「「「おはようございます」」」
毎朝すし詰めの女性専用車両に揺られるのを我慢して、やっと会社にたどり着くと今度は満員のエレベーターの中で走るランプをただただ見つめる
そこから解放される頃には若干の疲労感が襲ってきて・・・
なんて言ってる場合じゃない
「花乃!ほら、早く行くよ」
更衣室に荷物を置くと同期の水谷麻美(ミズタニ マミ)が腕時計をチラつかせる
「待って〜」
慌ててロッカーに鍵をかけるとキャラクターの付いた鍵をポケットに入れながら小走りで麻美の後を追った
毎日朝イチのコーヒーだけは部署ごとに手の空いた女子社員が入れる
就職して3年目
もう後輩に渡してもいいお茶汲みを、走ってまでやりたい理由は・・・
「「セーフ」」
給湯室が無人なのを麻美と2人で確認すると、どちらともなく安堵の声が漏れた
手早くコーヒーメーカーのスイッチを入れると炭焼きコーヒーの良い香りが立ち始めた
ブライダル業界では大手の(株)ウェンディは
お見合いパーティーからブライダルサロン、式場、花嫁の持つブーケを作る為の教室にエステや料理教室と数えあげればキリがない程の多角経営で結婚に関わる全てをプロデュースする会社
その本社勤務の私
小柳花乃(コヤナギ カノ)25歳
ブライダル業界に興味を持ったとかではなくて、使えるコネをフルに活用して現在に至っている
「室長、おはようございます」
綺麗に整頓されたデスクの上にコトンとカップを置くと
「おはよう、いつもありがとう」
身震いするほどのテノールが耳から飛び込んできた
トレーを胸に抱えてぺこりと頭を下げると緩んだ頰を誤魔化しながら給湯室へと戻った
ちょうどタイミング良く戻った麻美としばらくニヤニヤタイム
「今日も藤堂室長ステキだった」
そう口から呟きながら
先程の笑顔を思い出すと頰が赤くなる
「明石課長も負けてないわよ」
隣に立つ麻美も同じ表情をしている
憧れの上司のお茶汲みの為に朝から頑張っている2人
中学校から大学までエスカレーター式の女学院で同級生だった麻美とはかれこれ13年の付き合いになる
♪〜♪〜♪
始業10分前のメロディで現実に引き戻されると給湯室外にある大きな鏡で全身をチェックしてフロアへと急いだ
ーー五年前ーー
・・・・・・
誠愛女学院。。巷では【S女】なんて略して呼ばれているようで中学から誠愛に通っている私は高校生になって初めてそんな略語を知った
有名デザイナーが手掛けた制服はとびきり可愛くて街中で目を惹く
同じブランドロゴの入ったカバンは売買の対象にもなるらしい
そんな飾られた制服時代を過ぎて、漸く脱皮出来た大学二回生で運命の出逢いがあった・・・
。
「花乃〜今度の土曜日はバイトよろしく〜」
甘えた声でこちらを窺うのは40歳のパパ
大学で同級生だったママとは私がお腹に出来たことがキッカケで学生結婚したから若い
「わかった〜」
「サンキュ」
バイトをOKしただけで蕩けるようなスマイルを見せられると・・・また次も引き受けそうで怖い
なんだかんだいってママもこの笑顔に負けてるんだと思う
パパが経営するのは
フラワーショップチェーン愛実花
スーパーやデパートに小売店を展開し冠婚葬祭業への卸やアレンジメント、華道教室への納入をする傍ら、郊外でハウスを持ち自家栽培にも力を入れている
5年ほど前にはフラワーショップとカフェを合わせたお店をママが始めたから
アレンジメントの資格を持つ私はバイトと称して出番が多くなった
「ウェンディの迎賓館だから広いぞ」
そう言って手を広げたパパを横目に見ながら
海辺にお城の様にそびえ立つアンティークな結婚式場を思い浮かべた
「了解」
ウェンディの持つ結婚式場の中では一番古い迎賓館は海辺というだけで大人気
毎週末鐘が鳴り響くという大聖堂は私も含めて女子の憧れのスポットだ
「あ、花流も連れて行くからな」
「じゃあ荷物持ちね」
きっと“ちぇっ”って顔をしながら台車を押すんだろうなって想像してクスッと笑うと
「思い出し笑いするのはエロい証拠だぞ」
突然背後から聞こえた声に驚いて振り返った
「ビックリした〜」
振り返るとすぐ後ろに弟、花流が立っていた
「花乃、油断しすぎ」
そう言ってクククと笑うと頭をクシャクシャと撫でた
「やだ〜せっかく巻いたのにぃ」
時間を掛けて仕上げた巻き髪が崩れたことで頰を膨らませると
首を傾けた花流は
「どんな花乃でも可愛いよ」
目を細めて笑った
「な、ば、バカにして〜」
不覚にも我が弟に向けて顔を赤くして照れてしまった
「姉弟が仲良いのは見てて良いもんだな」
呑気に笑っているパパ
弟の花流はママに似て少し茶色でくせっ毛の髪
少し長めの前髪から覗くアーモンドアイが近頃色っぽいと思う
昔からお姉ちゃんなんて口にしたことはなくって、ずっと名前で呼ばれている
もちろん私も花流って呼ぶから知らない人には恋人と間違われることもあったり・・・
友達の麻美に言わせると
「花流君は重度のシスコンだから」
苦笑いを見せるけど、私自身はシスコンの意味もよくわかっていない