「お前の家久し振りに来たぜ。」
武は懐かしそうに俺の部屋を見回した。
「俺も久し振りに来た。」
「お前、少しくらい帰ってきて上げろよ。」
武は呆れたように俺を見る。
同じことを色んな奴に言われるが、ここに帰ってきても特段することがない。
前に帰ってきたのはいつだったか…
この家を出て一人暮らしを初めてからあまり帰ってくることはなく、俺から連絡を入れることもなければ爺さんから連絡をしてくることもなかった。
武と同じように和室の部屋を見回してみれば、主が長い間不在でも塵一つ落ちてはいない。
ちゃんと掃除をしてくれているのだろう。
いつでも帰ってきていいように…
家の奴らの声無き声が聞こえるくるようだ。
「だから、ここの奴ら皆あんな反応だったのか…
で、なんで今日はここで飲むことにしたんだ?」
「旨い酒が手に入ったって言っただろ?」
俺はちゃぶ台の横に腰を下ろした。
「ああ。今日集まったのもそのためだろ?」
「ちょっとあってな。手元にあったそれがなくなった。」
くっ…
思い出すだけで、あの時の何とも言えない気持ちが込み上げてくる。
「ちょっとってなんだよ。」
訝しんで武は眉を潜めた。
「ちょっとはちょっと、だ。深く聞くな。」
「お前がそこまで言うってことは、相等なことがあったんだな…それで?」
「で、その酒ってのが元々ここに大量に届いた酒のお裾分けで送られてきたもんだったんだ。
だからまだ余ってたら分けてくれって言ったら、あの爺さん取りに来いって言ってきた。ならここで飲んだ方がはえーなって思ってな。」
それに、明枝さんにも帰れって言われてたから丁度良かった。
「ようするに、爺さんに一人で会うのが怖かったんだな。」
「なわけないだろ。ちゃんと爺さんがいない日を選んだんだからな。」
「…いや、それぜってーお前怖がってるよな?」
「それはない。取り敢えず座れよ、早く飲もう。」
この話を切り上げるべく、台所から持ってきた一升瓶を軽く掲げて武の気を反らした。
ちゃぶ台には酒の肴も沢山用意してある。飲む準備は万全だ。
「おう!そうだな、早く飲もうぜ!」
だが武は言葉とは裏腹に、なぜか凄くゆっくり腰を下ろしている。
「……っ!」
「どうしたんだ?痔か?」
「じゃねーよ!昨日明枝さんにしこたま尻叩かれたんだよ!」
ああ、ヒロのことでか。
「それは自業自得だな。」
ヒロを危険な目に合わせたんだからな、同情する余地は微塵もない。
「ぐーの音も出ねーな…」
だが、あんなことをしでかしたが、武は元々悪い奴じゃない。武なりに反省はしているんだろう。
「残念だが、うちにはドーナツクッションはないからな。」
「だから、痔じゃねーよ!」
「分かった分かった、ほら飲めよ。」
持ってきた二つのグラスに酒を注ぎ、その一つを武の前に置く。
「サンキュー。」
それを取ると、直ぐに口へと運んだ。
「武、飲みすぎるなよ。」
俺の言葉に、その手が止まる。
「?」
「飲みすぎは痔に良くないらしい。」
「だから痔じゃねーよ!お前この下り何回やらせるきだよ!?」
「悪い悪い。」
俺は弧を描いた口にグラスをあてた。
「ところでよ、ヒロって誰かに似てねーか?」
スルメに手を伸ばしながら武が聞いてくる。
「誰かって誰に?」
「いやそれが思い出せねーから聞いてんだよ。
どっかで見たことあんだよなー。 なんかの集まりだったかもしんねーし、テレビだったかもしんねーし。」
確かにヒロならテレビに出ていてもおかしくない顔をしている。
それに、世界には自分に似ている顔の者が三人いるともいうが…
それでも、あの俺を虜にする顔が他にあるとは到底思えない。
「ヒロって兄姉いるのか?」
「弟の話しか聞いたことないが…」
そう言えば、ヒロから弟以外の家族の話を聞いたことがないな。
まあ、俺も家族の話をしたことはないが…
そんなことを思っていると、武が何か閃いた顔をした。
「あっ!思い出した!あれだよあれ!ここまで出てんだけどなー」
と、武はこめかみに手を当てる。
「それ、もう口通り越してるぞ。」
どこに手あててんだよ。
「そこだったらもう答え出てるだろ。
手あてるなら喉にしろよ。」
呆れて突っ込めば、武は「わ、業とだよ!」と焦り出す。
本当、武といると飽きないな。
それから俺達は朝まで飲み明かした。
俺はマグロ漁から帰ると直ぐに彼女に会いに行った。
待ち合わせをしたのは、今流行りのチェーン展開している喫茶店。
レトロな内装でとても落ち着いた雰囲気のところだ。
「お母さんの具合はどう?」
「それが…あまり良くなくて…」
「そう…」
明らかに元気がない彼女に、俺はそれ以上どう声を掛けていいのか分からなかった。
「ごめんなさい!真吾さんに心配ばかり掛けちゃって。」
「いいんだよ。俺のことは。」
本当、彼女は優しい。
どんなに大変な時でも周りの事を考えてて、こんなに健気な彼女だから、俺は何かしてあげたいと思うんだ。
「でも!もう大丈夫ですから!次の手術が成功すれば、確実に良くなるって病院の先生が言ってたんです。
だから今頑張ってお金貯めてるんですよ!」
とても辛い状況なのに、彼女は俺に心配かけまいと無理に笑って見せた。
「手術費用どのくらいかかるの?」
「それは…」
彼女はうつむき、その美しい顔が曇ってしまった。
言葉を濁すってことは相当な額なんだろう。
「力になりたいんだ。お母さんの手術費用俺が何とかするよ。」
テーブルに乗る彼女の手を握ると、顔を上げた彼女が俺に微笑んだ。
「真吾さん…ありがとうございます。でもそのお気持ちだけで十分です。側にいてくれるだけで私、元気もらってるんですから。」
彼女は本当に優しい…
「俺もそうだよ。一緒にいると、君の笑顔を見ると元気になるんだ。だからずっと笑っててほしいんだ。そのためには一日でも早く手術して、お母さんが元気になることが一番でしょ?」
「でも…この前も助けて頂いて…これ以上真吾さんに助けて頂くわけには…」
「大丈夫、俺に任せて。」
「700万なんて金、どうすんだよ。」
「裕貴!?」
後ろの席から声がして振り替えれば、大学の友人が優雅にコーヒーを飲んでいた。
中性的な顔に色白の肌。
しかも頭脳明晰、運動神経抜群ときていれば、大学を歩くだけで男女問わず色めき出す男、橘裕貴(タチバナユウキ)。
「聞いてたのかよ!」
「全部な。」
盗み聞きしたことを全く悪いと思ってもなく、しかも、それが何か?と裕貴は言いだけな目をしている。
「お前、趣味悪いぞ。」
「真吾の事が心配だったんだよ。」
裕貴は持っていたカップをソーサーにそっと置いた。
「心配?なんのだよ。」
「お前な~あれは絶対騙されてるぞ。」
「何言ってんだよ。そんなわけねーだろ。」
あんなに優しい彼女がそんなことするわけがない。
「お前、女見る目"だけ"はないからな。」
深い、それは深い溜め息を吐き、今度は哀れみの目を向けてくる。
「いやいや、何を根拠に言ってんだよ。」
「………」
暫く口をつぐんだ裕貴が徐に口を開いた。
「……実は俺さ…」
「?」
「いや、何でもない。」
「何だよ!」
そこまで言ったんだったら最後まで言えよ!
気になるだろ!
「それより、お前がマグロ漁に行ってた間の偽装工作代。」
ぐっ…それを言われたら、これ以上聞けないだろ…
マグロ漁に行っている間、裕貴にスマホを預け俺のふりをして母さんに連絡をしてもらっていたのだが…
偽装工作を完璧にやり抜いたあかつきには、何かお礼をすると約束していたのだ。
「金はないからな。」
「分かってるよ。マグロ漁まで行ってんの知ってんだから。」
「じゃあ何が望みなんだ?」
「お前の母さんに会いたい。」
俺の母さんに!?マジ予想外なんだけど…
「えっ…お前、俺の事…」
「変に考えんなよな。会うのは俺の兄さん。」
確か、裕貴の兄貴って大手の会社に勤めてたよな?
「まぁ、良いけどさ。そんなんで良いの?」
「そんなんで良いんだよ。」
「頼んでみるけど、母さん忙しいから期待はするなよ。」
「承知の上だ。」
俺はその場で母さんに連絡をいれた。
そして後日、了承の返事が来るのだった。
ーこれはまだ私が幼いときのお話ー
今日、風凄いなー
ベッドの中から風がガタガタと揺らす窓を見れば、降り出した雨が豪快に濡らすガラスに閃光が走った。
『トントン』
ノックの後ドアが開き顔を出したのは、一番上の兄だった。
「ヒロー、大丈夫か?怖くないか?」
「大丈夫だよ。」
心配性の兄はいつも私のことを気に掛けてくれる。
「一緒に寝ようか?」
本当大丈夫だよ、と言おうとしたが…
そこで兄の片腕には既に枕が抱えられているのに気づいた。
「…うん、じゃあ一緒に寝ようかな…」
兄が布団に足を入れ隣に座ると…
『トントン』
また扉がノックされ、今度は姉が顔を出した。
「ヒロー」
部屋の中に私だけではないことが分かると、整った顔で「チッ」と舌打ちをする。
「おい、アヤ!」
一兄が舌打ちを咎めても彩姉は知らぬ顔で話を続ける。
「ヒロー、眠れないならお姉ちゃんが一緒に眠って上げるー」
返事をする前に、抱えていた枕を一兄とは反対の私の枕の横に置き布団に入って来る。
「う…ん、彩姉ありがとう。」
彩姉も一兄と負けず劣らずの心配性で、私のことを気に掛けてくれる。
結構強引に…
こうして兄と姉の間に挟まれ眠ることになってしまったのだけれど…
「一兄狭い。ヒロとは私が眠るから一兄は自分の部屋で寝てよー」
「いやいやいや、ヒロとは俺が寝るからお前が自分の部屋行けよ。」
「はぁ~これだからシスコンでマザコンは~」
「はあー!?シスコンでマザコンなのはお前もだろ!」
「私は姉で娘だからいいの。一兄キモいよ。」
こんなんでずっと私を挟み言い合いが続いていく…
しかし、それもいつの間にか終演を向かえ両隣から静かな寝息が聞こえてきたが、身動きがとれない私はすごく寝辛い…
未だに眠れる気配がなく、目が冴える一方でベットの中でもんもんとしていると、ドアが開いた気がした。
「ヒロ姉…眠れない…」
薄暗闇に現れたのは両手に枕を抱えた真吾だった。
両脇の二人を起こさないようにそっとベットを抜け出し、真吾の元へいく。
「風、怖い…」
3つ下の真吾は怖がりさんだ。
なんか…可愛いな~
「一緒に真吾の部屋で寝ようか。」
屈んで微笑むと、真吾は嬉しそうにウンと大きく頷いた。
そのまま二人で部屋を出ようとして、足が止まる。
私がいなくなったら、夜中気づいちゃうかな?
考えた結果…
私の代わりにクマのぬいぐるみを置いた。
小さいものだと違和感で直ぐ気づかれるかもしれないから、私が持っているなかで一番大きい奴を選んで。
そして、私は真吾の背を押し隣の部屋へと向かったのだった。
私はその日、困惑していた。
「お腹空いてないか?」と、会社帰りに秋庭さんから連絡が来たのは数刻前。
バイトもない日だし、"ただの"ご飯のお誘いだろうと何の気なしに了承してしまった。
そして今、私のアパートのテーブルに並べられた、有名店からテイクアウトしてきた見るからに美味しそうなたくさんの料理と…
それを挟んで、秋庭さんの前に置かれた一升瓶…
そして、秋庭さんは組んだ手に顎を乗せ、何故か気味が悪い程のきらきらの笑顔を浮かべている。
「さあ、召し上がれ。」
何ですか?そのきらきらの笑顔は…
凄く食べづらいんですけど…
でも、お腹は凄く空いてるし、料理の美味しそうな香りの誘惑に逆らえず、まずは目の前にあったエビチリに手を伸ばした。
「いただきます…………!」
一口食べれば、口の中にぷりぷりの海老の食感と、ピリッと辛いチリソースが広がっていく。
なにこれ!すごく美味しい!
一度伸ばした箸は止まらず、次から次へと口に運び入れていく。