長さのウェーブした黒髪が広がった。



額いっぱいに、つやめく漆黒がある。


おれや煥、鈴蘭と同じだ。巨大な胞珠。


それを持つからこその、あの身のこなしなんだろう。



さよ子はカイガと煥を交互に見つめて言った。



「いつもいつも、そんなやり方ばっかり。思いどおりに事を運ぶために、みんなそうやって戦うんですよね。何でそうなっちゃうんです?」



煥は、鼻で笑う表情を浮かべて、そっぽを向いた。


カイガもまた嘲笑う表情で、さよ子に答えた。




「話してわかる相手なら、いちいち暴れる必要もないんでしょうが、あいにくと、ぼくは対等に話せる相手をなかなか見出せないんですよ。

うかうかしていたら、自分の身が危うくなってしまう。さよ子さんも、経験からそれを理解しているはずですよ」


「でも、わたしはイヤなんです! そんなやり方じゃあ、きっと、めちゃくちゃになる日が来ます!」


「笑わせないでください。とっくにめちゃくちゃでしょう?」



理想だの正義だの、通用する世の中じゃあない。


やっぱそうだよね。



カイガがさよ子のほうへ手を伸ばして、「こっちに来なさい」の合図をした。


さよ子が唇を噛む。


鈴蘭がさよ子の腕にギュッと抱き付いた。



「さよ子、行っちゃダメ。わたしと一緒にいたら、絶対に安全だから。ね?」



カイガが鼻白んだ顔をした。



「絶対、ですか。何を根拠にそんなことを言うのか。絶対なんて言葉は、原理的にあり得ないものですよ」




ポンッ、と横合いから音がした。胞珠が破損する音だ。


おれは一瞬だけゾッとして、音の発生源を探す。



左目から血を流して、うつろな顔で立ち尽くす男がいる。


よかった、文徳じゃなかった。


それだけ確認したら、あとはもう関心が消えうせる。



カイガと二人の仲間は撤退を決めたようだった。


カイガ以外の二人はなかなかの重傷だ。


このまま粘っても得られるものはない、と判断したんだろう。



「また近いうちに皆さんとお会いすることになるでしょうが、今日のところはこれで」



三人とも、じっとさよ子を見ていた。


さよ子は気丈に、にらみ返した。



さーっと波が引くように、乱闘は収束していった。


カイガたちが立ち去ると、煥はようやく拳を下ろした。




鈴蘭は甲斐甲斐しく、煥のほうへ飛んでいった。



「煥先輩、ケガしてます。右のほっぺた、あざになって、ちょっと血も出てますよ。わたし、治しますね」


言うが早いか、鈴蘭は腕を伸ばして、煥の頬を手のひらで包んだ。


鈴蘭の手のひらから、じわりと青い光が染み出す。


鈴蘭の額の胞珠が明るく輝く。



「あれがあの子のチカラってわけ?」



鈴蘭は少し眉をしかめている。痛みをこらえるかのように。


さよ子が肩を落として、おれに言った。



「見てのとおり、鈴蘭は傷を治すことができるんです。治すべき傷の痛みを引き受けて我慢して、跡形もなくしてしまう。

三日前なんて、煥先輩の骨折を治しちゃったんですよ。痛みでボロボロ泣きながら」


「へ~、けなげなもんだね」


「ですよね。だから、煥先輩、鈴蘭のこと気に入ってる。わたし、完璧に出遅れちゃいました」




「さよ子ちゃんは、あっきーのこと好きなの?」


「鈴蘭は、煥先輩を手に入れたいって言ってました。わたしにもその気持ちはわかるから、たぶん、わたしも同じです。

煥先輩、カッコよくてキレイだから、ほしいです」



ほしいってのが、好きって気持ちとイコールなら。


おれは一世一代の大事なモノを失ったんだよな。



姉貴のこと、あいつに聞きそびれた。


先にちょっかい出したのはこっちって、どういう意味だよ?



「場合によっちゃ、殺すよ」



うっかりして、声に出してつぶやいてしまった。



「え? 何か言いました?」



おれを見上げるさよ子に、笑顔の仮面で応じる。



【なーんにも。それより、腹減ってない? どっか飯食いに行こうよ。おごるからさ、デートとか。どう? 行こうよ。ね?】


「えええええっ、ま、またそんなデートだなんてっ! わ、わたし、鈴蘭とごはん行くことにしていましてですねっ」



ダイヤモンドみたいな両眼は、困った様子でキョロキョロする。


おもしれー子。


からかい甲斐があるし、落とし甲斐もあるってもんだよね。




胞珠が何のために人間の体にくっついてんのか、って話。


そういう説もあるみたいな、曖昧な言い方しかできないわけだけど。



胞珠を持たない人間ってのは、脳や心臓を持たない人間と同じくらいの割合で発生して、産まれたとしてもきちんと生きられない。


そんくらい、人間の生存にとって重要な器官。


パッと見た感じ、眼球の一部や爪の一枚の代わりに過ぎないのにさ。



思考とか感情とか、人間の脳の中身って、どう働いてるかわかんねー部分がけっこうあるらしい。


胞珠もまさにその仲間だよね。


胞珠の機能は「思念のエネルギーを増幅する」とかっていうじゃん、大まじめに。


何そのオカルト。


そのへんが人間の科学力の限界って?