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(……『アヴェ・マリア』……)


暴れるのにも疲れ果てた耳に、清浄な歌声が入ってきた。祈りの声は、優しく留加の身を包む。

(母さん……)

一番最初に、母親が自分に教えてくれた曲。
清麗な、その調べ。

伝わる歌声に、留加の心が洗われていくようだった。
抱いていた衝動的な欲望も、忘れてしまいたいのに忘れられない過去も、すべて癒やし、浄めていく。

(……未優……)

やわらかく温かい声音の主を思いだし、そして留加は、ようやく意識を手放すことを、自らに許した。

───あとには、漆黒の体毛の一頭のシベリアンハスキーの“混血種”が、残されていた。

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気づくと、自分の歌声だけが夜の静寂の中を響き渡っていた。

歌うのをやめ、未優は隣の部屋の様子に耳をそばだてる。物音ひとつ聴こえない。

(うまく……いったのかな……?)

留加が気になって仕方がなかった。
だから未優は、再び防音室から留加の部屋へと入った。

依然、室内は薄暗かったが、月の光の差しこみ加減で、さきほどよりも広範囲に渡って見通すことができる。
獣の爪痕が、テーブルにも椅子にもクローゼットにも残っており留加の苦しみを刻んでいた。