学校に着いて、まず弓道場へ顔を出す。そこには、一足先に来ていたのか、すでに練習を始めているシヅルの姿があった。
「あ……セツナ! おはよ、今日も早いな」
「あなたこそ」
 二人の出会いは部活動だった。最初は成績が拮抗したライバルで、そのうち互いに好意を持つようになった。
 けれど今は、今はやはり、以前とまったく同じようには想えない。
 そもそもここは仮想現実なのだから、シヅルという男性はもうどこにも存在しないのだろうが。

「どうした? 具合でも悪いのか?」
「いいえ、そんなことないわ」
 俯いてしまったセツナに違和感を覚えたのか、シヅルに問われて慌てて微笑んだ。
「本当か? 昨日は大雨だったし、体調には気をつけてくれよ?」
「え、ええ……」
 ふと、シヅルの視線が弓道場の外に向く。

「あれ? めずらしいな、ナツがこんなに早くに居るなんて。ちょっと待っててくれ、やっぱりあいつは才能があると思うんだよ」
 シヅルが熱心にナツを勧誘していたのは覚えている。だが、ナツの返事と言ったらいつも「面倒くさい」の一言だった。
「ナツ! おはよ!」
 シヅルに声をかけられて立ち止まったナツは、少し顔をあげて片目で彼を見る。

(え……)
 そこで、強烈な違和感を覚えた。ナツは真夏でも冬でもいつも顔が隠れるくらいにフードをかぶっているので、素顔をよく知らないのだが、その瞳が紫色だったように思えたのだ。そう、アヴェルスとよく似た。髪の色もそうだ。
 けれどありえない、ナツのあれは染めているのだろうし。シヅルと違ってハーフでもない。
「なあナツ、弓道部に入らないか? おまえには絶対才能があるって!」
「絶対に嫌だね、面倒だし。シヅルが部長やってる時点で無理」
 ナツの唇からシヅルの名が出たことで、奇妙な安堵が押し寄せる。
 それはそうだ。ここにアヴェルスが居るはずがないし、ここへ来たとしても、彼にはこの世界の知識が無いだろう。

「んー……まぁ、そのフードははずしてもらうけどな」
「あぁ、これ。身体の一部なんだよね。無理」
 意味の分からない返事をして、ナツは手を振って去って行った。
「まーたフラれたか」
 シヅルが頬を掻きながら戻って来たので、セツナは苦笑をこぼした。
「ナツは部活に興味ないんだもの、しようがないわよ」
「もったいないよな、あいつは色んな才能に恵まれてるのにさ、どれも中途半端で」
 そう、ナツはどれも中途半端だ。何もかも完璧にこなしてきたアヴェルスとは違う。
 けれど違和感は拭えなかった。あちらの世界にもシヅルとよく似た青年、レディウスが居たのだから、この世界にアヴェルスによく似た人物が居てもおかしくない。
 フードをはずしてくれと頼んだらはずしてくれるだろうか?
 そうしたら、自分は安心できるのだろうか……いったい、何を?
 彼の目が黒や茶色だったらいい? なぜ?

(嫌な女……)
 我ながらそう思う、罪悪感から、後悔から逃れたいのだろう。
 今の自分はアヴェルスを裏切っている、彼の好意が本物であったなら……だが。
 だが、もしも偽りだったら心が耐えられない、かといって、証拠や証明などできることではない。だから帰りたくないのだ。
(せめてきちんと話し合えばよかったのかしら)
 それで信頼できるなら、最初からもっと信頼していたようにも思うが。
 とにかく、今はどちらの世界に留まるべきか決断しなくてはならない。
(花火大会までには……答えをだしたいものね)
 その日を期限としようと決めていた。
 もっとも「帰りたいと強く願わなければ戻れない」という言葉が本当なら、そう思えるかどうかは分からないのだが。