山猫は歌姫をめざす

「触れることなかれ、というのが『禁忌』の座の意味だ。留加、お前さんに対して、そのまま言えることだ。
未優に、恋情をもって触れなさんな。
ひとたび、そういう想いで触れ合えば、若いあんたらのことだ、ただ触れ合うだけじゃ済まなくなるだろうよ。
いいね?」
「……彼女の立場は理解している。いまさら、念を押されるのは心外だ」

留加の言葉に響子はくっと笑った。

薫の言う通り、若いのにカタイ男だ。
そのストイックさが、“変身”の際、本人を苦しめる要因となっているのだろうとの、勝の言葉を思いだす。

「あぁ、そりゃあ悪かったね。これはホントに『念のため』ってヤツさ。
アタシの用件は以上だ。二人とも、戻っていいよ。……いや、待った。留加は残っとくれ。別の話がある」

不安そうに未優は立ち上がったが、すぐに支配人室を去って行った。

響子は手にしたタバコの灰を、灰皿へと落とす。

「……アタシが前に言ったこと、覚えてるかい?」

留加は黙ってうなずいた。

逃げずに未優とも自分とも向き合うこと。それが自分たちを導く(しるべ)となるはずだと、彼女は言った。

「どうやらお前さんは、もう一人向き合わなきゃなんない相手がいるようだね」
ぴくり、と、膝に置かれた留加の拳が反応する。

『あなたには関係ないだろう』とは、もう言えなかった。
《彼女》はここで雇われ、そして自分も、間接的にとはいえ、ここに所属している身だ。

「無理にとは言わないさ。未優と違って、あっちはいろんな意味で良くできた()だしね。
むしろ問題は、お前さんの方だろうねぇ……。
ま、気が向いたら、シローにでも相談するんだね。良いように取り計らってくれるだろ」
「───失礼する」

留加は腰を上げた。響子の言いたいことは、解った。
そして、確かに近い将来、彼女───シェリーと向き合わざるを得ないだろうということも。


†††††


響子に言われたことによって、留加の態度が変化することはなかった。

未優は留加との関係が、ギクシャクしてしまうのではないかと思ったが、気のまわし過ぎだということに、すぐに気づいた。

(考えてみれば、留加は最初からあたしのこと恋愛対象として、見てなかったわけだし…)

あれは、未優に対しての苦言であって、留加に関しては、形だけのものだったのだろう。

寂しくないといったら、嘘になる。
留加と自分をつなぐのは、“歌姫”と“奏者”という間柄だけで。それ以上でも、それ以下でもない。
(だったら留加に、あたしの“奏者”で良かったって、思ってもらおう)

そういう自分でありたいと、未優は自らの心に刻みつける。

「……今日は、緊張してないのか?」

ふいに声をかけられ、未優は留加を振り返った。

正装姿の留加を見るのはこれで二度目だ。何度見てもカッコイイと、胸のうちでこっそり感嘆の声をあげる。

(別に、心で想うのは自由だもんね)

舞台上では、『ラプンツェル』の第一幕が始まっていた。未優の出番は、このあとだ。

「ちょっとは、してるよ? でも、楽しみっていう気持ちの方が強いの。またあそこに、留加と一緒に立てるのが、嬉しい」
「そうか」

うなずいてから、留加はふっと笑った。

「おれも、楽しみだ」

その笑みに、胸の高鳴りを覚え、未優は思わず両頬を叩く。留加がぎょっとした。

「……どうしたんだ」
「き、気合いを入れてみたの」

ごまかすように笑う未優に、あきれたように留加が息をつく。

「そういう気合いの入れ方はどうかと思うが? 側にいる人間が驚かされる」

(っていうか、留加のさっきの微笑みが悪いんじゃんかー)

「……ゴメン」

思っても口にはだせず、しかしほどよい緊張感のなか、未優は“舞台”へとあがった───。




       6.

「おや? 新人だね。───『禁忌』の未優、か……」

プログラムに目を落とした茶色い髪の壮年の男がつぶやいた。

慧一は、男の側へと歩み寄り、一礼をしながら“ピアス”を確認する。『狼族』の“純血種”だ。

「失礼いたします。……プログラムに、何か?」
「ああ、私も全国の“劇場”を観てまわっているがね。新人で『禁忌』とは、何やら意味ありげだね」

“劇場”通の者にかかれば裏の事情など、すぐに読みとれることだろう。
そして、例え察したとしても、口にだしたりはしない。「粋」ではなくなるからだ。
だから慧一も、ただ微笑みを返すだけにとどめる。

「……恐れいります。
では、今宵の『禁忌』の初舞台ごゆっくり、ご鑑賞くださいませ」
「そうだね。楽しませてもらうよ」

慧一は一礼し、その場を去りながら、脳内の情報記憶のファイルを呼び覚ます。
茶髪にセピア色の瞳の“純血種”となれば、“血統”はグレートプレーンズしかない……。

───狼原(おおかみはら)誠司(せいじ)。大手電機メーカーの取締役だ。
本人も認めた通り、全国各地の“舞台”を観るのが趣味だった。

純粋に“舞台”だけを楽しみ、そして、これと思った“歌姫”には、大枚をはたいてチケットを購入してくれる、上客。
(彼の目に、止まればいいがな)

慧一は、次の客のテーブルへと向かった。

V.I.P席の各テーブルに備えつけられた薄型映像機に、舞台上の様子は映しだされている。
今は、『ラプンツェル』の第一幕と第二幕の幕間だ。
もうじき未優の姿が、そこに映しだされることだろう。

(あとはお前の“舞台”次第だ、未優)

それによって、慧一のとるべき道も、変わってくるのだから……。


†††††


V.I.P席と壁一枚隔てた小スペースに“第三劇場”特別仕様の観覧席がある。

ガラス越しに舞台を見下ろすことができ、薄型の映像機がテーブルに備えつけられ、臨場感溢れる音響設備が整っているのは同じだ。

だが、そこで観覧できるのは、“歌姫”だけである。

響子が「勉強」のために造らせたもので、“第三劇場”の“歌姫”であれば誰でも入ることが許されているが、たいてい『王女』二人の特等席となっているのが実態だ。

「……リハーサルの時より、良いわね」
「えぇ。二人とも本番に強いタイプのようですね」

一組だけ置かれたテーブルと椅子。
そこに腰かけたシェリーの横には清史朗(せいしろう)が立っている。
「あの子の“解釈”、面白いわね。ラプンツェルが無知なお馬鹿さんに見えるわ」
「しかし、王子と出会ってからのとまどいと、恋に落ちる瞬間の表現力は、なかなかだったかと思いますが」
「あら。男心をそそられる?」
「───可愛いですね、私から見ても」

おそらく、鑑賞中の誰もが感じているだろうことを、清史朗が告げる。

シェリーは、ふっ……と笑った。

「綾は、《喰われる》わね。
『ラプンツェル』の“主演歌姫”は、あの子にとって替わられるでしょうよ」
「綾さんの“舞台”は、これからですが?」
「観なくても判るわ。綾の“舞台”はリハを含めて何十回も見てきたもの。
あの子は、人の心をつかめない。表現力も歌唱力も、『王女』になれるほどのものをもっているのにね。他人(ひと)を信用できない者が、人から愛されることはないわ」

切り捨てるような物言いに、清史朗は苦笑する。

「手厳しいですね」
真実(ほんとう)のことを言ったまでよ。
……でも、シローの目には、私は『灰かぶり』の義理の姉に見えて?」

シェリーのいたずらっぽい微笑みを、清史朗は穏やかに見つめ返す。

「あなたはいつでも、美しく聡明な『王女』ですよ」

ふいにシェリーが真顔になる。
彼は、どこまで解っていて、そう言うのだろうか───?
問いかけに、答えは望まない。
シェリーは舞台の方へと視線を向け、独りごちる。

「……そうね。私はいつまでも、『王女』でいるわ。そして───」

続く言葉は、いつもシェリーの胸のうちにあった。
その先を清史朗は問うこともなくおもむろに頭を下げる。

「そろそろ私は、もうおひとかたの『王女』の元へ参ります」
「……綾によろしく」
「お伝え致します」

そうして清史朗は、シェリーの元を去って行く。

(寂しくなんて、ないわ)

誰にも見せない微笑みを浮かべシェリーは思う。
彼はまた、自分の元に戻ってくるのだから───自分が、『王女』である限り。


†††††


今夜の“連鎖舞台”は、すべて滞りなく終わっていた。

客の“舞台”への感想を訊き、「サヨナキドリをご覧になりますか?」と問う。
「見る」と言われれば、端末機に映しだされる“歌姫”を紹介する。
……つまり、娼婦を買うかどうかの隠語である。

「───だったら、『禁忌』の未優をすすめますよ。今日の“舞台”も、良かったでしょ?」

耳にした言葉に足を止め、慧一はそのテーブルを振り返った。
「や~確かに、あの歌声は聴きホレたねぇ。……じゃ、リクエストはあの子にするか。で、今夜は」
「もちろん、あたしに決定! では、のちほど」

慣れた仕草で客をあしらい、一人の少女が慧一の横を通りかかる。
すっ……と、その腕をつかみ、慧一は彼女に声をかけた。

「ちょっと、いいかな? ……“踊り子”の、さゆりさん」
「何。あたし客とりで忙しいんだけど」

ジロリとにらまれても、慧一はちょっと笑って先を続ける。

「なぜ、リクエスト欄に自分を売りこまないで、他の人を薦めたりするのかな?」

当日“舞台”のない“歌姫”が自らを売りこむために、V.I.P席で接客をすることはよくあること。
だがそれは、あくまでも“舞台”に自分が立つのと《引き換えの接客》でしかない。

「そんなの、あたしの勝手じゃん。手、放してよ」

慧一は彼女の腕をつかんだまま微笑みをくずさなかった。

さゆりはムッと眉を寄せたが、理由を説明しない限り放してはもらえないだろうことを悟ってか、口を開いた。

「あたしはね、頑張ってる人間がむくわれないのは、ヤなのよ」

その答えに、慧一は眉を上げた。
「あたしは、今までそれなりに努力してきたつもりだけど、仕事に恵まれたことはなかった。……ここに来るまではね。
この稼業は自分に合ってるけど、“歌姫”の“舞台”に興味はない。だけどあの子は逆に、“歌姫”の“舞台”に立ちたくて、ここに来た。正直、最初は鼻についたよ? 何コイツ超ウザイって。
でも、今日のあの子の“舞台”を見て、考え方が変わった。……人には「分」っていうものがあるでしょ? あの子は努力次第で「上」に行ける器なんだって、分かったから。
だからあの子を……未優をすすめた」
「……彼女の努力が報われるように?」
「そう! しゃべり過ぎたね、もういいでしょ!?」

慧一が手を放すと、さゆりはいまいましげに軽く腕を振って、次のテーブルへと向かった。

(人には「分相応」というものがある。確かに、その通りだ……)

慧一には、慧一の。未優には未優の。
人は、それぞれその人物に見合った「生き方」があるはずだ。

(違いますか、泰造(たいぞう)さん)

未優の父親が今日の“舞台”を見たら、どう思うだろう。
それは、決して否定的な感情を生まないはずだと、慧一は確信している。