俺がこんなに好きなのは、お前だけ。




大志くんの綺麗な瞳が水分を含んだようにうるっとしているように見えた。



「……俺のことは好きになんなって言っただろ」

「そんなの無理だよ。好きになることを自分の意思でやめたりできないんだよ。大志くんだってわかるでしょ?」

「……っ、俺はやめとけ」

「嫌だ。絶対に嫌。じゃあなんで優しくしたの?なんで守ってくれたの?」



好きにさせたのは、他でもない大志くんなんだよ。



「私は他の女の子とは違うよ。本気で大志くんのことが好きだよ」

「やめろ」

「大丈夫、大志くんを好きって気持ちはなくならないもん」



本気だよ。本気の恋だもん。


大志くんのことを見てきて、裏も表もある君だけど、優等生の君も、無愛想な君も、口の悪い君も、優しい君も、全部、全部含めて好きになったんだよ。


試してくれていい。私のなかにある恋心。


切なげに顔を歪ませるのは大志くん。ズキッと、胸が痛んだ。そんな顔をさせたかったわけじゃない。



「お前のことは嫌いじゃない。最近は自分でもどうかしてるって、そう思う。でも、」

「私のこと、好きじゃない……?」



意地悪な質問をしてしまった。けれど、聞かずにはいられない。



「好きだよ」



はっと顔をあげる。だけど、目が合わない。私たちの横をたくさんの人たちが通り過ぎていく。
私の肩と誰かの肩がぶつかって、よろける。咄嗟に大志くんが私の身体を支える。とくに転びそうになったわけでもないのに。


こんなところが優しくて、とてもずるい。



「こっち行こう」

「うん……」





手を引かれて人混みから抜ける。屋台裏にある、ちょっとした芝生のスペース。街灯もないので、薄暗い。離れたところにあるお祭りの灯りと月明かりだけが世界を照らそうと頑張っている。


手が、離された。向かい合う。



「ごめん。話し折れたな……」

「ううん」

「俺、お前のことが好きなんだと思う」

「うん」

「でも、自信持てないんだ……」



いつになく、弱々しい声。
手を伸ばして抱きしめたいと思うのに、しちゃいけない。


だって私たちはまだ"友だち"だから。



「中途半端な気持ちでお前を傷つけたくない」

「うん」

「ごめん」



なにが"ごめん"なんだろう。なにに対して大志くんは謝罪しているのだろう。


自分の気持ちがわからなくて中途半端だって、それは私のこと真剣に考えてくれているってことだよね?


──もしかして、いま、私って、振られている?



「俺は友だちでいたい」

「…………」



目をそらさない。生ぬるい風が吹く。足元に目線を落とした。慣れない下駄でたくさん歩いたから、足が痛い。でもそれ以上に心が、胸が、痛い。


気を抜いたら、泣きそう。



「私、生まれて初めて誰かを好きになったんだよ」

「うん」

「諦めるなんて、できないよ……」



我慢しているけど、無理だ。もう溢れる。視界がぼやけてきた。



「ごめん。俺にできるのは、お前と関わらないようにすることだけだ……」





頬に涙が一筋流れた。それを見た大志くんもまた悲痛に顔を歪ませる。顔の方に手を伸ばして、やめた。大志くんの指先は震えているようにも見えた。


彼はなにをそんなに躊躇しているんだろう。なにをそんなに怖がっているの?


なにがそんなに彼を恋愛から遠ざけているんだろう。



「嫌だ、そんなの……」

「…………」

「私、頑張る。大志くんが恋を信じられるように……」



毎日でも言うよ。大志くんが好きだって。この気持ちはずっと、なくならないって、証明してみせるから。


だから、関わらないとか、そんな寂しいこと言わないでほしい。



「そんなことしなくていい。いまは初恋だからって舞い上がってるだけかもしれない。時間が経ったら、いまお前と俺が持ってる気持ちもなくなるかもしれない」

「どうして……?」

「恋が始まれば、あとは終わりしかないんだよ」

「なんでそう思うの?」

「……べつに」



肝心なところは教えてくれないんだね。


涙がどうしようもなく溢れる。大志くんのことを想うだけで、こんなにも。

近くにいるのに、遠いよ。どうして恋には終わりしかないなんて、そんな悲しいこと……。



「好きになった時点でもう先は見えてる。それなら俺はお前とは付き合えないし、友だちでいたい。それがお前を傷つけるなら、俺はお前ともう関わらないようにする」



通らない。私の想いは、彼には届かない。
私と大志くんの間に見えない透明な壁があるみたいだ。


その壁はどんなに叩いても、どんな屈強なもので体当たりしても、壊せない。


まるでその壁に私の言葉が遮られているみたいだ。




──ヒューー、ドドン!ドン!


花火が夜空に咲いた。身体の芯にまで響く爆音と、煌びやかな火花。大志くんの背後に儚げに打ち上げられている。



「帰ろう」

「…………」

「家まで送るから」



頷いた。手を出してくれたから、素直に甘えてその手を握った。今日だけかもしれない。ううん、絶対に今日だけだ。手を、繋いでくれるのは。


幸せだった。生まれて初めて好きな人ができて。
これまで生きてきて感じたことのない喜びだった。


好きな人がいるだけで世界はカラフルに彩ったし、好きな人が優しくしてくれるだけで嬉しくて、なにげない小さな仕草にもドキドキした。


想像もしていなかったんだ。
まさかこんなに切ない恋になるなんて。


好きだって言って、正解だったのかな。

好きだって言われたのに、どうしてこんなにズキズキ痛いの?


花火が打ち上がっていて、周りの人たちは上を見ているのに、私はしたばかりを見ていた。自分の影が花火が上がるたびに浮き彫りになった。


ふたりの間に、会話はない。
時々となりを見るけど、大志くんの顔も暗い。
目が合えば微笑まれるけれど、それもなんだか痛々しい。


泣いちゃったから、化粧も崩れて顔、悲惨なんだろうなぁ……。


電車に乗った。それでも繋がれた手は離されない。このままずっと、離したくない。離され、たくない。


気を抜いたらまた、泣きそうになる。


もうなにも考えられない。



家の最寄駅に到着して、降りた。
大志くんに自宅まで送り届けてもらうのはもうこれで3度目になる。


となりを見ると、大志くんは夜空を見ていた。だから私も上を向いた。それに気づいた大志くんが止まる。



「また柱にぶつかんぞ」

「大丈夫だもん」



手、繋いでいるから。ぶつかったりしないで、真っ直ぐに歩ける。いまだけは、大志くんが守ってくれるから。


そういった意味をこめた"大丈夫"だった。伝わったのかわからないけれど、大志くんは困った顔で笑った。


今日、花火、全然見られなかった。
時間が経って今日を思い出すとき、花火よりもきっと、この星空のことを覚えているような気がする。



「大志くん絶対今日のこと後悔するよ」

「……うん」

「私のこと、好きならずっと捕まえててよ」



冗談ぽく、言ったつもり。本音で間違いなかったけれど。


友だちのままでいいなんて、私にはどうしても思えない。

好きだから、好きな人の特別な人になりたいし、友だち同士じゃできないことって、たくさんある。


友だち同士じゃデートなんてしないけど、恋人だったらなんの違和感もなくするでしょう?


手を繋いで、思い出つくって、なにげない毎日を重ねていく。


楽しくない毎日の学校だって、好きな人がそばにいれば頑張れると思う。好きな人に会いたくて、毎日の早起きだって、できると思う。


いままでひとりでこなして来たことを、好きな人が支えてくれるだけで、何倍にも頑張れる。




「初めての恋だなんて、関係ない。私はずっと大志くんが好き。絶対にこの気持ちはなくならない」

「……っ……」

「やっぱり、諦めない。私、絶対に大志くんから付き合ってほしいって言いたくなるようにしてみせる!」



もう泣かない。くよくよしない。絶対に友だちのままでいたいなんて、そんな気持ちにさせない。


私は、本気だもん。本気で恋、してるんだもん。

諦められるわけない。



「夏休みが終わったら、覚悟しててね」



だから笑った。大志くんは面食らったように目を見開いていた。

手は、私から離した。今度その手を繋ぐときは、恋人になったときがいい。


なんて、願っても、いいのかな。



「じゃあね、大志くん」

「おう」



手を振って、別れた。玄関の鍵を開けて「ただいまー」と中に入った。
下駄で擦れた足先。あまりに痛くてお風呂場へ向かった。
シャワーから水を流し、足に当てる。熱を帯びた擦り傷にはそれが気持ちいい。


ジンジン脈打つのは、足先だけじゃなかった。


胸の奥はいつまでも痛みを抱えて、大志くんへの想いの強さを感じさせた。


私は、大志くんに"恋"がどんなものなのかを教えてもらったよ。
だから、今度は私が大志くんに教えてあげる。


だから……待ってて。


私を信じられるように。恋を信じられるように。


きっと、なれるから。




長くて楽しい夏休みは、あっという間に終わりを告げた。
結衣羽と遊んで、クラスメイトと遊んで、海にもプールにも行った。


クラスメイトの大半を集めて行われたバーベキューに大志くんは来なかった。
来る予定だったらしいが、直前になってキャンセルしたらしい。


避けられているのかも……なんて考えて落ち込んだりもしたけれど、今日から新学期、落ち込んでいる暇なんてない。


──「夏休みが終わったら覚悟しててね」


あんな宣言をしてしまったのだから。
制服を着ながら、いま頃になってそのことについて後悔している。


覚悟しててねって、私なにする気だったんだよ。
振り向かせてやる!って息巻いたけれど、具体的な行動なんて皆目見当もつかない。


鏡のなかに映る自分を見る。今日からつけようと、新しいリップを買った。可愛らしいピンク色だ。


癖っ毛の髪の毛がだいぶ伸びてきたので、ふたつ結びにした。切るか、伸ばすかは、もう少し考える。


大志くんは長いのと短いの、どっちが好きなんだろう?


聞いてみようかな。くだらない質問だけど、答えてくれるだろうか。どっちでもいいって言われそうだなと思ってクスッと笑った。


夏休みが終わったからといって、夏が終わったわけではない。朝なのに日差しは鋭いし、暑い。アスファルトに反射する光で上からも下からも熱されている。それでも夏本番よりかは、幾分かはマシに思えた。


通学路を歩いて学校に向かう。久しぶりの学校でも、無条件で大志くんと会えるのだと思うとやっぱり楽しみが大きい。




恋のチカラって、やっぱりすごいな。



「おはよー」



教室に足を踏み入れると、見慣れたクラスメイトが出迎えた。夏休みで焼けたのか、男子たちの肌が焦げている。


一緒に花火大会へ行ったメンツと挨拶を交わし、バーベキューをしたとき、「佐野とふたりでどこ行ったんだよ」とか「付き合ってんの?」とか、たくさん質問されたことを思い出した。


大志くんのことを狙っていると宣言していた女の子も興味津々といった様子だったし、私とふたりで抜けようと言った男の子も近くにいた。


けれど私は「そんなんじゃないよ」とだけ告げた。
話を聞いたみんなは不服そうな顔をしていたし、散々嘘だと疑われたけれど、事実だからそれ以上言えることはなかった。


席について、教室の中を見回す。


大志くんの姿は……まだない。


そのことにホッとしている自分と、いつ来るのかなとドキドキしている自分がいて、自分でもよくわからない。


会いたいけど、会いたくないのだ。
緊張して心臓が痛いし、会ったら、また私のなかで気持ちが弾けて悶えてしまう。


でもここは学校だから、いつものようにベッドの上で足をばたつかせることもできないし、思いきりニヤけることもできない。



「あ、大志!おはよう!」



男の子の声で、ついにそのときが来たのだと悟った。
ドクンッと、一度大きく軋んだ心臓がそのまま大きく大胆に動き続ける。


席に座ったまま、教室の入り口のほうを見た。



白い歯を見せて、目を細めて笑う私の好きな人。人気者の彼はみんなに挨拶をしている。


ふと目が合って、「おはよう」と言われた。しまった。私から挨拶しようと思っていたのに、先を越された。


私は目をそらして「お、おはよう」とぎこちなく挨拶を返す。


……やっぱり、ドキドキする。とても目を合わせていられない。


席に着いた彼は瞬く間にクラスメイトに囲まれている。弾けた笑顔だ。
だけど、よかった。挨拶してくれて。バーベキューは、避けられていたわけじゃない……んだよね?


しばらく遠目から大志くんのことを眺めていると、結衣羽がやってきて他愛のない話に花を咲かせた。


同じ空間に、教室内に、いる。お互い違う人と話していても、すこし耳をすませば声が聞こえる。存在を確認できる。会えなかった長期休みを経て、それだけで特段に幸せを感じる。


その日行われた帰りのホームルームでは、文化祭についての打ち合わせがされた。クラスでの出し物についての話し合いになった。


学級委員でもある大志くんともうひとりの学級委員である女の子が主体となって話が進んだ。



「なにかやりたいことある人ー?」



大志くんの問いかけに、男子も女子も次々に手を挙げて候補をあげていった。改めてノリのいいクラスで良かったと思った瞬間だった。誰もなにも意見を言わないクラスも、きっとあるだろうに。


おばけ屋敷、カフェ、クレープ屋さん、ダンス発表……。


たくさんの案が黒板に書き出される。一通り意見が出終わったあと、多数決をすることになった。ダンスは小学生の頃の学芸会でしかやったことがないから無理だなぁ。楽しそうだけど。


無難にカフェのときに手を挙げた。まあまあの数だった。意外とおばけ屋敷とクレープ屋さんに票があまり集まらなかった。