「葎ー。遥くん、来てるわよ」
「はいはーい」
-バタバタ
「行ってきまーす」
玄関を勢いよく出て顔を上げると、海をそのまま映したかのような、真っ青な空が広がっている。
「遅い」
不機嫌な声が、どこからともなく降ってくる。怒っているような声なのに、頬が緩んでしまう。
「ごめんごめん。ちょっと寝坊して」
「はい、俺を1分待たせたお仕置き」
そう、耳に届いた時、右手に温もりが感じられた。
てか、1分って...
「離したらだめだよ。まあ、離せって言われても、この手も葎も離さないけど」
コイツ、こんなキザだったっけ。
私は、思ったことを素直に言う。
「今のセリフ、なんかキザ」
なんて言いつつも、嬉しかったりする。
「本当、素直じゃない。まあどんな葎でも好きだけど」
赤裸々過ぎだし、顔色変えずに言うなよ。言われた方が赤面してしまう。
「...も、もういいから、学校行くよ」
「......大好きだよ」
不意に耳元で囁かれた言葉に、顔が火照る。恥ずかしさを隠すかのように、遥の手を引っ張り歩き出す。
肩を並べ、学校への道を歩いていると、遥が話し始めた。
「そういやさー、葎、行く大学とか決めた?」
いきなりその話か。
「いや、決めてないけど...遥は決まったの?」
私たちは高校3年生。今は9月だから、志望がないのは少しばかり苦しい。
「俺も決まってないんだけど。あのさ、一応確認していいか?」
私の様子を窺うかのように、話し始める。
「え...別にいいけど...何確認するの?」
「あ、いや。ええと......」
遥は唐突に立ち止まり、私もつられて立ち止まった。とは言うが、手が繋がれたままだったから、どっちかが止まったら、どっちかも止まらないといけないんだけど。
「...俺らって、ずっと一緒にいるよな...?」
少し屈み、私の顔を覗き込みながら言う。
私は遥の言葉に、ちょっと腹が立った。
なんでかって?そりゃあ...
「私のこと、信用してないの?」
みたいな感じに聞こえたんだよ。
「え」
「え。じゃなくて。あのね、言っとくけど。私、遥が思うより、ってか、自分で思ってるより、遥のこと好きだからね?神様に一緒にいるなって言われても、無理だから。そのくらい遥が好きなの」
なんて言ったら、遥は顔を真っ赤にした。
「......」
「...............」
暫くの間、沈黙が流れる。その間でさえも、頬は赤く染まっていた。
やがて、彼は笑う。目尻に涙を含ませるくらいの笑いに、彼は包まれる。
「ちょ、なんで笑うの!」
「いや、やっぱり葎は葎だなって思ってね」
涙を拭いながら、綺麗な笑顔で言う。
「...なんか、ありがと」
私は、そんな遥に何故か礼を言いたくなった。
すると、
「どういたしまして」
と言って、抱きしめてくるんだから。
その時、有り得ない程の罪悪感に、襲われた。
「...じゃあ......を...に......いのか...?」
寝ていた。
それこそ、意識があるはずでもないが。
「......つ.........りつ...葎!」
その声に、ハッと意識が呼び戻された。
名前を呼んでいたのは、親友の葉那乃だった。
「コホン」
頭上から降りてきた咳払いに、背中にヒヤッとするものを感じた。
「139ページ、読んでくれ」
「は、はい!!」
先生の冷たい声に異常な反応をしてしまい、慌てて立つ。
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「先生もさ、何もあんなに冷たい声で言わなくてもいいじゃん」
「...」
「てかあの後こっぴどく叱られたし」
「...」
お昼休み。葉那乃に愚痴を聞いてもらっていた。と言っても、私が一方的に喋ってただけなんだけど。
と、そこで。葉那乃の姿に、違和感があった。だが、その違和感に秒で気付く。
「葉那乃...昨日あれほど言ったのに」
「は?なに...」
言い終わるか否かで、私は立ち上がって彼女の髪の毛をまとめ始めた。
「え、え、なに?」
本人の了承無しに、髪を触り始めた私に少しの苛立ちをこめてか、葉那乃は自身の後頭部にある、私の手を払いのけるように手を振る。
「なんっかいも言うけど。自分で思ってるより、葉那乃、可愛いんだからね?その顔で18になっても彼氏つくらないとか言ったら、全国の非リアギャルに殺されるよ」
溜め息混じりに言えば、葉那乃は諦め、払いのける手をどかし、肩をすくめながら言う。
「だーかーら。昨日も言ったけど、私、恋愛に興味無いんだってば。葎が昨日言った、『モテる』とか、そういう単語、全然わかんなかったし」
私は、その言葉に大きく目を見開いた。彼女に見えているはずはないけれど。
かと言い、すぐに、元の大きさの目に戻し、思い切り溜め息をついた。
「...あのね、葉那乃?あなたの顔面偏差値は、67なの。実際自分の頭より顔面偏差値の方が高いんだからね?でもね。あなたの顔的にその髪型は、近寄り難い雰囲気が出るの。折角可愛らしい顔してるんだから、髪をあげなさい」
後半説教ぽくなってしまったが、このくらい言わないと、わからない。
「......もう、わかったから。とりあえず、髪、離して」
その物言いは、まるで、こちらが折れてあげるしかないというようだった。
私も、さすがに諦め、葉那乃の髪から手を離した。
...そこで。
「喧嘩は終わった?」
恐ろしく穏やかな、彼の声が聞こえてきた。
「あ、葎の彼氏」
先に口を開いたのは、葉那乃だった。
「葉那乃!何言って...」
急なその言葉が恥ずかしくなって、思わず声があがる。モテるの単語を知らないくせに、彼氏という単語は知ってるなんて...。
「え。俺葎の彼氏じゃないの?」
「そ、そうは言ってない......けど...」
決してそういう訳では無かったが、こう見えて付き合ってまだ日が浅い為、そういう言葉にはまだ慣れていない。
「まあどうでも良いや。葎借りてくね」
「どうぞどうぞ」
赤面していた私に何の断りなく、葉那乃の了承だけを得て、私を教室から出した。
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「...どこまで行くの?」
教室を出て、渡り廊下を抜けて、中庭に来た。かなりの距離を渡ったのに、まだ歩いて行くようなのか、止まる気配が無い。
「...聞いていい?」
ようやっと足を止めて、私には振り向かずに、そっと口を開いた、遥。急に止まるんだから、背中にぶつかっちゃった。
鼻を押さえながら、言葉を返した。
「なに?」
そう言うと、遥は振り返り、涙目だと言われる程の潤んだ瞳で、私を捉え、言った。
「葎は、俺と離れる気はある?」
「...は?」
ここまで来て言う台詞か、それは。
そう思ってしまい、は?が出たのだ。
「いやいや、どうしたの、いきなり」
「俺は、葎のことが大好きだよ。小6の1月4日から、ずっと」
...日付まで覚えてるの...?
引き気味でありながら、嬉しくもあった。
「そん時から、葎しか見てなかった。大切で、好き過ぎて、守りた過ぎて、逆に辛かった。でも、楽しかった。相手が、葎だったから。葎の顔見る度、好きになって良かったって思う」
「何...いきなり甘いんですけど...」
「好き過ぎるんだから、甘くなるのも無理はないよ」
「...」
そこで遥は、私の頬を優しく包み込む。
「......遥?」
名前を呼んだのは、彼が切なそうな表情をしていたから。遥はその表情のまま、私の額に、自分の額をコツン、と優しく当て、ゆっくり目を伏せた。
「............怖いんだ」
そう、ポツリと落とした言葉を、私は聞き逃さなかった。