「...え?」
「なんか、ね。俺、最近変なんだ。今朝も葎が言ってくれたのに.........葎が、いつか俺から離れてく気がする」
ドキドキと、不謹慎にも、心臓が跳ねている。けれどそれと同時に、背中に冷や汗をかいていた。
____ばれてない、よね。
そう思った直後、遥は言った。
「...............お願い...何があっても、俺から......離れないで......」
息が、一瞬、止まった。
それは、彼が可哀想だと思ったわけではなく、情けないと思ったわけでもなかった。
単純に、愛していた。
彼の声が、か細かった。
私は、彼に言う。
「...ずっと、一緒。大好きだよ、遥」
気が付けば、彼の手に、自らの手を添えていた。
そしてまた1つ、思った。
____ごめんね。
と。
_________________________________________
「...思ったんだけど」
帰り道。遥と並んで帰っていた。
「?」
「葎って、幸せだよね」
「え、いきなり過ぎて怖いんだけど...」
とは言いつつ、確かに幸せだった。
友達が居て、彼氏が居て。
「......俺みたいな、彼氏が居て」
そっちかよ。少し驚いて、立ち止まってしまった。
遥は、自意識過剰な一面がある。それはそれで謎に思うことはあるが、どんな遥でも、私は好きだ。
「あ、じゃあ、遥も幸せだよね」
私が幸せならば、遥も幸せだ。何故なら、『私の幸せは遥の幸せ』だからだ。前に自分でそう言っていた。
「...うん。世界一幸せだな、俺」
目を細めて、笑う。そのタイミングで、ザァッ、と、風が私たちの間を通り抜けた。
「遥」
「ん?」
遥に歩み寄る。そのままの勢いで、彼の首に腕を回した。鼻がつくかつかないかの距離まで、顔も寄せた。
「り、葎...?」
赤面しているようだった。160ないぐらいの私と、170ちょっとの彼。彼にとっては、かなりきつい体勢。
中学生までは同じくらいの身長だったのに...。
「......来年の遥の誕生日までに、私、”藤嶺葎”になりたいな」
驚いたような表情で私を見つめる彼。本心を口にするほど、素直なことはないだろう。私は、微笑んだ。それこそ、心臓が有り得ないくらいに打ち鳴っていた。
そのまま私は、彼の唇に、自分の唇を重ねた。そして3秒ほど合わせて、離した。
「......初キス、俺からしたかったのに」
残念そうな顔に、私はくすくすと笑う。
「印象に残るから、いいじゃん」
「...それもそうだな」
そう言うと、今度は遥から、私に唇を重ねてきた。
...長く、重いキス。さすがに苦しくなり、遥の胸を押す。そうしたら、唇は離してくれた。
抱きしめる力は変わらないけれど。
「...」
遥は無言で、唇を合わせることはしなくても、私を力一杯抱きしめる。
これもこれで苦しいが、安心感には欠けないので、私も彼の背中に腕を回した。
「...私...世界一、幸せな女の子かも」
呟いたことに彼は気付いたのか、もっと抱きしめる力を強めた。
空を見ていた。
授業中ではあったが、集中出来ず、目をやってしまった。
その日は、晴れていた。9月とは思えないくらいの暑さだった。
と、そこで__
「!」
紙切れが、前の席から机に投げ込まれた。先生の目を盗んで回ってきたようだった。
三つ折りにされている、長方形の紙切れを開く。
書かれてあったのは、
『今日カラオケ行くやつ名前書け!葎は絶対な』
だった。
その文字のすぐ下に、クラスメート数人の名前があった。
誰がこれを書いたのか、大体は予想がつく。
秦(せい)だ。
秦はクラスのムードメーカーで、何かを思い付いたら、授業中であろうが、テスト中であろうが、紙切れに書いて回してくる。そして、その何かに、私はいつも強制参加だ。
まあ、楽しいのには変わりはないから、いつも行くんだけどね。
と、そこで、名前を書こうとして動かした手を止めた。......そう。メンツの確認だ。私は、遥と葉那乃の名前を探した。私は一番後ろの窓際の席。二人は私より前だから、行くんなら名前があるはず。
............あ、あった!
二人の名前を確認すると、止めていた手を動かし、紙に葎の文字を書いた。
--キーンコーンカーンコーン
「...と、今日はこれで終わり。帰りの用意しろー」
先生が教室を出るなり、秦が言った。
「みなさん、聞いて聞いてー」
パンパン、と心地良い音で手を鳴らす秦に、注目が集まる。
「結果発表ー。えー、カラオケに行く人が、合計で9人になります。俺、潤、海斗、実桜、由宇、葉那乃、進汰、遥、葎。これ以外で、行くんだけど名前呼ばれてねーってやついるー?」
シーン
「はい、いないようなので終わりまーす」
秦の話が終わると共に、カラオケに行かない人が教室から出て行った。
「じゃ、早速行きましょー」
言うと、残った皆も、それぞれに教室を出て行った。
「告白大会~。まず海斗から!」
カラオケ店に着くなり、そう言ったのは潤だった。葉坂潤は、秦に続くお調子者だ。潤の言っている、64%は冗談であり、36%は真実。ということがあってか、彼はクラスでは人気を占めているわけではない。もっとも、私と秦は、狼少年な潤にユニークさを感じているのだが。
そんな潤は、恋愛上級者で、『恋』のワードに敏感である。コイバナとかが好きなタイプだ。
「は?いやいや、歌いに来たんだろ」
潤の相棒のような立ち位置にいる、喜多野海斗は、しっかりと受け答えが出来ていた。
「いいじゃんいいじゃん!得点が低かったやつが、好きな人暴露とかしよーよー」
次に口を開いたのは、由宇だった。彼女は、小林財閥の一人娘。容姿端麗で、明るく好奇心旺盛な由宇は、ノリも良く、葉那乃の次に親しい友人だ。
「...わーったよ」
可愛らしい由宇の笑顔で、妥協の色を見せた、海斗。
「あははは。海斗も、ベタ惚__」
「その先は言うなよ、実桜?」
と、そこで、海斗の表情が一気に変わる。天然ふわふわ系女子、と言えば良いか、月山実桜も、海斗の睨みに、まずいと思ったらしい。
「はいはい、早速歌いましょー。みなさん」
切り替えるように、或いは、海斗をなだめるように言ったのは、和田君だ。和田君__和田進汰は、三ヶ月前に越してきた男の子。彼のフレンドリーさに秦が興味を持ち、仲良くなったのだという。
けれど私は、和田君とはまだ喋ったことがない。というか、彼自体が私を認識しているのか、ぐらいの距離感。
__________________________________
「葉那乃、相変わらず美声だねー」
もちろん、カラオケに着いて告白大会という流れにはならず、普通に歌った。一番手はいつも決まって葉那乃だ。クラス一の美声を持つから、と、秦がほざいていたことに対し、葉那乃が乗せられて以来、ずっとだ。
「りーつ」
「あっ、葉那乃、お疲れ様」
相も変わらないくせ毛を揺らしながら、隣に座ってきたのは、超高音を歌いこなした女の子だ。
「葎は歌わないの?」
素朴な疑問に、シンプルに、うん、とだけ答える。
「そっかあ」
そう言って、葉那乃は席から離れ、潤のところに行ってしまった。
......あれ?
葉那乃が席を離れて、はてなが浮かんだ。私の記憶によると、葉那乃と潤の関係は良好じゃなかったはず。狼少年が苦手な葉那乃が、何故潤のところに?こういう細かいところにいちいち気付くのが、私。
「では、お次はクラスのモテ男、遥君でーす」
といった感じに、ふざけた口振りで言ってみせた秦に、笑いが込みあげてきたせいか、先程の疑問は無くなっていた。
「そいじゃー、そろそろ帰ろっか」
気付けば、七時を回っていた。
秦が終わりを告げ、各々が部屋を出た後。
「.........ぁ......?」
倒れた。
誰が。
私が。
「葎?!」
遥の声が、聞こえた。
待って、やだ。私はまだ遥に
「葎、どうしたの?!!ねえ、葎!!」
なに、も...
「葎!」
瞬間、視界が暗転する。
遠のく意識で、何を思ったか。
遥の、笑顔だけだった。
「...」
見慣れない天井。
「...」
ツンとした、独特な匂い。
半身を起こして、辺りをゆっくり、ぐるりと見回す。
「.........遥」
その中で、私は遥と目が合った。いや、そもそもいたのか。
遥は今にも泣きそうな顔で、言う。
「...何で、言ってくれなかったの」
違う。私、そんな顔をさせたいんじゃないんだよ。
声が、あまりにも切なくて、か細くて、寂しげで、私は俯く。
遥の言葉で、ああ、ばれてしまったと、痛感した。
「......」
「葎」
「...」
「葎」
「...」
「......葎。俺、葎のこと、好きだよ」
「...っ」
やだ。変なこと言わないでよ。
「大好きだよ。葎の笑顔も、葎のことが好きと思える自分も。俺さ、葎に、誇れる程の感動、沢山もらった」
「......っ!」
そう。温かいものが、頬を伝っていたのだ。
「だから、ね。今度は俺が、葎に誇れる程の感動をいっぱいあげる。葎の心は、いつも俺で埋まるようにね」