フカフカのフロア絨毯にヒールの踵を取られそうになりながらも
エレベーターまで肩で風を切るように進むと
下向きのボタンを連打する
ーー早く、早くーー
あれだけ言ったのだから追いかけては来ないはずだけど
同じフロアに居るというだけで落ち着かない
ベルの音が響いて扉が開くとサッと中へ入って一階のボタンを押すと同時に閉まるボタンをこれまた連打する
ーー早く閉まってーー
ゆっくり閉じ始めた扉の先にこちらへ走ってくるアイツが見えた
ーー早くーー
宛らゲーマーになったかのように連打する必死な私と
長い足で走ってきて扉が完全に閉まる寸前で手を隙間に挟んだアイツ
軍配は・・・
どうしてこうなんだろう・・・
高級なホテルのエレベーターのセンサーは虫にも反応するの?って程の恨めしさ
数センチの指先に反応して即座に開いた扉の前
呆然となる私を見て
したり顔で笑うアイツがいた
「勝手に言い逃げすんじゃねぇ」
エレベーターに乗り込んで2回目の壁ドンをした柊
両手の間に閉じ込められた私は
驚きと恐怖とよくわからないドキドキとが合わさって
いつもより息を吐きすぎて
コイツに囚われながら2回目の過呼吸に陥った
「は、はなっ!」
・・・・・・
・・・
・
広いお花畑でスキップしていた
モンシロチョウとミツバチ
そして・・・
湖に佇むのは・・・
「・・・っ!」
「気がついたか」
フカフカのベッドに寝かされていて
その脇には優しい顔で微笑む柊がいて
愛しむように頭を撫でている
「今度は俺が助けてやった」
スッと細められた目に
また急に強く打ち始める心臓
「そう照れるな」
甘く指摘されたことで
赤くなった頰に気づいた
なぜか柊も耳まで赤くしていて
極甘カップルの雰囲気
ーーち、違う!流されちゃダメーー
心に喝を入れながら
「ココドコ?」
敢えて抑揚を無くして聞いたのに
「ジュニアスイート」
部屋のタイプを答えた柊は
「急だったからさ、ここしか空いてなかったんだ」
更に残念そうな顔をした
「ご迷惑をおかけしました」
名残惜しいフカフカから起き上がろうとすると
両肩を持ってポフッと枕に戻された
「俺のせいで昼も夜も抜いたら、また倒れるだろ、そうじゃなくても軽すぎだ!ルームサービスを取ったから来るまで寝とけ」
柊は頭をポンポンと撫でるとベッドに腰掛けた
えーっと・・・
ここまでをまとめると・・・
連れ込まれる→文句を言う→逃げる→
捕まる→倒れる→抱っこされる→連れ込まれる
サワサワと撫でられる頭が心地いい・・・
「じゃない!」
心の声がダダ漏れで大きな声が出て驚く
「ん?」
頭を撫でていた手がオデコで止まって
顔を見つめられて一気に居心地が悪くなった
「さっき言ったこと、伝わった?」
「あ?7年前の恨み辛み?」
「そう!だから・・・」
「だから?」
「アンタと金輪際関わりたくない」
漸く藤堂室長に抱きしめられても平気なくらいに回復した苦手意識が悪化する
そう思ったのに
「俺、お前のこと好きだって言ったよな?」
だからってそれは・・・
私が口を開くのを拒むように
「7年前みたいに逃げられると思うな」
強い語気と漆黒の瞳に炎が見えた
「攻めて攻めて攻め落とすから覚悟しろよ」
・・・・・・
・・・
・
あれから・・・
ルームサービスの料理が届くまで寝かされていた私
至れり尽くせりのホテルの部屋の中での
二人っきりは不思議と嫌ではなかった
頭を撫でてくれる手も
笑いかけてくれる漆黒の瞳も
耳に心地よく響く声も
感情を乱してばかりでなんだか凹む
私の7年間って・・・
なんだったの?
柊の所為で怖かった男性との距離
柊の所為で恋も出来なかった
柊の所為で作れなかった彼氏
柊の所為で辛かった満員電車と満員のエレベーター
柊の所為で・・・
頭の中を支配する黒歴史を浮かべていると
「花乃」
低く甘い声が降った
「ん?」
「デザート・・・もう届く」
「あ、うん」
テーブルの上に広げられていた料理が片付けられると
デザートとコーヒーが運ばれてきた
「終わったら送ってく」
「うん」
言葉を発する毎に微笑む柊の顔を見るたびに
胸がトクトクと騒つく
ーー怖いのかなーー
そんな風に解釈してしまうのは
長いことトラウマに囚われていた所為なのかもしれないと
芽生えた気持ちが何なのか考えないように無理矢理誤魔化した
可愛らしいチョコレートケーキを食べるとウッカリ頰が緩みそうになる
お腹に力を入れて気持ちを立て直しながら
お昼を食べ損ねた本日二回目の食事が終わった
テーブルの上のキャンドルが灯されて部屋の明かりが少し落とされた
凄くムード満点なんですけど・・・
心臓が忙しく動き始め
目の前に座る柊が気になる
『攻めて攻めて攻め落とす・・・』
さっきの言葉は本当なのだろうか
もしかしたらドッキリなんじゃないか
そのうちに得意げな表情で
“お前、アレを信じたのか”なんて高笑いされるかもしれない
「花乃」
恨み辛みを言ったから仕返しの為のプロローグで
ここは恩を売る食事なのかもしれない
「花乃?」
大体・・・柊とは7年前に会ったっきりで
ニアミスすら無かったのだから
“ずっと好きだった”なんて言われても
俄かに信じ難いよね
「花乃!」
「へ?」
「何度も呼んだぞ?大丈夫か?まぁ、百面相は面白かったけどな」
「あ、うん」
「うんって、ハハハ」
お腹を押さえて笑っている柊をボンヤリ見ながら
アレコレ考え過ぎて妄想が広がってたことを思っていた
でも・・・
藤堂室長との妄想みたいにお花畑へ行くことは無くて
堂々巡りばかりを繰り返すのは
認めたくないけれど
コイツが気になっているから・・・
ずっと二人きりの空間も
全く緊張せずに過ごせていることも
そこに繋がっているのかもしれない
「外、見てみるか?」
変わらず穏やかな表情で微笑む柊に何度も目を奪われる
帰りたいのに合わせた視線を外せそうにない私はそのままコクコクと頷く
リモコンを操作すると
壁の重厚なカーテンが開き始め
それに合わせるように照明が消えた
「わぁ」
キラキラ輝く夜景が飛び込んできた
「綺麗だろ」
「うん」
「花乃の方が綺麗だけどな」
「・・・っ」
目を見開くと視界の中の柊がジワリと動いた
「花乃」
「俺が怖いか?」
「・・・うん」
もう一度頷いたところでふわりと抱きしめられた
えっと、怖いと聞かれて頷いたはずなのに
抱きしめられるとは・・・
0パーセントの経験値での検索を諦めてとりあえず抗議することにした
「ちょ、は、離れて」
「やだね」
クククと喉を鳴らして笑う柊
「怖くても離してやれねぇ、だから」
「だから・・・?」
腕の中でもがく私を更に閉じ込めた柊は
「だから、慣れろ俺に」
「は?」
都合良く言い放った声に唖然としていると
首を傾けた柊はチュッとリップ音をさせて
オデコに口付けた
フワリと鼻腔を掠めるシトラスの香りと
ドンドン強く打つ心臓が煩い
驚いて顔を上げると
また近づいた顔
ーーキスされる!ーー
仰け反って逃げようとしたのに
後頭部に回された手がそれを阻んだ
強引さからは想像もつかないような
優しい口付け
触れては離れて
そのたびに合わせられる視線が熱い
「好きだ」
「すっげぇ好き」
頑なな心がゆっくりと解かれる
柊の瞳が夜景の灯りを纏って揺れて艶めいている
ーー男性なのに凄く色っぽいーー
少し緩んだ気持ちと唇をこじ開けるように
滑り込んできた激しい口付け
「・・・んっ・・・ん」
息が・・・苦しい・・・っ
柊の胸を叩いてなんとか離れると
「鼻で息してろ」
濡れた唇でクスっと笑った柊
如何にも慣れてます風の物言い
それが悔しくて
「な、仕方ないでしょ!こんなのしたことない・・・」
とここまで口にしてハッと気付いた
大人のキスが未経験なんて・・・
恥ずかしいことをペラペラと
カーッと熱くなる顔を上げられず
俯いて腕の中から逃げ出そうとするのに
長い腕の中は力が入ったままで
更に密着度が上がった
後頭部に添えられた手が
ポンポンと規則正しく温かくて
「嬉しいよ・・・花乃」
そう言った柊の声が甘くて
また強く打ち始める心臓が壊れそう
「は、離れて」
「もう少し・・もう少しだけこのまま」
頭の上から降った甘く切ない声に
それ以上の否定の言葉は出てこなかった
「花乃・・・」
「ん?」
どのくらいそうしていたのか・・・
柊の腕の中に抱きしめられたまま
窓辺で夜景を眺めていた
窓に映る柊の顔は穏やかで
二人の間に流れる空気も穏やか
包みこんでくれる温もりが心地良くて
警戒心がゆっくり薄れ
「ずっと、ずっと好きだった」
今日何度目かの告白を
黙って受け止めることが出来る気持ちの変化に戸惑う
この7年間は私にとって乗り越えなきゃいけないことが沢山あった・・・
でも・・・
そのトラウマを作った張本人の腕の中にいる私は
そんなこと全て帳消しにしたの?って錯覚できるくらい心が揺れている
「花乃」
「ん?」
「帰したくねぇ、けど・・・我慢する」
「うん」
“送る”と腕の中から解放されると
途端に消えてゆく温もりが切なくて
何度も視線を合わせては微笑む
どこまでも甘い雰囲気の柊にまた心が揺らされる
自然と手を繋がれて部屋を後にすると
また助手席に乗せられて気がつけば家に到着していた
「おやすみ」
「おやすみなさい」
運転中も繋がれていた手にチュッとキスを落とした柊が視線を上げると
その漆黒の瞳に身体の自由を奪われる
ーーキスされるーー
そう思った時
ガチャと運転席のドアが開いた
驚いてドアを振り返った柊とその肩越しに視線を向けた私の目に飛び込んできたのは
「・・・っ」
「てめぇ」
怒りを孕んだ目で柊を見る弟、花流だった
慌てて車を降りると
運転席の柊は花流の手で襟首を掴まれて降ろされていて
「は、花流?」
今にも殴りかかりそうな花流に必死で声をかけるのに視界にも入れてもらえない
そのかわり・・・
「花乃!携帯見てみろ」
いつもの花流の声よりずっと低い声が降った
「え?」
慌ててハンドバッグの中をかき回すとスマホを取り出す
「うそ」
ホームボタンを押しても反応しない携帯
ーー電源切ったかしら?ーー
ーー充電切れ?ーー
リンゴマークが見えた焦る私の目に飛び込んできたのは大量の数字がついたアイコン達だった
着信履歴、未読メッセージ・・・
全部花流からのもので
『花乃、寄り道か?』
『出かけるなら母さんに連絡入れて』
『花乃大丈夫か』
『どこ?』
『連絡くれ』
「ごめん花流、気づかなくて」
掴まれている柊よりも心配してくれた花流が気になった
この7年間、誰より私のことを理解して寄り添ってくれた花流
「俺が無理矢理連れ出した」
そう言った柊と謝り続ける私に挟まれて
最後は手を離した花流
「花乃!家へ入るぞ」
背中を向けて歩きだした花流を追い掛けた私は
背後の柊を振り返ることはしなかった