あの夏に見たあの町で



その透き通る白い肌に触れ、顔を寄せる




唇が触れる寸前で小さく「新...」と聞こえ、手を離し距離を取った




新を呼んだ彼女はまだ眠っている





触れていた手で自分の額を押さえ大きく息を吐く




早く



無条件で彼女に触れても許される権利が欲しい





チラリともう一度隣を見ると、目を覚まし未だ重たい瞼をパチパチと瞬いてる




“降りるぞ”と声をかけ、先に車から降りて両手を組んで伸びをする





目が覚めたら実家の裏の公園にいることが飲み込めないありすが“あの...ここ...”と呟いたので教えてやる




“俺の特別な場所”





公園内の一際大きな木に向かって歩を進める




“どうしてここを?”




混乱しているのか曖昧な質問が来た



どうしてここを知っているのか?


どうしてここを『特別な場所』と呼ぶのか?


どうしてここに立ち寄ったのか?






“やっぱり覚えてねぇか”



わかっていたことだ



自分だけがあの時の思い出に囚われているのだと





“まぁまずは、お前が知りたいであろう結論から言う。新は俺の双子の兄だ”



絶縁状態だから、新からも母親からも俺の存在なんて聞いていなかったんだろう







動きを止めてしまった彼女に苦笑して、大きな木の陰にあったベンチに座り、固まったありすにも座るよう促す




6歳の時にこの公園でひとりで遊んでいた女の子を見つけた話をすると



「さく...ちゃん」



あの時の呼び方で俺の名を確認する




「思い出した?『あーちゃん』」




肯定するように俺もあの頃の呼び方で彼女の名を呼ぶ




しかし、思い出したわけではなく、夢を見るのだと申し訳なさそうに首を振り俯いた






“毎回同じ夢で、さくちゃんとこの木に登ってこの町を見下ろして、下りる時に落ちるっていう...っ専務の右腕の傷...”




俯いたまま夢の話をして、俺の右腕の傷痕を思い出したらしく勢い良く顔を上げたありすと目が合った




“何泣きそうな顔してんだよ。言っただろ?この傷は『生まれて初めて大切なものを守った時にできた傷』だって”



今にも泣き出してしまいそうな顔に、優しく微笑み、頭をポンとした




怪我をした後に母親捨てられてジジイに引き取られ、腕は治ったことをざっくりと話し立ち上がった



さっきまで晴れていたはずの空は黒い雲に覆われ、突然に激しい雷雨に見舞われた









あまりに突然過ぎて、動くこともできず



ただただ濡れていくお互いの顔を見合わせる





あっという間に全身びしょ濡れで、為す術もなく、笑った





雨の勢いが収まり、雲間から日が差し込むと眼下に広がる町にかかる大きな虹が掛かった





それを見て、あの時みたいに




“うわぁキレイ”




と目を輝かすありすは、全身びしょ濡れなのにとても綺麗だと思った






願わくば




彼女のこの先の人生が、彩やかに光り輝くもので満たされることを










雨も完全に止み、“さて、帰るか”と車に向けて歩き出すとありすに呼び止められ振り返る




“さすがにこんなびしょ濡れでお車に乗るのは躊躇われるのですが...”



苦笑するありすの言葉に頷く




カッコよく気にするなと言いたいところだが、昨日乗り始めたばかりの新車はさすがに気になる...






“服を乾かしに寄って行きません?”




ありすは公園の目の前にある実家を指差して首を傾げた




濡れたまま帰って風邪を引くのもな...





“借りてもいい?”と彼女と同じ様に首を傾げると“もちろんです”と笑顔をくれた彼女にドクンと俺の心臓は高鳴る







坂を下りて正面の玄関からありすが鍵を開けてドアを開ける




“エマ?早かったわね、今日は遅くなるんじゃ...”



家の中からありすのお母さんが出てきて、俺達を見て固まった




“あら大変、ちょっと待っててね”とまた奥に入っていった



ありすがフランス語で話す方が自然な理由がわかった



実家での会話はフランス語なのだ





パタパタと戻ってきたありすのお母さんはタオルを1枚ずつ俺とありすに渡し、俺に目を向ける








“えーと...新くんの筈はないから朔くんよね?”




俺がフランス語を話せることは知る筈もないので、ありすに言ったのかもしれないが、“そうです。お久しぶりです。”と答えた




“詳しい話は後で聞くから、まずはお風呂入って温まって!ありすはお風呂長いから後ね、拭いたら着替えて来なさい”




そう言って俺を脱衣所に押し込み、風呂場の説明をして着替えとバスタオルを用意してくれた



そのテキパキとした姿に、ありすが仕事の話をする時のはっきりと物を言う性格は母親譲りかと納得した





お言葉に甘え、まずはシャワーを浴び全身を洗い、その間に溜まった湯舟にも浸かり雨に濡れて冷えた体を温めた


とは言え、夏場だしありすも早く温まらなくてはと思い短く終わらせる




用意されたありすのお父さんの物と思われる部屋着をお借りして...下着は新品と思われる物が出してあり、有難く使わせていただく





脱衣所を出て、ありすとお母さんの話し声がする方に歩を進めるとリビングのソファでお茶を飲んでいた



“お風呂ありがとうございました”とお礼を述べると、“速くないですか?ちゃんと温まりました?”とありすに怪訝そうな表情を浮かべられる








“ああ、お先に。ありすも早く温まった方がいい”




ありすと入れ替わりでソファに座ると、お母さんは風呂上がりだからと冷たい麦茶を出してくれた



ありすのお母さんは俺が座るソファに対しL字型に置かれたソファと同じ素材のスツールに腰を下ろす




“朔くん、お久しぶりね。25年前、ありすを守ってくれてありがとう。やっと、ちゃんとお礼を言えたわ”



優しい微笑みには母親としての温かさが溢れていた




“翌日にありすを連れて病院に行ったのだけど、もうおじい様と出てしまった後だったみたいで、空っぽになった病室には泣き腫らした目をしたお母様しかいなかったわ”




母親が泣いていた?


まさか



俺を捨てて清々したんだろう



“有り得ないって顔してる。でも本当に、お母様は貴方を捨てたかったわけじゃないのよ。
こちらの病院では貴方の腕の治療もできないし、費用もない。けど、おじい様の所へ行けば充分な治療とリハビリもできて、また支障なく動かせるようになる。
貴方が五体満足で不自由なく元気に生きててくれればいいと願って、絶縁状態のおじい様に頼ったのよ”





両手で顔を覆った




ありすのお母さんの優しい声だけが頭に響く








病院から出た車の中でジジイが言った言葉を思い出した



『腕の治療とリハビリをして、有栖川グループの後継者として教育を受けてもらう。それが母親との条件だ』




後継者として教育を受けさせられてきただけで、ジジイは俺に後継者になれとは言っていない




母親が病院で俺に帰ってきても場所はないと言ったのは、俺がリハビリから逃げないようにするため...?








“あの後ね、一週間くらいはありすから『さくちゃんは?』って聞かれてたのだけど、突然言わなくなったの。せっかくできた友達に怪我をさせて失ってしまったという記憶をしまい込んだのかなって...”



顔を上げると、ありすのお母さんは寂しそうに微笑んでいた




“あの子が新くんを連れて来た時は驚いたわ。出会いは偶然だったみたいだけど、新くんといるあの子は幸せそうだった”




そこまで話すと、コーヒー淹れるわねと空になったグラスを回収して、キッチンへと姿を消す






ソファに沈み天井を仰ぐ




ありすは新と一緒に過ごしていて幸せだった




新が亡くなって3年




新の弟である俺に関わられるのは...






すぐにコーヒーのいい香りがしてきた





コーヒーを2つローテーブルに置き、また元のスツールに座る







“新くんが亡くなってからのありすの顔は目も当てられなかったわ。でも、さっき朔くんを連れて来た時の顔を見て安心した”




ありすのお母さんは嬉しそうに微笑んで、コーヒーを一口飲みカップをソーサーに戻し続ける



“たまたま就職した会社に貴方がいて、また生き生きとした顔が戻ってきて...朔くんに助けられるのは2回目ね。本当にありがとう”




深々と頭を下げられる




“あの...お母さん、僕はまだ何もしてやれていないんです。新と同じ顔って認識されるのが嫌で、上司の権限を振りかざして意地悪なことしかしていません。今日だって無理やり視察に連れ出したんです”




ありすのお母さんの二度の感謝に耐えかねて情けなくも、懺悔を始めてしまった



言葉に出すと本当カッコ悪いもんだな




“でも、彼女を守りたいと思う気持ちはあの頃と...あの頃よりも強くあります。それは許して貰えますか?”



俺が新の弟でも...



“もちろんよ”と向けられた微笑みにほっと息を吐く



“あの子が貴方を選べばの話だけどね”と付け加えられ、苦笑するしかない









“あの子も1人の寂しさを知っている子よ。ちゃんと大切な物を選べるわ”




さ、ご飯の支度しなくちゃと立ち上がり、もちろん食べてくわよね?とニッコリと笑うお母さんに頷く他なかった





暫くするとありすもお風呂から出てきて、楽しそうに料理を手伝っていた



それをソファから振り返り眺めていると、玄関が開く音と“ただいま”と声が聞こえた





“お父さん帰ってきた”と玄関へパタパタと駆けていったのはありす




“朔くん、ご飯にしましょう”



キッチンからお母さんに呼ばれ、はいと返事をして立ち上がると、ありすと共に帰ってきたお父さんと目が合った




ありすと同じエメラルドの瞳に色素の薄い髪と肌は男の俺が見ても綺麗だと思った





“こんばんは。お邪魔してます”と頭を下げるとお父さんは固まったまま鞄をドサっと手から落とした




“あ...新くん?”



ああ、そうかお父さんとは初見だ



“新くんの弟の朔くんよ。ほら、ありすが4歳の時に木から落ちた時に守ってくれた男の子”



お母さんが説明をすると、“本当に?”と目を見開いて、次の瞬間俺の方へ物凄い勢いで近付いてきた




一瞬身構えた俺はキツく抱き締められた




“朔くん、ありすを守ってくれてありがとう!”



25年も前のことを覚えていてくれて



こんなにも感謝をしてくれていた




山間の田舎のこの町の



高台の公園の目の前の家の家族の記憶の中で




褪せることなく俺は生きていた