「何読んでんの」
ひょこっと扉から顔を出した遥。その拍子に、真っ黒なキレのある髪が揺れた。
「秘密」
サッと本を隠した私は、笑ってみせた。
「えー。気になる」
拗ねたように顔をしかめる彼は、世界一可愛いだろう。
本をデスクに置こうとして、あるものに目が留まった。
「じゃあ、この花が枯れたら、本を貸してあげる」
それは、相変わらず瑞々しい、真っ黄色なマリーゴールドだった。遥が来るちょっと前に、いつも水替えをしている。
「全然枯れそうにないじゃん。俺、一生読めないよ、その本」
不覚ながらも、”一生”という言葉が嬉しかった。
だって、まるで、
「まあ、枯らす気もさらさらないけどね」
なんて言って、私の頭を撫でるように花びらに触れたから。
自分のことを綺麗だなんて思ってはいないけれど、遥の触れ方が、私に触れる時とあまりにも似ていて、マリーゴールドが自分と重なって見えてしまう。
「葎」
そこで名前を呼ばれた。
「へぁっ?!」
見惚れていた私はびっくりして、思わず変な声を出してしまった。
「はは、そんな驚かなくてもいいじゃん」
心中も知らず、笑い飛ばす。かなり恥ずかしかった。
「...」
分かりやすくぶすくれた私の頭を撫でた、遥。
君はよく、頭を撫でてくれるよね。
「...可愛いってことだよ」
穏やかな声で言い放つ。その言葉は、電流を走らせながら私の胸に落ちていく。体の芯がビリビリと音を立てた。
「っ...」
反動でか、顔が熱くなった。遥はそのまま手を降ろし、私の頬に手を添えたところで降下は終了した。
「ずっと、俺の隣にいてね」
耳元でそう囁いた。熱っぽくて、全てが溶けそうな声色。
そして、優しくキスを落とした。
私は、涙を流していた。それも、温かい涙を。
心から安心したのだ。彼らしいと思ったから。
”好き”でも、”愛してる”でもない。次に繋がる言葉を、欲しい言葉を聞かせてくれる。本当に、この人を好きになって良かった。
時間が過ぎていき、彼は、唇を離そうとした。
そこで私は、彼をひきとめる。
「ん...」
服の裾を引っ張り、今度は私からキスをした。
けれど遥は、そんな私に驚きもせず、応えた。
それが、嬉しかった。彼をさらに愛しく思えた。
「葎」
「遥!...って、なんだ、お母さんか」
その日は、珍しくお母さんが来ていた。
「なんだってなによ」
困ったように笑うお母さん。紙袋を持っていたから、多分服を持って来てくれたんだと思う。
「もしかして、服持って来てくれたの?」
紙袋を見ながら問いた。お母さんも、私の見ているところを見る。そして、見るなり否定した。
「ああ、これ?違うわよ。アルバム持って来たの」
そう言い、中から、いかにも重いですよと言わんばかりのアルバムを取り出した。
「何でアルバムなんか持って来たの?」
「遥くんと見なさい、っていう意味を込めて」
それだけ言うと、お母さんは出て行った。
すると、入れ替わるように、今度は遥が入って来た。
「こんにちは。さっきそこで満里子さんに会ったよ」
満里子というのは、お母さんの名前だ。
「え、何か言われたとか?」
心配になり、聞いてみた。
遥は、
「葎、本当に遥くんが好きなの。絶対結婚してやってね。って言ってた」
その時に、初めてお母さんを恨んだ。変なこと言って...。
「.........遥、さん?」
名前を呼んだのは、遥が馬乗りをしてきたから。
「ん?」
「ん?じゃなくて!なにしてんの!」
そこまで言って私の腕を取り、顔を近付けた。
「ね、このままキスしたら、怒る?」
意地悪く微笑む遥は、本当に綺麗だ。
怒りなんてしないよって言ったら、君はどんな顔をするかな。
「返事なんて待つ気ないけど」
聞こえた時には、唇は塞がれていた。
長い、キスだった。終盤で、感じた。
終わる、と。
何が。
”息”が。
「......葎...?」
異変に気付いた遥は唇を離し、確かめるかのように名前を呼ぶ。
「...遥......お願い、抱きしめて」
懇願すれば、遥は何も聞かず、笑顔で抱きしめてくれた。
「あのね、遥。一回しか言わないから、よく聞いてて」
私は、彼の背中に手を回した。力を込める。
「マリーゴールド、ありがとう。毎日水替えしてくれたら嬉しい」
最後の方は声が震えていた。でも続ける。
「本、あげる。それと、本の中に手紙が挟んであるから読んで?」
だんだんと力も抜けていく。けれど、最後の力を振り絞って、言う。
「今までありがとう。大好き、愛してる」
そうして私は、眠っていった。
俺は、最愛の人からの手紙を読んでいた。
『遥へ
18年間、私は生きました。窓から見る夕陽は、温かくて、まるであなたみたいでした。あなたを待っていた時間は、何にも変えられないほどにもどかしかったです。
私の愛した人は、藤嶺遥という人でした。彼は、誰よりも私のことを知っていて、誰よりも私のことを愛してくれた人でした。
そんな彼を置いて、天国へ行ってしまった私は、彼を愛す資格なんてないです。
肖像の人には、こんな言葉があります。
深い深い瑠璃色の涙を流した者は、その者の最愛の者に幸せが訪れます。
私は、この言葉が大好きです。彼に、瑠璃色の涙を流してほしいのです。
彼と私の幸せのために。
最後に。
私は、彼が大好きです。
私は、彼を愛していました。
ただそれだけです。
ありがとう。
葎』