黒川が、右川の頬を無邪気に指で弾いた。
それに反応して、一瞬だけ右川の目が曇る。
全然ハマってない。心を許して仲良くという雰囲気とは思えない。
絵に描いたような、なんちゃって。
なるほど。
「シラけた者同士、意外とお似合いだな」
つい嫌味が出た。
「そんじゃ、シラけてお付き合い1日目。さっそくだけど、ウチに来ねー?ゲームやろうぜ。ちょうど今夜、うるさい親もいねーから」
右川は虚ろに、「うん」と頷く。
今夜。
親の居ない家。
会う……意味分かってんのか。
「遊んでる暇なんか無いだろ。さっさと学校探せよ」
「うるせぇな。黙ってろ。おまえ彼氏でも何でも無ぇだろ」
「だったら彼氏が突っ込めよ。シラけてる場合か」
「言われなくてもそのうち突っ込んでやるワ。忖度しろや。クソうぜぇ」
黒川と、やんわり対峙したものの、これを対立と言えば言えるし、いつもの生ぬるい応酬と思えば思える。クダラナイと感じた。そんな誰が彼氏とか。
阿木とノリのチャレンジを、覚悟を目の当たりにした余波も手伝っていたように思う。呑気な恋愛事情を振りまく2人を目の前に、実の所、俺もシラけているのかもしれない。
黒川は、ぼんやりしている右川を強引に引き寄せた。
「とりあえず、今日は軽~るく1狩り、一発チューでもしとくかぁ」
好戦的だ。かなり踏み込んできやがる。
ここまで軽くいい加減に扱われているというのに、されるがまま、右川が何の嫌悪も見せない事が、釈然としない。
俺はその様子を冷静に眺めて、
「で、その一発。俺と黒川の差は、どんぐらい縮まるの」
黙りこむ右川に、やんわり突きつけた。
いつかを暗に晒して、蒸し返す……聞きようによっては、右川を取り合って黒川にケンカを売るような真似をして。桂木が居ないとは言え、こんな人前で。
くだらないと、俺はシラけているんじゃなかったか。
ていうか、踏み込みすぎたかもしれない。
「それ、どういう意味だ」
黒川が眼を剥いて迫ってくる。
その時、右川のスマホが鳴り出した。右川はすぐに反応して、ジッとその画面を見つめる。着信を知らせる音は長く続いた。だが、出る様子がない。
右川は相変わらず画面をジッと見つめて、微動だにせず。
まだまだ着信は鳴り続ける。
誰かが呆れたような溜め息をついた。
どっちもどっちだと、俺達をまとめて笑うみたいに。
「親父だ。じゃ、帰るね」
着信音を鳴らし続け、出て行くその後ろ姿は、それ以上何も語らないまま。
黒川が後を追う。
失恋の隙に付け込もうと企んでいる、としか見えない。
黒川みたいな男もどうかと思うけど、何より右川が……いくら大失恋だからって、自分を見失い過ぎだ。こんなの、山下さんが知ったら何て言うか。
阿木とノリの困惑とか当惑とか、そんな視線も気になり始める。
何人かが部屋を出て行く。
それと入れ違いに、また何人かが進路指導室に入って来た。
空気が入れ替わるみたいに、まるで何事も無かったように……気を取り直そうとして、国立の募集案内に向かおうとした時、そこへ桂木がやってきた。
部活、と思っていた。
まさか、今までのやり取りを聞いていたとか。
俺は一瞬、気配を殺した。今更を承知で。
桂木は、朗らかな笑顔で側に来て、
「あのさ、滑り止め、元のままにしたから」
開口一番、そう言った。
親も巻き込んで、そういう話し合いになったらしい。
「第一志望の京都に集中したいし、修道院を受けるためだけに、こっちに戻る時間も勿体ないから」
だから滑り止めも、関西でいくつか受けるつもり。
いつもの桂木だった。適度に砕けて。
何も聞いていない……ように見える。
例え聞かれていたとしても、ヤバい辺りは曖昧に濁していたらか晒してはいないと思う。これは確信というより、祈るしかない。
吹っ切れて明るい桂木を内心ホッとして眺めながら、俺は、またしても何も言えない状況に取り残されたと感じた。
もしまだ修道院に固執しているようなら、これからの事も含めて、きっぱり言う。今度こそ言う……だが、こうなってくるとその必要を感じない。
卒業まであと半年なんだから。このまま仲良く付き合って、お互い納得で自然消滅を迎えればいいじゃないか。
いい加減を百も承知で、残されたこれからの半年を思い描く。
卒業か。
阿木が、俺にも桂木にも意味ありげに目配せして、出て行った。
右川に何が起きたのか。気にならないと言えば嘘になる……後ろ髪引かれる様子ではありながらも、「実はこれから雑用でさ」と、ノリは嬉しそうな顔で消えた。(デートだな。)
桂木と2人で、向き合う。
訊くべき事は聞けた。さぁ、これから何を話そう。
いつもより沈黙が長く感じた。
程なくして、お互いスマホを手に取り、それぞれの相手先に夢中になる……俺はそういう振りをした。
時々、ちらっと桂木を盗み見る。何度見ても、目が合わない。
実は俺も新しいチャレンジが……それを伝えあぐねて、迷いが漂った。
遠くで、ドカドカドカ!だみ声がする。声は、どんどん大きくなる。
部屋の静けさ、重苦しい沈黙をブチ破って、大迷惑、永田がやってきた。
「おまえらよく聞けッ!オレ様は当然、兄貴と同じ大学に行くゼーッ」
誰に何の断りもなく一通り晒して、俺の隣に居座る。
「聞いてないよ。もう。静かにして。恥ずかしい」
咎めながらも、桂木は悪戯っぽく笑った。
永田の存在がどこか助かると、桂木も思っているんじゃないか。
黒川と親しい(?)永田に、あの一件を訊ねようかと考えて……今の時点で、それを知らないであろう桂木の前で話題に出すのもどうなのかと、躊躇と前乗りが交差する。
結果。
「永田って、滑り止めはどうすんの」と、何てことない雑談に決着。
「必要ねーって。そんなの推薦ゲットでGo!に決まってんだろがッ」
「だったら、もう此処に用は無いだろ」
ただでさえ3年生で密度が濃いこの空間、これ以上鬱陶しい空気で圧迫されたくない。そして……こいつとも大学でまた一緒なのかと、この時ばかりは他の大学を受けたくなった。
新しいフラグが、頭に浮かんできて……さっきよりも、はっきりと。
「じゃあな。邪魔者は消えてやるよッ」と気を利かせたつもりか。「飴くれッ」と、桂木からお菓子を根こそぎ奪って、永田は出て行った。
周囲の困惑が、今ははっきりと嫌悪に変わっている。同じグループ連中だと思われているとしたら……死にたくなるな。
その永田と入れ違い、女子が入ってきた。
「沢村先生~、こないだ色々世話になったねぇぇぇぇー」
メガネの女子。
メガネは銀縁。強力な個性。見覚えはある。だが、何かが噛み合わない。
「松倉さんて、メガネも似合うね」と、桂木は機嫌良く飴を渡した。
(まだ持ってた。)
「会う度に印象が変わる気がする」と桂木は言うけれど……いや、まったく変わらないだろ。この、ドラえもん体型。メガネだけで誤魔化される気がしない。(いや、さっき誤魔化されかけたし。)
修学旅行、選挙、付属のイベント……右川とツルんで仲のいい女子だ。
松倉はメガネを外した。
「目、悪かったっけ?」と、桂木が尋ねたら、
「コンタクト。メガネはなんちゃって。今またあたしの中でメガネが来てんのよぉ~」
いつもの間延びした声でコロコロと笑いながら、また再びメガネを掛けた。
「あたしも~、隣町の修道院受けるんだぁ~。沢村くんもだってぇ~?」
うん、という返事は幾分遅れがちになった。
「妹は元気?時々見かけるけど、どこで見たんだったかな」
頭の記憶を巡らせた。確か、あれからも時々見掛ける。
「あの子、演劇部だからぁ~。いつもステージにいるよ~。人のことオタクとか言ってさ~、あの子だってオタクだよぉぉぉ~。劇団ヲタク」
そうだった。部活中に度々目が合うから。
ふと浮かんだ。友達で吊るという手もあるかも。
「松倉が修道院受けるって、右川のヤツ知ってる?」
「どうだったかなぁ~」
「松倉が行くって聞いたら、右川も行くかな」
松倉は、ウーンと考え込んだ。
「どうだろ。最愛のアキちゃんが消えた今となっては、あいつがどうしたいのか。よくわからないねぇぇぇ~」
「消えた?どういう事?」と、桂木が差しこんで、松倉はその経緯あたりを訥々と語り始める。その場に居なかったにも関わらず、これがかなり正確だった。本人から何かしらの報告を受けたとみえる。
「ヤケになってるよぉ~。黒川なんかとぉ~、ちょっと付き合うとか言ってんだけど、知ってたぁ~?」
俺が躊躇する間もなかった。
「え!?付き合う!?黒川と!?」と、桂木が大声を張り上げて、今日一番、周囲の大顰蹙を浴びる。お静かに……。
「なにそれ。どういう事?」
「そうだよ。どういう事だよ」
俺はしらばっくれて桂木と並び、ここは初耳を装った。
「なーんか、成り行きでそうなったみたいな。一ヶ月の期限付きとかで」
一ヶ月限定。これは本人から報告を受けたと言う。
「あたし、右川に直接聞いてみる」と、桂木はスマホに打ち込む。
「すぐ既読になったけど、返信が無い」と、イライラして。
あの様子だと、誰が何を送っても、ぼんやり画面を眺めてスルーだな。
「松倉って、右川と同じ中学?」
「ううん。高校から」
それで、ここまで深く関わるとは……一目置いてみる。
「なんかアニメのDVD見せたら気に入ったみたいでぇ~。2人で盛り上がってさぁ~」
「右川って、なんか無いかな。そういう興味ある事っていうか」
「あ、まどかマギカ。右川も興味津々。大好きだって言ってたよぉ~」
論点がズレた。
「うわ、懐かしー。あたしも好きだったよ。マミさん」と、桂木は諦めてスマホを閉じる。
「こないだ~、魔法少女の衣装を巡ってプリキュアンと喧嘩になって~」
プリ?ドラえもん語が分からない。
「あいつら〝フリルとレースに意味なんか無い〟とか言うもんだからさ~。バカなの?」と、松倉は綿々と、魔法少女にまつわる持論を繰り出す。
「そこに思い入れがあるかどうか、の違いじゃない?幼稚園児とかだったら、フリルもレースも絶対でしょ」と桂木も興味津々で、話題に乗った。
俺の〝真面目な進路指導計画〟は、そこで終わった。
てゆうか続かなかった。
そこに進藤が呼びにやってきて、松倉と一緒に出て行ってしまったからだ。
桂木は、何度もスマホを確認した。溜め息を挟んで。
程なくして、
「あたしも、もう行くね」
今から友達と待ち合わせて、図書館に向かうらしい。
「沢村は?どうする?」
上目遣いの桂木に(大体女子は俺に対してみんな上目遣いだが)、これから部活だと告げた。