「ここが、幻獣達の部屋ですよ」
「ルルさん。先輩なんですから、普通に話してください」
年上に敬語を使うのは当たり前だと思っていたのと、ノエンの物腰の柔らかさから、ルルはどうしても恐縮してしまう。
「でも……」
「ルルさんは、もっと堂々としてください。後、さっきはお世辞と思われたみたいですけど、本心ですよ」
「……え?」
驚いてノエンを見上げると、ノエンはクスッと小さく笑った。
「貴女は可愛い。そのソバカスも、星が散ったようでとても愛らしいです。もっと自信を持ってください」
「……そんなこと言われたの、生まれて初めてだわ……」
見下され、下げずまれてばかりだった自分に、初めて与えられた優しい言葉は、ルルの心に染み込んでいく。
「ならば、光栄ですね。私が初めて貴女の魅力に気付いたんですから」
どこか悪戯っぽく笑うノエンに、ルルは心を開く。
「……ありがとう。貴方は優しい人ね」
恥ずかしいが嬉しい。こんな気持ちも初めてだ。
ルルはノエンに笑ってお礼を言うと、先程よりも張り切って中を案内する。
「この子は人魚のメイで、この子はカーバンクルのロップ!」
幻獣達を紹介すると、ノエンは頷きながら幻獣達にも会釈をする。
「最後に、エルフのリュートよ」
リュートは二人の方を見ようとせず、棚の上に座って顔を反らしていた。
幻獣達は何かあってはいけないからと、ルルが面倒を見てからも、檻の中に入れられている。
だが、リュートなら大丈夫だろうと、檻の外で寝起きしてもらい、高い所が好きなのか、棚の上に乗っていることが多い。
「リュート。新しい仲間なんだから、ちゃんと挨拶したら?」
流石にノエンの前で、ガングロ呼びを躊躇ったのか、ルルは名前でリュートを呼ぶ。
だが、リュートは一度だけノエンをチラ見してから、また前を向いてしまった。
「……彼は、喋れないんですか?」
「ううん。いつもは嫌味ばかり言うのよ。今日は何だか大人しいけど」
困ったように眉を下げると、ノエンは気にしていないと笑った。
「じゃあ、次は私の一番大切な友達を紹介するわね。この部屋の隣にいるの」
「それは楽しみです」
嬉しそうに笑いながら、ルルは扉の奥へノエンと消えた。
そんな二人を見下ろし、リュートは顔をしかめる。
「……馬鹿なやつ」
ぼそりと呟かれた言葉は、空気と共に溶けて消えた。
『……』
「この子が、私の相棒。ラッドよ!」
ルルはラッドの鼻を擦りながら、ノエンを見た。
「なるほど……これが、マンティコア」
どこか呟くように言うと、ノエンは一歩足を踏み出す。
すると、ラッドは威嚇をするように唸りだした。
鼻の上に皺が寄り、牙を剥き出しにしている。
「ラッド?……新しい人が来たから、びっくりしたのかな?……大丈夫よ!この人は悪い人じゃないから」
ルルはラッドを安心させるように微笑むと、ラッドは唸ることを止めた。
「ありがとう」
「……この幻獣は、ルルさんのことを、とても信頼しているんですね」
ノエンは実に不思議だと言うように呟く。
「ラッドと私は、小さい頃から一緒にいるから、私のことを母親代わりと思っているのかも。それに、幻獣達は普通の獣達よりも遥かに賢い。だから、私の言葉に耳を傾けてくれたんだと思うわ」
「貴女は、やはり素晴らしい人ですね」
ノエンに褒められ、ルルは頬を掻く。
また顔に熱が集まり、胸の奥が落ち着かなくなった。
(……この気持ちは何だろう?)
鼓動の音が、耳にも聞こえてくる。
「ルルさん、良かったら私に、幻獣達のことを、色々教えて下さい。流石に幻獣使いにはなれませんが、貴女のお手伝いがしたいんです。貴女は一人で幻獣達の世話していると聞いたので」
気遣うようなノエンの言葉に、ルルは笑って首を振った。
「その気持ちは嬉しいですけど、幻獣達の面倒を見るのは、私が団長さんとした約束ですから大丈夫です!」
「あ、そう言えばそうでしたね。……すみません。余計な気遣いを―」
「違うの!ノエンさんの気遣いは、本当に嬉しいと思ったのよ。でも、私は私の役割をちゃんとこなさなきゃいけないと思ったの」
ノエンのどこか落ち込んだような姿に、ルルは慌てて言葉を足すが、やはりノエンは肩を落としたままだ。
「そ、そうだ!幻獣達のことなら教えてあげられるから、私が遊んであげられない時は、ショーの練習の合間にでも一緒に遊んであげてくれないかしら?」
「……はい。よろしくお願いします」
ホッとしたように胸を撫で下ろしたノエンに、ルルも安心した。
ノエンの気遣いの心は嬉しかったが、それよりも自分が役ただずと判断されてしまう恐怖が勝った。
ルルはこんな所で、爆弾に吹っ飛ばされて死にたくなどないのだ。
「はっ!」
放り投げられたお手玉を、玉に乗りながら器用に回すノエンの姿に、ルルは昔見たサーカスを思い出す。
白塗りの顔に、髪は帽子の中へきっちり詰め込まれ、雫と月の模様を、左右の頬に描かれた姿は、完全に別人と言えるだろう。
だが、ルルはそんなノエンの姿にさえ、心が暖かくなるような、そわそわとした気持ちになる。
けれども、それがとても嬉しいことに気付いてから、ルルは幻獣達だけでなく、ノエンと一緒にいられる時間に幸せを感じていた。
「そう言えば、ノエンさんは元々貴族の人なんでしょう?どうしてサーカスに来たの?」
ジャグリングをしているノエンに、ルルは気になっていたことを聞いてみる。
すると、ノエンは困ったように笑う。
「お恥ずかしい話なんですが、私は根っからの貴族の人間ではないんです」
「え?」
「養子というやつですね。私は貴族の家に引き取られましたが、なんと言うか、養父や養母の理想の子供では無かったらしく、こうやって売られてしまったんです」
眉を下げながら、頬を掻くノエンに、ルルも目を伏せた。
彼も自分と同じなのだと。
「ルルさんは、どうしてここに?」
「……私も、父と母に売られてしまったの」
ルルはラッドの側に座り込むと、力なく笑う。
「二人にとって、私は邪魔たったから」
「……すみません。余計なことを聞いてしまいましたね」
ルルの話に、ノエンは悲しそうに眉を下げたが、ルルは首を振った。
「ううん、話したのは私の意思よ。ノエンさんが気にすること無いわ」
「私達は、似た者同士なんですね……ルルさん」
ノエンはルルへと手を差し出す。
「?」
ノエンの意図が分からず困惑すると、彼は構わずルルの手を取り、立ち上がらせた。
「困ったことがあったら、必ず相談してください。役に立つか分かりませんが、私は貴女の味方でいると約束します」
ノエンの言葉に、暫く口を開けなかった。優しい彼の言葉に、胸が一杯になり、どう返せば良いのかと悩んだ。
「あり……がとう」
泣きそうになった顔を見られたくなくて、ルルは下を向きながらお礼を言った。
『……』
ラッドも負けじとルルの背中に鼻を擦り付ける。
「ふふっ。ありがとう、ラッド」
ラッドにすがり付くと、太陽のような匂いがした。
恐ろしい見掛けからは想像出来ないほど、ラッドの体温は優しい暖かさをくれる。
(私……ラッドも好きだけど、ノエンさんのことも……好きだわ)
ラッドと同じくらいに、ルルはノエンが好きだと気付いた。
その事が、本当に嬉しかった。
ノエンがショーに出る日がやって来た。
想像していたよりもずっと客受けが良く、彼がおちゃらけたり、時々わざと転んでどじっぷりを見せたりすると、会場は笑いに包まれる。
そう、ピエロは笑われるためにいるのだと、改めて思う光景だ。
そして、皆に笑われながら、ノエンも笑うその姿に、何故か胸が痛んだ。
彼もまた、自分と同じように、ショーをしていても楽しくないと思っているのではないかと思うのだ。
けれども、ノエンとルルには明らかな違いがある。
彼の腕にも、首にも、団長の所有物である証がないのだから。
今、団長の所有物である証を着けているのは、自分を除けばエルフの数名だけ。
幻獣達のは、ルルが外してほしいと頼んだのだから、してないのは当たり前だが。
何故、ノエンには何も着けなかったのだろうか?
「……団長さんは、何を考えてるのかしら?」
ラッドの頬を撫でて、ぼんやりと呟く。
(勿論、ノエンさんが爆弾を付けられなかったのはいいことだと思うけど……)
けれども、何か引っ掛かった。
だが、その違和感の正体が全く分からない。
(私が幻獣の調教師になってから、団長さんとは事務的な会話しか交わしてないわ。……団長さんは、年々私に距離を置くようになった)
元々、団長から親の愛など期待していない。だから、心に距離があろうが、今更気にしない。
けれども、ノエンと良く話をしている姿は見掛けていた。
何の話をしているのかは分からないが、ノエンと話してる時の団長は、何だか楽しそうなのだ。
楽しそうと言うよりも、にやっと口端をあげた、嫌な笑みと言うべきだろう。
悪巧みをしている時や、団長にとって得なことがある時は、良くああいう笑みを浮かべている。
だが、何故ノエンと話をしていて、そんな笑みを浮かべるのかは理解不能だ。
「……おい」
不機嫌そうな声も、ルルの耳には入ってこない。
(団長さん。ノエンさんに何か悪いことしなきゃいいけど)
「……おい、タワシ」
(もしノエンさんに何かあったら……)
「………………」
全くこちらに反応を返さないルルの背中を見ながら、リュートはつまらなそうに眉を潜める。
ノエンが来てから、ルルはリュートの嫌味にも、あまり反応を示さなくなった。
それに、時間があればすぐノエンの元に行き、ノエンが練習している時も、ちらっと見ては嬉しそうに笑っている。
本人は気付いてないようだが、回り(特にリュートから)見れば気持ちはバレバレだ。
(……あんな胡散臭い奴の何がいいんだ?)
最初からニコニコ笑って近寄ってくる人間に、ろくなやつはいないだろうとリュートは思う。
(俺の時と態度も違うし、イライラする)
勿論それは、リュートが棘の付いた言葉ばかりルルに投げ出すからなのだが、リュートは自分が間違ったことは言っていないと思い込んでいる。
それは、人間が彼に植え付けたもののせいなのだろうが。
(信じれば信じるほど、裏切られた時の傷がどれくらいのものかも、こいつは考えてないんだな)
目を閉じれば浮かぶ、赤い鮮血。鉄の匂いが充満した部屋で、半月のようにニッコリと笑顔を浮かべる人間達。
幼い手は刃物を握りしめながら、長い髪を掴んで、尖った耳を切り落とした男へと振りかざす。
だが、大人数に子供が勝てるはず無かった。
(……人間は、弱いから自分以外の強い生き物を恐れる。そして、幻獣を縛り付けることで、自分達が優位だと思い上がる)
この世界で最も優れていると、勘違いをしている馬鹿な生き物だと思った。
そんな生き物と同じ世界で生きているなど、ヘドが出るほど嫌だった。
身体中に走る電撃。肌を切り裂かれる感覚。
残酷なのは、この世で最も愚かなのは、人間だと。
だからリュートは人間を憎んだ。
それは、今も変わらない。
自分を道具にするだけでは飽きたらず、サーカスへと売り出し、見世物にされた恨みは、心の中にいつも渦巻いている。
だが、それでも最近は、少しだけ憎しみは和らいだ。
消すことは出来なくても、咄嗟の衝動で相手を殺そうと思わなくなった。
それは、間違いなく彼女の影響だろう。
気に入らないと思うこともあるし、親しくなれば、ちょっとしたことでイラッとする時もある。
けれども、居なくなってほしいかと聞かれたら、正直困るくらいには、リュートはルルを認めている。
(……お前が人間に生まれなければ良かったのにな)
自分と同じエルフなら、もっと彼女が賢かったら、きっとノエンなどに心を揺さぶられたりしなかっただろう。
「……コガネムシ」
「……」
今度は虫に例えてみたが、案の定聞こえてないため無視である。
(……なんか寒っ)
何故か悪寒のようなものを感じ、リュートは今度は小さく息を吐く。
「………………ルル」
「……」
初めて呼んだ名前にさえ、ルルはやはり反応を返さず、ノエンの芸をジッと見ていたのだった。
「さて、お待たせいたしました。いよいよフィナーレです!」
ルルとラッドのショーが終わると、団長は両腕を広げ、声高々に言う。
「リュートとノエンの剣舞を、どうぞご覧下さい!」
(え?)
隅へと引っ込んだルルは、団長の声に思わず振り返る。
そんな予定があったなど、聞いたことがなかった。
「……何のつもりだ」
リュートも知らなかったのか、剣を持ちながら団長を睨んでいる。
「リュートの細身の剣と、ノエンの刀。この二つで彼らは舞います。刀と言うのはあまり馴染みの無い方も多いでしょうが―」
刀とは、海の向こうで昔使われていた武器だ。
団長が刀の説明をしている間に、コツコツと足音か聞こえ、ルルとリュートは振り返る。
すると、着替えたのか何時もの服装のノエンが、手に長細い黒い棒のような物を持っていた。
これが、刀だろうか?
「よろしくお願いしますね、リュートくん」
「……」
「リュート。無視は良くないわ」
穏やかなノエンに対し、リュートは自分より背の高い男を睨み上げた。
ルルの諭す声にも耳を貸さず、探るようにノエンを見ている。
「……」
「……」
暫く気まずい空気が流れ、ルルはどうするべきかと困るが、それでも終わりと言うのはくる。
「団長の命令で仕方なくだからな。俺はお前なんか嫌いだ」
「ちょっと、リュート!」
「いいんですよ。ルルさん……当然のことなんですから」
咎めるような声を制し、ノエンは悲しそうに微笑んだ。
(どうしてリュートは、こんなにノエンさんのことを嫌うんだろう?)
リュートが人間嫌いなのは知っているが、ノエンに対する警戒心が強すぎる気がする。
「とにかく、よろしくお願いします」
「……ふんっ」
刀を構えたノエンと、剣を構えたリュートが舞台に上がると、観客は拍手を送る。
「はっ!」
「っ!」
ノエンが演奏と共に走り出し、トランポリンに飛び乗って高く飛び上がると、リュートも同じように飛び上がる。
鞘から刀を引き抜き、見えない敵を切るかのように横へなぎ払うノエン。
剣を上へと突き上げ、体を捻り横へと回転し、トランポリンの上に降りたリュート。
二人の舞いに、人々は息を殺すように眺めていた。
そして、リュートとノエンが同時に飛び上がり、同じくらいの高さに達する。
「……リュートくんは、ルルさんが好きですか?」
目の前に来たノエンが、どこか探るようにこちらを見ていることに、リュートは知らず顔をしかめていた。
「可愛らしい方ですが、少し危ういところがありますね。幻獣と人間が同じだと思っているみたいです」
「……」
「……幻獣など、家畜にすらなれないというのに」
「!」
ノエンのどこか皮肉げな笑みを見た瞬間、リュートの頭の中がカッと熱くなった。
そして、勢いに任せ剣をノエンへと振り下ろす。
だが、ノエンはリュートの剣を受け止め、再びニコリと笑みを浮かべる。
「おい、今の当たったらヤバかったんじゃねぇか?」
「ああ。本気で当てる気みたいだったな」
観客のざわついた声に、ちらっと視線を送ってから、ノエンはリュートを見直す。
「……駄目ですよ?今は演義中なのですから」
「……チッ」
小さく舌打ちをすると、二人の体はトランポリンへと落ちた。
リュートはその後、宙返りをしてもう一度飛び上がると、ノエンを睨む。
ノエンはただ笑ってリュートを見上げてから、トランポリンを降りて、刀に左手を添えて舞う。
リュートも空中で剣を放り投げ、トランポリンに着地すると同時に剣を受け止めた。
そして、二人同時に頭を下げると、また大きな歓声と拍手が会場を包んだ。
「素晴らしい!皆さん、もう一度二人に拍手を!」
団長の声に、観客達はまた大きく手を叩き、耳に痛い音が何時までも鳴り響いていた。
「お疲れ様二人とも!」
「ありがとうございます。ルルさん」
ルルがタオルを渡すと、ノエンはお礼を言って受け取り、リュートもそっぽを向いたままタオルを受け取る。
「それにしても、さっきリュートがノエンさんに剣を振り下ろしたから、私びっくりしちゃったわ」
遠目で見ていたので、リュートの表情は分からなかったが、リュートがノエンを嫌っているのは知っているので、本当に怪我をさせる気かと心配だった。
「……」
「あれは、元々予定に組まれていたんですよ」
「そうなのね!」
勿論、リュートとノエンが一緒に舞うのなど初めてだし、そんな予定が無かったのは確かだ。
だが、あまりにも当たり前の顔で言うものだから、ルルは深く追求しなかった。
(……こいつ。何のつもりだ?)
怒りに任せてノエンを殺そうとしたことなど、本人は分かっていた筈だ。
なのに、ノエンはそれをルルに告げなかった。
それが、かえって不気味に感じる。
「あ、ちょっと私は団長さんに用があるので、これで失礼しますね。お二人もよく休んでください」
ノエンは手を胸に当てて会釈をすると、テントの奥へと消えていく。
そんなノエンの後ろ姿を、ルルはジッと見ていた。
「……あいつは、信用するな」
「?何よ急に」
ルルは訝しげな視線をリュートに送るが、リュートはルルを一切見ず、テントの奥へと消える。
残されたルルは訳が分からず、頬を膨らませた。
「何なの?変なリュート」
『ウォン』
ラッドの頬を撫でながら、ルルはため息を吐いた。
「……ま、仕方無いか……ラッド。戻りましょう?」
『ウォン!』
賛成と言うように一声鳴くと、ルルは笑ってラッドと共に、幻獣の部屋へと向かった。
「……え?ラッドを……ですか?」
「ああ。元々ラッドを売ってきた方だからな。断りようは無いだろう」
団長と向かい合ったノエンは、先程聞いた話に目を瞬かせた。
「それはそれは。……けれども、ルルさんが納得するでしょうか?」
「しないだろうな。何せ一番付き合いが長いからな。だが、拒否権など無い。……所詮、幻獣など商品にすぎんのだからな」
「……では、私はこれで失礼します」
団長に頭を下げて、ノエンは部屋を出る。
そして、小さく笑みを浮かべ、腰に差している愛刀を見下ろす。
(……どうやら、早い内に望みが叶いそうだな)
喉の奥で笑うノエンの姿に気付く者など、誰も居なかった。
ショーから数日後のこと。
ルルは妖精のために花を摘んで、テントに戻ってきた。
すると、見知らぬ馬車がテントの前に丁度止まった。
そして、少し年を取った男女と、幼い少女が降りてきて、テントの中へと入っていく。
不思議には思ったが、恐らく団長の知り合いだろう。
ルルは妖精達に花を渡すため、テントの中へ入る。だが、幻獣の部屋を通る前に、団長の仕事部屋がある通路を通らなくてはいけない。
勿論、聞き耳をたてるつもりは無いので、さっさと通りすぎるつもりでいるが。
「………ドを?」
「ええ……ひき……たいの」
仕事部屋の前を通った時、ルルは不意に聞こえた単語に足を止めた。
もしかしたら聞き間違いだったかもしれない。けれども、今確かに、ルルのよく知っている名前が聞こえた。
いけないことだとは分かっている。だが、ルルは気になって仕方無くなった。
心の中にじわりと不安が広がっていく。
出来れば聞き間違いであってほしいと思いながら、ルルは足音に気を付けてドアへと耳をくっ付けた。
くぐもっているが、何とか会話の内容を拾うことができ、ルルの顔は青ざめていく。
そして最後まで聞く前に、ルルはラッドのいる部屋へと走り出した。
恐らく足音から、聞き耳をたてていたことはバレただろうが、そんなことに構っている暇はない。
(どうしようっ……どうしよう?!)
ルルの頭の中に、先程の言葉がこだまのように響く。
『ラッドを買い戻したいんですの。元々主人が捕らえたのですし、随分従順になったのでしょう?……娘が欲しがっておりましてね。構いませんわよね?』
『ええ、勿論ですとも!それで、いくら位出していただけるんですか?』
嬉しそうな団長の言葉に、ルルは強く唇を噛み締めた。
(団長さんは、ラッドを売る気なんだわ!)
納得できない。許せないと言う気持ちがルルの中で渦巻いている。
十歳の頃からずっと一緒にいた相棒、我が子のような存在。
大切な友達を、奪われるのなんて耐えられない。耐えられる訳がない。
(ラッドを、隠さなきゃ。……でも)
隠すだけでは駄目だ。何とか諦めてもらわなければ。
「ラッド!!」
幻獣の部屋の扉を乱暴に開け、幻獣達は驚いてルルを見る。だが、ルルは幻獣達を見ることなく、ラッドのいる部屋のドアへと走りより、再び乱暴に開けた。