幻獣サーカスの調教師

団長と約束した通り、ルルは次の日から、他の幻獣の面倒を見始めた。

団長に言ったルルのやり方は、鞭を使わないことと、首輪を着けないことだ。

頼み込んで幻獣達の首輪を外してもらったが、その代わりルルの首には、銀の首輪が着いた。

だが、これはルルが望んだことの代償だ。

ルルは黙ってそれを受け入れた。

そして、首輪の外された幻獣一匹一匹を観察し、話しかけ続ける。

人魚の水槽を綺麗にしたり、ラッドに聞かせているような演奏をしたり。

必然的にリュートの世話もすることになるので、ルルはリュートにも同じように接した。

その度に「鬱陶しい」や「あっちに行け」など色々言われたが。

それでも、ルルはもう逃げることは止めようと思った。

お互いにサーカスの一員なのだ。

「でも、やっぱり大変……かも」

掃除や料理はエルフがやっているが、沢山いる幻獣達の面倒を見るのは、ある意味大変だった。

それに、ラッドの世話も続けていなければいけないので、手際よくこなさないと、自分が倒れてしまう。

幻獣達は首輪を外されてからも、やはりまだ虚ろなのだが、我が儘を言うわけではない。

だが、餌をあまり食べようとしてくれないことに、ルルは困り果てた。

特に妖精は、出された食事には、一切手をつけようとしない。

そのため、妖精の光は金色ではなく、紫色と灰色が混ざった光を放っていた。

妖精の世話をしていたエルフに、何を食べさせていたのか聞いたら、団長の命令で教えられないと言われた。

だから、ルルが自分で何とかするしかないのだが。

ルルはふと、観察していた妖精の容姿を見て、首を傾げる。

妖精の頭には、竜胆(りんどう)の花が帽子代わりに被せられており、他の妖精達も、体の一部に草花の模様の刺繍がされていた。

恐らく、元からあるものたろう。

(妖精にも沢山種類がいるんだっけ……そうだ)

一つだけ思い付いたルルは、団長の元へ行き、外出の許可を得る。

町にはいけないが、近くの森ぐらいなら出歩いていいと言われたので、ルルはラッドを寝かし付けてから、すぐに森の奥へ向かった。


「……綺麗」

森の奥の花畑にやってきたルルは、久しぶりに見た優しい景色に、心弾ませた。

だが、のんびりしている時間はない。

ルルは妖精達の特徴を書いたメモを取り出すと、それぞれ種類の違う花を摘んでいく。

この国の気候は、植物を育てるのに適しているのか、色んな種類の花が密集しやすい。

「……これくらいあればいいよね」

摘み終わった花束を持って、ルルはテントへと早歩きで帰っていった。
「はい!」

摘んできた花の一本を、妖精へと渡していく。

妖精は花を受け取った途端、弾かれたように花へと顔を埋めた。

ズズッという吸い上げるような音から、花の蜜を飲んでいるのだと分かる。

他の妖精達にも、同じようにそれぞれに合った花を渡していくと、皆花の蜜を飲み始めた。

(……よかった。故郷の味って訳じゃないけど、花の妖精には花の蜜がいいと思ったんだ)

蜜を飲んだ妖精は、金色の光を纏って、元の綺麗な姿に戻る。

そして、ルルの目の前にいた妖精は、小さく羽を動かした。

まるで、お礼を言われてるみたいだ。

「まだおかわりあるよ?」

同じ種類の花を差し出すと、妖精は首を振った。

そして、羽を震わすと鈴のような「リン」とした音が聞こえた。

「?どうしたの?」

「もう充分だと」

何をしているのだろうと首を傾げると、意外な方向から答えが返ってきた。

ルルは声の主を振り返る。

相変わらず不機嫌そうな顔でルルを見ているが、ルルは前ほどリュートが嫌だとは思わなくなった。

「リュートは、妖精さん達の言葉が分かるの?」

「エルフだからな。妖精だけじゃなく、幻獣達の言葉は全部分かる」

ふてぶてしい声で答えるリュートに、ルルはふと思い出す。

「じゃあ、ショーの時に人魚さんが歌ってた歌の歌詞も?」

あの時、人魚はどんな気持ちであの歌を歌っていたのだろうかと気になっていた。

「あれは、故郷を思う歌だ。帰りたいという意味を込めた、悲しい歌。お前達の言葉に言い直すなら―」

リュートは遠くを見ながら、淡々と歌詞を復唱する。

「遠き記憶よ 海の星よ いつか帰りつくその日まで 私の命を燃やしておくれ 海の粒が弾けたら 私の声を届けておくれ もしも私が帰れぬならば この身を離れて魂だけで 愛しい故郷へまい戻ろう」

黙ってリュートの言葉を聞いていたルルは、胸が苦しくなるのを感じた。

あの人魚は、歌詞の通りに、魂だけでも生まれた故郷へと帰れたのだろうか?

「……死んだ後の事なんか、死んだ奴にしか分からない。だから、お前が泣いても何の救いにもならないだろ」

「……分かって……る」

いつの間にか泣きじゃくっていたルルに、リュートは淡々と返す。

けれども、もしルルがこの時顔を上げていたら、リュートがどんな顔でルルを見ていたか、泣いてるルルに何を思ったのか分かっただろう。

だが、ルルは人魚があまりにも可哀想で、膝に顔を埋めて泣いていた。

人魚が死んだあの時、ルルは昔死んだ鳥を思い出した。

小さくて可愛くて、でも酷い怪我をしていて、ルルは何とかその子を助けてあげたかった。

だが、こっそり面倒を見ていたことがバレて、父親に小鳥を取り上げられ、目の前で地面へと叩き付けられた。

小鳥はすぐに動かなくなり、ルルはその時、心が凍っていくような感覚を味わった。

動かない鳥、まだ翼を広げ、いくつもの空を飛び回れたであろう命。

それを、父は笑って奪った。

けれども、ルルは父に逆らうことも出来ずに、動かなくなった小鳥を埋めていた。

あの時と同じ思いを、これから先何度でもするのだとリュートに言われた時、こんな所になどもう居たくないと思った。

サーカスを飛び出して、どこまでも逃げ出したい衝動に駆られた。

けれども、出来なかった。

腕に着いた首輪を見ると、死にたくないという思いが沸き上がる。

それに、ラッドのことが頭の中に浮かぶと、どうしても逃げ出すことが出来なかった。

だから、ルルはここに残った。


ラッドの元へと行くと、檻の中に入り、すがり付くようにラッドの顔へと頬を寄せる。

(……私の、希望)

その希望を壊させないためにも、ルルは生き抜こうと誓った。
一ヶ月後。

長いようで短い期間で、ルルはちゃんと幻獣達の面倒を見た。

そして、約束通りそれ以降も幻獣達の世話をしている。

今日は、初めて幻獣達とラッドを一緒に行動させる日だった。

幻獣達は首輪を外され、ルルが与える餌を良く食べる内に、少しずつ目に光が戻っていき、完全ではないが、皆元気になっていった。

妖精達も、元々が悪戯好きな性格のせいか、ルルを困らせることもあったが、それでもルルを信頼し、ルルも信じた。

幻獣と人が、同じように生きられるのだと。

「さ、怖がらなくても大丈夫だから、皆で遊ぼう?」

先に幻獣達を会場へと集め、その後ラッドを連れてくると、他の幻獣達は怯えたように身を縮こませる。

ラッドの方は、何故怯えられているのか分からないのか、幻獣達の方へと歩み寄った。

「大丈夫だよ皆。ラッドは皆を傷付けたりしないよ?」

ルルはラッドの頬を撫でて、安心だと伝えるが、やはりラッドに近寄ろうとする幻獣はいない。

どうしようとルルが困り果てると、不意に幻獣達を掻き分けるようにして、リュートが前に進み出た。

「……リュート」

「大丈夫だ」

リュートはルルを見ず、穏やかな口調で言いながら、ラッドへと手を伸ばした。

「俺はお前を否定しない」

それは、ルルが見たことのないほどの、優しい微笑みだった。

ラッドは鼻を小さく動かし、リュートの手を嗅ぐと、試しにと舌を出して舐めた。

ライオンと同じく、ラッドの舌はヤスリのようにザラザラしてるので、舐められたら痛いでは済まないのだが。

リュートは平気なのか、大人しく指の先を舐められている。

自分は味方だと証明するように。

そして、ラッドはルルにするように、顔を寄せてリュートに頬擦りをした。

その様子に、他の幻獣達も安心したのか、少しずつだが、皆ラッドの側へと寄っていく。

すると、ラッドは他の幻獣達にも、同じように頬擦りをしたり、鼻を擦り寄せたりしていた。

(これが、彼ら幻獣達だけが住む世界の姿)

何となくだが、ルルはそんな風に思った。

もしも、幻獣だけが住む世界があるのなら、そこに住む幻獣達は、きっと今目の前の彼らのように生きているのだろう。

(……見世物でも商品でもない。あるがままの姿)

ルルは一つだけ夢が出来た。

いつか、幻獣の楽園を作りたいと。

勿論、団長は大事な商品を手離さないだろうし、楽園など夢物語だ。

だが、叶わない夢と知りながらも、ルルは思い描かずにはいられない。

その夢を叶えるために頑張ろうと思えば、ルルは毎日を生きていくことが出来るのだ。

(そして、その楽園で私も皆と暮らしたい)

幻獣使いと言う言葉が、ルルは嫌いだ。

彼らを力で従えることも、自分の思い通りに動かすのも嫌だ。

恐怖で縛らずとも、こちらが心を砕いて、寄り添って、愛情を与えれば、きっと彼らも同じように思ってくれる。

相手を信じない者が、相手に信じてもらえる訳がないのだから。

ルルはどんな時でも、幻獣達を信じようと思った。
あれから、幾つもの朝と夜を繰り返した。

子供だった少女は、今年で十七才になり、幼獣だったマンティコアの子供は、成獣へと成長した。

そして、今日も少女は偽りの仮面を張り付けて、ショーを彩る。

アコーディオンを奏でながら、少女はマンティコアの背に乗り、観客の上を飛び回る。

そして、金と銀の紙吹雪を舞い散らせ、人々の歓声を浴びながら、笑顔で手を振る。

そして、最後にお辞儀をして舞台の隅へと引っ込んだ。

(……何年たっても、楽しくないな)

幻獣達とただ一緒に遊んでいる時は楽しいが、見世物として舞台に立つと、心の中にある扉に、自然と鍵をかけてしまう。

乾いた心で、偽りの仮面を付け、演義を披露する偽物の自分。

今では、そんな自分に慣れてしまった。

リュートも少年から青年に成長し、容姿に恵まれているせいか、最近は女性の観客の受けが良い。

リュートの剣舞が終わると、また耳に痛いほどの拍手が聞こえ、ショーは幕を閉じた。

「……ゾウリムシ」

「……何よ。ガングロ男」

客が帰ると、リュートはルルへと歩み寄る。最近は微生物で例えるのが流行りらしい。

ルルは不機嫌な顔でリュートを振り返った。

「団長が呼んでる」

「?何の用かしら?」

「……新入りのことだろ」

リュートの言葉に、ルルは納得したように「ああ」と頷いた。

「そう言えば、新しい団員が入るって言ってたわね。私と同じ人間の……確か男性だわ」

ルル以来の人間の男性は、ピエロを務めるのだと団長から聞いていたとぼんやりだが思い出す。

後輩と言うことになるので、ルルは少しだけ楽しみだった。

「信用はしない方が良いと思うけどな。元々は貴族の息子らしいし」

「……貴族の?」

リュートの言葉に、ルルは目を伏せてから、すぐに団長の元へと向かう。


向かいながら考えていた。

(どうして、貴族の人を使うの?)

ルルはここ数年で、様々な知識を蓄えた。

殆どが噂話だが、このサーカスは貴族の娯楽のために作られたことと、幻獣を商品にすることはいけないということを知った。

だからと言って、どうにかなる訳ではないが。

幻獣を捕まえてきたのも、元々は貴族の人間で、扱いきることが出来ないから、団長の元へと売られた子が多かった。

そんな貴族の人間が、何故ここに来るのだろうか?

(考えたって仕方ないわ)

自分は自分の役目をこなせば良い。ルルはそう言い聞かせるように目を閉じてから、息を吐いた。

そして、目の前にある扉を見上げると、二、三回ノックをして返事を待った。

「誰だ?」

「ルルです」

「……入れ」

少し耳障りな扉を開け、ルルは中へと入った。
中に入ると、団長の側には黒い長髪の青年がいた。

服は前重ねで、灰色の少し裾が広がったズボンを履いており、この辺りの服装では無いことが分かる。

「……」

青年の顔にルルは見惚れた。

リュートは男だが、綺麗と言う言葉が似合いそうな感じだが、目の前の人は、格好いいと言う言葉が似合う。

ラッドを格好いいと思うのとはまた別だ。

なんと言うか、落ち着かない気持ちになる。

「何をぼんやりしてるんだ?」

「!すみません。彼が新しい団員の方ですね?」

ハッとしたルルは、すぐに背筋を伸ばす。

「そうだ。挨拶しろ」

団長は男性に目配せすると、男性は頷いてルルと向き合う。

「初めまして。今日からこのサーカス団の一員になります、ノエンと言います。どうぞよろしくお願いします。先輩」

「!せ、先輩だなんて……」

ニコッと優しく微笑まれ、更には「先輩」と呼ばれたことで、胸の奥がざわついた。

自分よりも明らかに年上の男性から、先輩扱いされるのは、嬉しいが恥ずかしい。

「私より長くここにいらっしゃるんでしょう?だったら、先輩で合ってますよ。ところで、お名前を伺っても良いですか?」

「あ、私はルルと言います。よ、よろしくお願いします」

穏やかな顔と丁寧な口調に、ルルは頬に熱が溜まるのを感じながら、ノエンへとお辞儀をする。

「貴女がルルさんですか。団長さんから話を聞いて、楽しみにしていたんです。幻獣の扱いには、誰よりも優れていると聞いて。……でもまさか、こんなに可愛らしい人だとは思いませんでした」

「か、かわっ!……いいえ、私なんてミソッカスだし、ソバカスまみれだし……可愛いなんて、あり得ません」

ノエンの誉め言葉に動揺したルルは、顔を真っ赤に染めて下を向いた。

何分容姿を褒められたことなどないので、どう返せば良いのか分からないのだ。

「……話はそれくらいにして、早速サーカスの案内をしてやれ」

「あ、はい。……こちらへどうぞ」

「ありがとうございます」

ルルはノエンと共に、団長の部屋を出た。
「ここが、幻獣達の部屋ですよ」

「ルルさん。先輩なんですから、普通に話してください」

年上に敬語を使うのは当たり前だと思っていたのと、ノエンの物腰の柔らかさから、ルルはどうしても恐縮してしまう。

「でも……」

「ルルさんは、もっと堂々としてください。後、さっきはお世辞と思われたみたいですけど、本心ですよ」

「……え?」

驚いてノエンを見上げると、ノエンはクスッと小さく笑った。

「貴女は可愛い。そのソバカスも、星が散ったようでとても愛らしいです。もっと自信を持ってください」

「……そんなこと言われたの、生まれて初めてだわ……」

見下され、下げずまれてばかりだった自分に、初めて与えられた優しい言葉は、ルルの心に染み込んでいく。

「ならば、光栄ですね。私が初めて貴女の魅力に気付いたんですから」

どこか悪戯っぽく笑うノエンに、ルルは心を開く。

「……ありがとう。貴方は優しい人ね」

恥ずかしいが嬉しい。こんな気持ちも初めてだ。

ルルはノエンに笑ってお礼を言うと、先程よりも張り切って中を案内する。

「この子は人魚のメイで、この子はカーバンクルのロップ!」

幻獣達を紹介すると、ノエンは頷きながら幻獣達にも会釈をする。

「最後に、エルフのリュートよ」

リュートは二人の方を見ようとせず、棚の上に座って顔を反らしていた。

幻獣達は何かあってはいけないからと、ルルが面倒を見てからも、檻の中に入れられている。

だが、リュートなら大丈夫だろうと、檻の外で寝起きしてもらい、高い所が好きなのか、棚の上に乗っていることが多い。

「リュート。新しい仲間なんだから、ちゃんと挨拶したら?」

流石にノエンの前で、ガングロ呼びを躊躇ったのか、ルルは名前でリュートを呼ぶ。

だが、リュートは一度だけノエンをチラ見してから、また前を向いてしまった。

「……彼は、喋れないんですか?」

「ううん。いつもは嫌味ばかり言うのよ。今日は何だか大人しいけど」

困ったように眉を下げると、ノエンは気にしていないと笑った。

「じゃあ、次は私の一番大切な友達を紹介するわね。この部屋の隣にいるの」

「それは楽しみです」

嬉しそうに笑いながら、ルルは扉の奥へノエンと消えた。

そんな二人を見下ろし、リュートは顔をしかめる。

「……馬鹿なやつ」

ぼそりと呟かれた言葉は、空気と共に溶けて消えた。
『……』

「この子が、私の相棒。ラッドよ!」

ルルはラッドの鼻を擦りながら、ノエンを見た。

「なるほど……これが、マンティコア」

どこか呟くように言うと、ノエンは一歩足を踏み出す。

すると、ラッドは威嚇をするように唸りだした。

鼻の上に皺が寄り、牙を剥き出しにしている。

「ラッド?……新しい人が来たから、びっくりしたのかな?……大丈夫よ!この人は悪い人じゃないから」

ルルはラッドを安心させるように微笑むと、ラッドは唸ることを止めた。

「ありがとう」

「……この幻獣は、ルルさんのことを、とても信頼しているんですね」

ノエンは実に不思議だと言うように呟く。

「ラッドと私は、小さい頃から一緒にいるから、私のことを母親代わりと思っているのかも。それに、幻獣達は普通の獣達よりも遥かに賢い。だから、私の言葉に耳を傾けてくれたんだと思うわ」

「貴女は、やはり素晴らしい人ですね」

ノエンに褒められ、ルルは頬を掻く。

また顔に熱が集まり、胸の奥が落ち着かなくなった。

(……この気持ちは何だろう?)

鼓動の音が、耳にも聞こえてくる。

「ルルさん、良かったら私に、幻獣達のことを、色々教えて下さい。流石に幻獣使いにはなれませんが、貴女のお手伝いがしたいんです。貴女は一人で幻獣達の世話していると聞いたので」

気遣うようなノエンの言葉に、ルルは笑って首を振った。

「その気持ちは嬉しいですけど、幻獣達の面倒を見るのは、私が団長さんとした約束ですから大丈夫です!」

「あ、そう言えばそうでしたね。……すみません。余計な気遣いを―」

「違うの!ノエンさんの気遣いは、本当に嬉しいと思ったのよ。でも、私は私の役割をちゃんとこなさなきゃいけないと思ったの」

ノエンのどこか落ち込んだような姿に、ルルは慌てて言葉を足すが、やはりノエンは肩を落としたままだ。

「そ、そうだ!幻獣達のことなら教えてあげられるから、私が遊んであげられない時は、ショーの練習の合間にでも一緒に遊んであげてくれないかしら?」

「……はい。よろしくお願いします」

ホッとしたように胸を撫で下ろしたノエンに、ルルも安心した。

ノエンの気遣いの心は嬉しかったが、それよりも自分が役ただずと判断されてしまう恐怖が勝った。

ルルはこんな所で、爆弾に吹っ飛ばされて死にたくなどないのだ。
「はっ!」

放り投げられたお手玉を、玉に乗りながら器用に回すノエンの姿に、ルルは昔見たサーカスを思い出す。

白塗りの顔に、髪は帽子の中へきっちり詰め込まれ、雫と月の模様を、左右の頬に描かれた姿は、完全に別人と言えるだろう。

だが、ルルはそんなノエンの姿にさえ、心が暖かくなるような、そわそわとした気持ちになる。

けれども、それがとても嬉しいことに気付いてから、ルルは幻獣達だけでなく、ノエンと一緒にいられる時間に幸せを感じていた。

「そう言えば、ノエンさんは元々貴族の人なんでしょう?どうしてサーカスに来たの?」

ジャグリングをしているノエンに、ルルは気になっていたことを聞いてみる。

すると、ノエンは困ったように笑う。

「お恥ずかしい話なんですが、私は根っからの貴族の人間ではないんです」

「え?」

「養子というやつですね。私は貴族の家に引き取られましたが、なんと言うか、養父や養母の理想の子供では無かったらしく、こうやって売られてしまったんです」

眉を下げながら、頬を掻くノエンに、ルルも目を伏せた。

彼も自分と同じなのだと。

「ルルさんは、どうしてここに?」

「……私も、父と母に売られてしまったの」

ルルはラッドの側に座り込むと、力なく笑う。

「二人にとって、私は邪魔たったから」

「……すみません。余計なことを聞いてしまいましたね」

ルルの話に、ノエンは悲しそうに眉を下げたが、ルルは首を振った。

「ううん、話したのは私の意思よ。ノエンさんが気にすること無いわ」

「私達は、似た者同士なんですね……ルルさん」

ノエンはルルへと手を差し出す。

「?」

ノエンの意図が分からず困惑すると、彼は構わずルルの手を取り、立ち上がらせた。

「困ったことがあったら、必ず相談してください。役に立つか分かりませんが、私は貴女の味方でいると約束します」

ノエンの言葉に、暫く口を開けなかった。優しい彼の言葉に、胸が一杯になり、どう返せば良いのかと悩んだ。

「あり……がとう」

泣きそうになった顔を見られたくなくて、ルルは下を向きながらお礼を言った。

『……』

ラッドも負けじとルルの背中に鼻を擦り付ける。

「ふふっ。ありがとう、ラッド」

ラッドにすがり付くと、太陽のような匂いがした。

恐ろしい見掛けからは想像出来ないほど、ラッドの体温は優しい暖かさをくれる。

(私……ラッドも好きだけど、ノエンさんのことも……好きだわ)

ラッドと同じくらいに、ルルはノエンが好きだと気付いた。

その事が、本当に嬉しかった。
ノエンがショーに出る日がやって来た。

想像していたよりもずっと客受けが良く、彼がおちゃらけたり、時々わざと転んでどじっぷりを見せたりすると、会場は笑いに包まれる。

そう、ピエロは笑われるためにいるのだと、改めて思う光景だ。

そして、皆に笑われながら、ノエンも笑うその姿に、何故か胸が痛んだ。

彼もまた、自分と同じように、ショーをしていても楽しくないと思っているのではないかと思うのだ。

けれども、ノエンとルルには明らかな違いがある。

彼の腕にも、首にも、団長の所有物である証がないのだから。

今、団長の所有物である証を着けているのは、自分を除けばエルフの数名だけ。

幻獣達のは、ルルが外してほしいと頼んだのだから、してないのは当たり前だが。

何故、ノエンには何も着けなかったのだろうか?

「……団長さんは、何を考えてるのかしら?」

ラッドの頬を撫でて、ぼんやりと呟く。

(勿論、ノエンさんが爆弾を付けられなかったのはいいことだと思うけど……)

けれども、何か引っ掛かった。

だが、その違和感の正体が全く分からない。

(私が幻獣の調教師になってから、団長さんとは事務的な会話しか交わしてないわ。……団長さんは、年々私に距離を置くようになった)

元々、団長から親の愛など期待していない。だから、心に距離があろうが、今更気にしない。

けれども、ノエンと良く話をしている姿は見掛けていた。

何の話をしているのかは分からないが、ノエンと話してる時の団長は、何だか楽しそうなのだ。

楽しそうと言うよりも、にやっと口端をあげた、嫌な笑みと言うべきだろう。

悪巧みをしている時や、団長にとって得なことがある時は、良くああいう笑みを浮かべている。

だが、何故ノエンと話をしていて、そんな笑みを浮かべるのかは理解不能だ。

「……おい」

不機嫌そうな声も、ルルの耳には入ってこない。

(団長さん。ノエンさんに何か悪いことしなきゃいいけど)

「……おい、タワシ」

(もしノエンさんに何かあったら……)

「………………」

全くこちらに反応を返さないルルの背中を見ながら、リュートはつまらなそうに眉を潜める。

ノエンが来てから、ルルはリュートの嫌味にも、あまり反応を示さなくなった。

それに、時間があればすぐノエンの元に行き、ノエンが練習している時も、ちらっと見ては嬉しそうに笑っている。

本人は気付いてないようだが、回り(特にリュートから)見れば気持ちはバレバレだ。

(……あんな胡散臭い奴の何がいいんだ?)

最初からニコニコ笑って近寄ってくる人間に、ろくなやつはいないだろうとリュートは思う。

幻獣サーカスの調教師

を読み込んでいます