翌日の夜。
レインはティアが入っている籠の前でジッとしている。
まるで、一瞬の隙も逃さないというように。
「そんなに見つめてると、穴が空いちゃうよ?」
「え?そうなんですか?!」
レオンに言われ、レインはバッと視線を反らす。その様子がおかしくて、レオンは声をあげて笑う。
「あはははっ!冗談だよ。見つめたくらいじゃ穴は空かない」
「師匠、またからかったんですか?」
ムッと顔をしかめるレインに、レオンは「ごめん、ごめん」と平謝りする。
レインは素直だったため、レオンが悪戯心で冗談を言うと、いつも信じてしまい、その後嘘だと分かるとこうして顔をしかめる。
(でも、さすがに『僕は実は女なんだ』って冗談を信じるとは思わなかったけどね)
そうなんですか!と目を輝かせて、じゃあ一緒にお風呂入れますね何て言われた時には、こっちが狼狽えた。
この国では成人前の少女に手を出してはいけないという法律はないが、別方面から苦情が出る気がしたのだ。
そもそも、レオンはまともな大人なので、レインをどうこうしようという気は全くないが。
「まだかなー!まだかなー!」
首を右へ左へ傾げながら、レインはにこにこしている。本当に楽しみで仕方ないのだと思うと、微笑ましい気持ちになる。
だが、問題はティアが生まれた後の竜の話。それを、レインはどう受け止めるだろうか?
レオンはレインに、生きる術と一緒に、あることを言い続けてきた。
それは―。
「師匠!」
「!どうかした?」
物思いにふけっていたレオンは、レインの声でハッとすると、笑って振り返る。
すると、卵にヒビが入っていた。
「始まったね」
「……」
卵は斜めに亀裂を刻んでいく。ビシビシと音をたてて。
だが、亀裂が入るだけで割れる気配がない。恐らく卵を割る力が弱いのだ。
グラグラと揺れている様子から、出ようともがいているのだろうが、どうやら上手くいかないらしい。
「っ!」
「駄目だよ」
心配になったのか、レインが卵へと手を伸ばそうとしたが、レオンはそれを制した。
自分の力で生まれてこなくてはいけないのだ。
「この子は自分の力で生まれなくちゃいけない。それが世の理(ことわり)だから」
「……」
心配そうにレオンを見ると、彼はいつも通りの穏やかな微笑みを浮かべる。
「親になるので難しいのは、信じてジッと待つこと。手を貸してあげたくなる衝動を押さえて、自分で立ち上がれるようになるまで見守ること。レイン、君がこの子を守ると誓ったのなら、この子を信じてあげなさい」
最後は師匠らしい口調で諭す。すると、レインは頷いて卵を見つめる。
「頑張って……お願い、頑張って……」
自分には見守ることしか出来ない。
本当ならこの殻を割って、ティアを出してあげたい。けれども、それでは駄目だとレインも分かっている。
自分の殻は、自分で割らなくては。
長い、本当に長い時間、ティアはもがき続けた。
見守っているレインの額からも汗が流れ落ち、手のひらも汗で湿っている。
体も熱くなってきて、まるでティアと一緒にレインももがいているようだ。
(頑張って。ティア……ティア!!)
「ティア!!」
レインの言葉が届いたのかは分からない。しかし、レインの言葉と共に卵はバキッと音を立てて割れた。
バキバキと次々殻を割り、金色の鱗の付いた翼が見え隠れしている。
「………」
レインは言葉を失ったかのように、ティアが出てくる姿を見ていた。
『ピギィー!!』
そして、産声と共に金色の龍が飛び出してきたのだった。
「……っ………ああ……!」
吐息に似たような声が漏れ、レインは胸を押さえた。
嬉しいという気持ち、良かったという気持ち、やっと会えたという気持ち。
様々な想いがレインの中で交じりあい、涙が溢れる。
「………」
そんなレインの様子を、レオンは父親のような眼差しで見ていた。
『ピギィ!ピギィ!?』
卵から出たティアは、物珍しそうに辺りを見回している。
そして、レインに気付くと、とことこと側に寄ってきた。
『ピギィ?』
不思議そうな目でこちらを見上げるティアに、レインは笑ってみせる。
「ティア!やっと会えたね!」
屈んでティアの頭を撫でると、ティアはレインの手にすり寄る。
『ピギィ!!』
「どうやら、君を親と思ってくれたらしいよ」
「はい!」
レインはティアを抱き上げると、あまりの小ささに不安になる。
「ティアは、卵の時よりも小さいし、大丈夫でしょうか?」
三年前に会った龍はとても大きかったので、ティアは大丈夫なのかと心配になったのだ。
「龍は卵から出た後の成長がとても早いんだ。だから、あまり心配しなくても、すぐに成龍になるよ。まぁ、すぐといってもまた三年くらい……いや、この子なら二年で大人になれるかな」
何やら意味深なことを言うレオンに、レインは首を傾げる。
「どうしてなんですか?」
「………まだ秘密」
「師匠は秘密が多いですね」
人差し指を唇の前に立てたレオンに、レインは肩をすくめる。
「女性の秘密の多さには負けるけど」
「私は秘密なんてありません」
「まぁ、レインはねー……女の子らしさが足りないよね。半分僕のせいだけど」
後半はレインの耳には聞こえない声でぼそりと呟く。
レインは礼儀正しい方だし、師弟となってからは、常に敬語だ。
だが、おしとやかという訳ではない。蛙や虫を平気で素手で鷲掴みにし、にこにこ笑いながら見せに来る子だ。
それに、服も男の子が着ている物で、髪も伸びたとはいえ乱雑に切ったままなので、下手をしたら男の子に見えるだろう。
髪型は、レオンが一度失敗しておかっぱにしたせいで、レインが自分で切り始めたのが原因だが。
(恋でもすれば、女の子らしくなるかな?)
そう考えて、レオンはすぐ首を振った。
(いや、いくらなんでも早すぎる。レインにはまだ恋愛よりもやることがあるし、何より僕の可愛いレインを、どこの馬の骨かも分からない輩には渡せない)
レインを任せられる男は、魔王にも大魔王にも勝てるような男でないと認められない。という、完全に娘離れ出来ない父親のような思考を巡らせていた。
そんなレオンの考えなど知らないレインは、ティアを夢中で愛でていたのだった。
ティアが生まれた翌日、空はどんよりと曇っていた。
夜中まで起きていたので、レインはぐっすりとティアを腕に抱えたまま寝ている。
「………やれやれ」
レインを見ながら、レオンはどこか冷たさを含んだ声を出した。
「この子との幸せな親子(仮)生活も、まさか今日で終わりとはね。あの人のやることは、いつも強引で無粋だな」
どうやら、先程の言葉はレインに向けたものではないようだ。
「……しんどいな」
最初から分かっていたことだった。レインを引き取るということは、彼女に肩入れしてしまうということ。
三年という、彼にとっては短い期間の中でも、情というものは芽生える。
(本当なら、僕は深入りしてはいけないし、肩入れしてはいけない。けれど―)
レインという少女は、レオンの大切な人にそっくりだった。レインをここに住まわせたのは、それも理由の一つだ。
だが、そっくりでも同じではないということは分かっている。
(本当はね。このままずっと一緒に暮らしたかった。けれども、そうはいかない。君は一人で立ち上がり、ティアを育てないといけないから)
出来れば、竜の真実を先に話しておきたかったが、そんな時間はないらしい。
(彼等がここに来るまでまだ時間はある。取り敢えずレインを起こして、旅支度をさせないと)
レインがレオンと一緒にいる姿を見せる訳にはいかない。それに、ティアのことも。
こちらに向かっている彼等の中には、恐らく自分の旧友とも言える男がいる。
その男は龍を狩る役割を担っているのだ。ティアを見たら殺すか、生け捕りにして連れていくだろう。
それに、レインにとっては会いたくない相手でもある。
(まぁ、三年前に会った人を覚えてるかどうかも怪しいけどね)
だが、彼女に何かしらの恐怖を与えていたことは、記憶を読み取って知っている。
「……レイン。起きて」
「んー……師匠?」
まだ眠いのか、あくびをしながら起き上がると、側にいたティアも、もぞもぞと動く。
『ピギィ?』
「おはよう。さっそくで悪いけど、ここを出て!」
「…………え?」
「どうして……ですか?」
レインの瞳は、悲しみに染まる。
自分が何かしてしまったのだろうか?だからレオンは出ていけと言ってるのだろうか?
そんなレインの考えを読み取ったのか、レオンはレインの肩に手を置いて、視線を合わせる。
「良く聞いてね。君は、ここを出て一人でティアを育てなきゃいけない。そう決まっていたんだ」
「?」
「ティアが生まれた今、君は龍の谷を目指さなければいけない。君が旅立つ時が来たんだ」
不安そうにレオンを見上げる。何を言っているのか良く分からない。
けれども、レオンの必死さは伝わってきた。
レオンは棚から背中に背負えるリュックを取り出して、果物や必要なものを詰め、弓矢をリュックに引っ掻ける。
「レイン、強くなりなさい。心を強く。そして、何があっても誰も恨んではいけない。そして、どんなに理不尽なことがあっても、絶望してはいけない」
レオンが散々レインに言い聞かせてきた言葉。
「師匠……私はまた、ここに帰ってきてもいいですか?」
ティアと別れた後、あるいはティアと共に。
「………うん」
レオンは悲しそうに微笑んだ。その顔は、ティアナを思い出させる。
「さ、いきなさい」
背を押され、レインはティアを抱き上げる。
『ピギィ?』
「ティア。………よ」
レオンはティアの頭を撫でながら、小さく何かを告げた。
「……今まで、本当にありがとうございました」
レインは師へと頭を下げた。
そして、ティアを抱き抱えたまま、レオンに背を向ける。
「……こちらこそ、ありがとう」
「……っ」
その言葉を聞き終えると、レインは小屋を出ていった。
「……僕の、愛弟子。君は自慢の娘だ」
レインが小屋を出て暫く、数人の足音が聞こえた。
レオンは小屋の外で、足音の主達を迎える。
「ようこそ。こんな森の奥まで、ご苦労様」
ニッと笑みを浮かべると、先頭にいた茶色のマントの男が前に出る。
「……幻惑の魔法使い。姫様の命により、お前を殺す」
背中に背負った大剣を抜き、レオンへと向けた。
「かつての友人なんだし、レオンと前のように呼んでくれてもいいのに。竜騎士……いや、ロラン」
男―ロランは、青い瞳でレオンを見ている。その瞳の奥には静かな殺気を纏って。
「良くここが分かったね?」
「お前の気配は独特だからな」
ロランの言葉に、クスッと笑ってしまった。独特の気配―つまりは、魔力。
「なるほどね。でも、それだけが理由じゃないと思うけど?」
「……レオン。何故城から姿を消した?何故龍王様と姫様を裏切った」
「裏切るもなにも、別に僕は王家に仕えていたわけじゃない。僕はいつも、自分の思うままに生きてる。そして、城から去ったのは、そうするべきだと思ったからだよ」
ただ静かに微笑み、思考を読ませないこの男が、ロランは苦手だった。
友人というが、本心を見せてもらったことはなく、レオンが勝手に友人扱いしていただけだ。
「……戻る気はない。そう言うことでいいのだな?」
「そうだね」
「なら………死ね!」
言葉と共に踏み込むと、大剣を振り下ろす。
だが、レオンは避けなかった。
「!!」
頭から真っ二つに切り裂かれた体からは、血が出ておらず、中身はすべて黒に染まっていた。
そして、光の粒と共にレオンの姿はかき消える。その光景に、ロランの後ろで成り行きを見守っていた部下達は狼狽える。
「血を流すことなく消えたぞ?!」
「やはり、化け物だ!」
「だが、これで反逆者は消えた」
お互いに顔を見合わせながら囁きあっている部下を横目で見ると、ギリッと奥歯を噛み締めた。
『ピギィ?ピギィ!』
「……」
ティアを抱き上げたまま、レインは歩く。
本当は途中で引き返そうかと思ったが、レオンが自分に旅立つよう言ったなら、大人しく従うべきかと思い直し、ただひたすら真っ直ぐ歩いている。
けれども、足の進みは遅く、下を向いていた。
「本当は……師匠とずっと一緒にいれると思ってたの」
あのまま、あの小屋でティアとレオンと一緒にいられると、心のどこかで思っていた。
けれども、当たり前なんてないのだと、レインは改めて思った。
レオンも、当たり前はないと言っていた。
いつ、目の前で大切な人を失うか分からない。いつ、突然卵を拾ってしまうか分からない。
何が起きるのかが分からないのが世の中。
『ピギィ!』
レインがあまりに下を向いていたのか、ティアがレインの頬にすり寄る。
「……ティア」
『ピギィ!ピギィ!!』
まるで慰めているように、まだ小さな翼を動かしている。
「ありがとう」
『ピギィ』
(卵の時から、あなたは私を慰めてくれていたね)
腕の中の温かさは、ずっと変わらない。姉を失った代わりに、レインはティアを得た。
だからこそ、守ると決めた。そして、ティアはティアのいるべき所へ、仲間が沢山いる所へ帰すべきだ。
「よし!まずは村を目指さなきゃね!」
気合いをいれるように深呼吸をして笑う。
―どんなに辛くても、悲しくて寂しくても、笑っていればきっと乗り越えられるわ―
そう言っていた姉の姿をぼんやりと思い出す。時が経てば経つほど、レインは段々ティアナの顔を思い出せなくなってくる。
けれども、ティアナとの思い出や声はまだ覚えている。
レインはティアを降ろすと、懐から横笛を取り出した。
(師匠は結局、これの吹き方教えてくれなかった)
前にこれの吹き方を聞いた時、大人になったら自然に吹けるようになるよと笑っていた。
(いつ、私は大人になれるんだろう?)
竜のことも結局聞けなかった。
「考えても仕方ないよね。進もう」
『ピギィ!』
一本に伸びてる道を歩いていれば、いずれは村につく。
だが、村までの正確な距離は分からない。
レインは薬草と山菜を採りながら、ティアと共に歩みを進めていく。
途中、またティアを抱っこしようとしたのだが、ティアは自分で歩きたいらしく、とことこと歩いていた。
だが、速度はレインより遅いので、ティアがレインの近くにくるまで、いちいち止まらなければいけないのが難点だ。
生まれて初めて見る世界がとても珍しいのか、ティアは時々道から外れて寄り道をする。そのため、レイン達の歩みは遅い。
だが、レインも一緒になって、ティアが見付けたものを眺めるため、遅くなる原因はレインにもあるだろう。
辺りが暗くなると野宿の準備をし、採った山菜を火で炙り、果物を摘まむ。
狩りはよっぽど食べるものが無い時以外は、なるべくしないようにしているため、今日はお肉はない。
『ピギィ?』
ナイフで切ったリンゴをティアへと差し出すと、ティアは首を傾げていた。
「食べる?」
歯は生えているので、多少の固いものならば食べれるだろうと思うのだが。
「ほら、美味しいよ!」
『ピギィ!』
更に小さくしてから差し出すと、ようやくティアは口を開けた。
「美味しい?」
『ピギィ!ピギィー』
気に入ったのか、レインの膝の上に飛び乗り、口をガバッと開けている。
「はいはい。すぐ切ってあげるから待っててね」
レインが切ったリンゴを、ティアは次々と平らげ、この調子ならばと他の果物も与えてみた。
そしたら、やはりペロリと食べてしまった。そして満足したのか、お腹を向けてレインの膝の上で寝始める。
レインはジッとティアを観察した。吐き出したりぐったりする様子は見られないことから、恐らく人間が食べるものは大体大丈夫だろう。
レオンから何も聞けない内に旅立ってしまったが、これなら何とか一人でもティアを育てていけそうだ。
(私も……もう寝なきゃ……)
木に背を預けながら、レインは目を閉じた。
レインがティアの世話を、自分一人で出来るかもしれないと安心したのも束の間だった。
村につくまでの間、レインの手は傷だらけで、顔もどこかげんなりしている。
それもその筈で、赤ん坊の内はどんな動物も手が掛かるのだ。
人間の赤ん坊でさえ目が離せないと言うくらいなのだから、勿論龍の赤ん坊も例外ではない。
ティアは賢い方だろう。だが、賢いからと言って、何でもこちらの思い通りという訳ではない。
ティアはレインよりも良く食べるし、ちょろちょろとあちこち動き回る。
そのお陰で、一回誰かの仕掛けたであろう落とし穴に落ちたり、猪用の罠に引っ掛かったりした。
好奇心旺盛なのはいいが、危ないところに平気で行くのは勘弁してほしい。
生まれたばかりのティアにとっては、全てがおもちゃの様に見えるのか、その辺の雑草にじゃれついたり、木に噛み付いたり、この前なんか蝶やバッタを追いかけ回して川に落ちた。
その度にレインが穴から引っ張り上げたり、川に飛び込んで助けたりしていたのだが。一番の問題はレインにじゃれつくことだ。
別に、遊んでもらおうとじゃれつくのはいいし、レインもティアが可愛くて仕方ないので、遊んであげるのは一向に構わない。
だが、じゃれつき方に問題があるのだ。
ティアは噛むのが好きらしく、色んな物に噛みつく。そして、レインの手にも噛み付くのだ。
龍の牙は一本一本鋭く、それは赤ん坊でも大人でも変わらない。
幼いうちから固い食べ物も食べられるだけあって、顎の力も凄まじい。
そして、力加減も下手だ。
本人は甘噛みのつもりでも、こちらは針でブスブス刺されているように痛い。
止めてと言って顔をしかめても、怒っているとは伝わっていないらしく、構ってくれていると思っているのか、余計にじゃれてくる。
取り敢えず、丈夫そうな木の枝を噛ませて遊んでもらっているが。
(私、お母さんやれるかなぁ?)
先の未来に不安を感じ、レインは頭を抱えて唸った。