俺がこんなに好きなのは、お前だけ。




そこで言葉をやめた。まばたきを繰り返して、机の上のプリントを見た。わけのわからない数字たちがゆらゆらと揺蕩って見える。


私なんで、こんなこと打ち明けているんだ?


なんで恋がしたいかを説明したかっただけなのに。どうして悩みなんて……。



「恋愛なんて、どう足掻いたって本気になれねぇーよ。誰かを本気で好きになんてなれないんだよ」



佐野大志のその言葉は、声は、どこか悲しげな雰囲気をまとっていた。


だからだろうか。恋愛を否定されているのに、どうしてかこの前のように怒れない自分がいたのは。



「どうして?」

「俺に告白してきたやつ、全員いまも俺のこと好きだと思うか?」

「それは……」



わからない。この前ひどい振られ方をしたって泣いていた女の子はいま、違う男の子を好きになっていることを最近知った。



「甘いんだよ、全員。それでよく"本気で好きなんです"なんて言えるよな」

「…………」

「だから俺は恋なんて信じないし、したくもない」

「……でも、忘れられない人がいるんでしょ?」



声が震えたのは、このタイミングで聞いてよかったのか不安だったから。
佐野大志は眉間にシワをぐっと寄せて「あ?」と低い声をあげた。


さらに不機嫌になったのは、目に見えていた。



「なんだそれ。誰から聞いたんだよ?」

「う、噂だよ」

「デタラメもいいところだな。そこまでくると笑えるわ」





鼻で笑った佐野大志の顔は、なぜか傷ついたような顔をしていた。
私はなにも声をかけられずに「ごめん……」と一言謝った。



「いいよ。お前が謝んな」

「嫌な気持ちにさせたなら、謝らせてよ」



首を横に振った佐野大志が、口元から息をこぼすようにまた悲しく笑った。



「俺も。誰かを本気で好きになったことなんて、一度もないし……これからも、ない」

「……っ……」



目が合って、そらせずに唇を巻き込んで噛んだ。理由はわからないのだけど、私の胸が痛むのだ。


佐野大志も、もしかして私と同じなんじゃ……?


誰かを好きになったことがない私と、恋を信用していない佐野大志もまた、誰かを好きになったことがない……?



「俺、ほんと、お前のこと嫌いじゃないんだ。なぜか知らねえけど、素の自分を出せる唯一のクラスメイトだから……」

「うん……」

「だからさ、」



一呼吸おいて、再び佐野大志が口を開く。



「お前は、俺のこと好きになんなよ」



シャーペンを握る手に、力が入った。心臓とは違う、もっと奥、胸のなかに存在する異次元が、傷ついたような痛みとなにかがひび割れるような音が聞こえた。


なんだ、いまの……。



「な、ならないよ……! 安心して……っ」

「ははっ、そうか。なら、よかった」





胸の痛みが引かない。


女の子の勇気ある告白を、無碍にする男なんて願い下げだって、私だってそう思っていたはずだ。


佐野大志のこと、人の気持ちがわからない最低な人だと思っていた。


違う……んだ。
ただ単に、誰かを好きになったことがないだけ……なんだ。私と同じ。


もしかしたら佐野大志はとてつもなく不器用な人なのかもしれない。


恋を、信じられないだけ……?



「……っ……」



ふとそのとき。
心臓の音が変わった。嫌に響く低音から、高くなった気がした。


あれ、私、うれしい……のかな?いま。



自分のなかにある感情がわからない。さっきからとても忙しい。ころころ表情を変えて、温度や色までもがどんどん移ろいでいく。



「ほら、続きやらねぇーと。いつまても終わらねぇーぞ」

「わ、わかってるよ」

「ほんと、かわいくねえやつ」



頬杖をついた彼が毒づいて、微笑んだ。その小悪魔な笑みに、きっと女の子は惚れていくのだろう。


ムカつくけど、かっこいいのは、認めざるを得ない。




忙しない私の胸の鼓動も、浮ついて落ち着かない心も、全部全部、無駄にイケメンな大志くんのせい。


その他の人に見せない飾らない仕草も、ツンツンしている表情も……もっと魅力的に見えるだなんて、きっとなにかの錯覚だ。


好きになんか……ならないもん。

好きになるなよって、何様って感じだし。



「終わった……っ!」

「よし、付き合ったんだからなにか奢れよ」

「は、はあ!?かってに付き合ったのはそっちでしょ!」

「恩知らずが。性格悪いのはお前も同じだな」

「なっ……!」



ケラケラ笑っている大志くんに拍子抜けして、ふたりで教室を出た。結局昇降口前の自販機の前で「コーラでいいよ」なんて言われて、渋々奢ってあげた。なんて優しいんだろう、私。


そのあとも売り言葉に買い言葉、くだらない言い合いをしながら家路につく。


大志くんは自転車で通学しているらしいが、何気に私を駅まで送ってくれたのは優しいなと素直に思った。



「じゃなー」

「うん、ありがとう」



駅に着いて、それまで押していた自転車に跨って来た道を戻っていく大志くんを見送ってから改札を通った。


動き出した電車内で、流れゆく景色を呆然と眺めながら私は火照った頬の熱を感じていた。




春から夏へと季節は変わろうとしている。
朝目覚めて、寝ぼけ眼で準備を整え、登校した。
快晴で、ところどころにある雲は綺麗な白。


同じ制服を着た人たちに紛れて登校ピークの校門を抜けた。


結衣羽と下駄箱でばったり会って「おはよう」と挨拶を交わしたときだった。


下駄箱内のうわぐつ上に、手紙が置いてあったことに気づいたのは。



「はっ?」

「えっ、ラブレター!?」

「そ、そんなわけ……っ、誰かの下駄箱と間違ったんじゃない!?」



となりで興奮気味に声を荒げた親友をなだめる。自分に言い聞かせるといった意味もあった。


口の中にたまった唾を飲み込んで、手紙を手に取る。

そして、開いた。



【昨日の放課後、佐野大志くんと一緒にいるところを見ました。どんな関係ですか?】



書かれてあった短文。読み終えても、理解ができなかった。


なに、これ……。



「うわ、なにこれ……気味が悪い」

「男の子の字、だよね?」



だってお世辞にも綺麗だとは言えない。筆圧が強くて、カクカクした字をしている。


どこにでもある真っ白な便箋の中身は、よく見るとノートの切れ端が使われていた。
切り取り方が雑だったのか、右隅が丸くなっている。


ほんと、気味が悪い。誰がこんなこと書いて私の下駄箱に入れたの?


昨日私と大志くんが一緒にいたことを見ていたってことだよね?



「ストーカー?だったりして……」

「え、やだ、脅さないでよ」



ストーカーって、そんな、まさか。
私に?


ふたりして困り果て、その手紙を凝視していたとき、「なにしてんの?」と声がかかった。振り向くとそこにいたのは大志くんだった。




私はとっさに自分の身体の後ろに手紙を隠した。
でも大志くんはその不自然な動きを見逃してくれなかったらしい。



「なに隠したの?」

「べ、べつに……なにも?」



結衣羽がいる手前か、笑顔で物腰の柔らかい大志くん。だけどすっとぼけた私に対してその顔が一変した。


短く「チッ」と舌打ちをして私に向かって手を差し出したのだ。それを見たとなりでは結衣羽が目を見開いているのが視界の端で確認できた。



「嘘つけ。いいから見せろ」

「な、なにを……」



往生際の悪い私にイラついたのか、手紙を持つ私の右の腕を掴んで無理くり前に出させた大志くん。

現れた手紙を奪って読んだ。バツが悪くて、私は顔をうつむけた。

内容が内容だし。しかも大志くんに向けられた勘違いもいいところの嫉妬が表れている。


とても、気まずい。なんと、言われるか……。



「おい、大丈夫か……?」

「へ?」



まさかだった。まさか第一声が心配する言葉だとは思わなかった。
予想外すぎて、リアクションが取れず、きょとんとしてしまう。



「こんなの、普通に怖いだろ……」

「うん……いやでも、ただのイタズラかもしれないし」

「それでもこれはヤベェだろ……」



真剣な表情と、真剣な声。
もちろん私だっていきなりこんな手紙を貰って、気持ちが悪かったことに違いはない。


だけど当事者でもない大志くんがそこまで私の立場になって考えてくれていることが、シンプルにうれしいのだ。



「ありがとう、心配してくれて」

「なにかあったら言えよ。この手紙どうする?」

「一応待っとくよ」

「そうか」






受け取った手紙はかばんにしまった。
持っておくのも怖いけれど、捨てるのもなんだか怖い。


このままなにもなければ、これっきりだったらいいのだけど、ほとぼりが冷めるまでは一応持っておくことにする。


大志くんが先に教室に行き、私もうわぐつに履き替えていると「ちょっと」と、となりにいる結衣羽に肩を軽く叩かれた。



「どういうこと?佐野大志となにかあったんじゃなかったの?しかもあいつ、あんなキャラだっけ?」

「あー、話すと長いよ?」

「ももかがちゃんと逐一報告してくれないからでしょーが」

「ごめん、ごめん」



顔の前で両手を合わせて謝る。結衣羽はやれやれといった様子で笑って「全部話してよね」と腰に手を置いた。


私は教室までの道のりですべてを話した。


となりのクラスの女子生徒が大志くんに告白しているところを目撃したこと、私が憧れる恋を否定されて嫌いと宣言してしまい、関係が悪化したこと、そして昨日の放課後再び話してなんとなく一緒に帰ったこと。



「はーん。私が知らないところでそんなことがあってたのね」

「秘密にしてたわけじゃないよ」

「わかってるよ」



教室にたどり着いて席に着く。
大志くんはクラスメイトの男子たちと楽しげに談笑している様子。


でもほんと、"大丈夫か?"だなんて、心配されるとは思わなかった。





「でもあのクラスの爽やか王子がももかにだけあんな態度を見せるなんて」



結衣羽が私の席に近づいてきて、空いていたとなりの席に腰かけた。



「ある意味特別かもよ」

「そんな特別、求めてないんですけど」

「いいじゃん、いいじゃん。裏の顔をイケメンが特別に見せてくれるって、なかなかいいシチュエーションじゃん」



そう……かな。
私も、他人事だったらそう思うのかな?


でも、ちがうんだよね。

どっちかというと、私にはいまクラスメイトに見せている姿が裏のような気がするの。


本当の佐野大志は、短気で怒りっぽくて、口が悪くて、あんまり笑わない人なんだと思う。


優しくないわけじゃない。
昨日だって何も言わずに課題に付き合ってくれたし、駅まで送ってくれた。



「恋、はじまるといいね」

「大志くんは、無理だよ」



恋はしたい。けど、大志くんは無理だ。恋を信用してない彼と、恋はできない。



「恋に無理もくそもないんだよ。気づいたら好きになってるから」

「前にも言ってたね、それ」

「うん。いまの彼氏を嫌いになれって言われたら、絶対ムリだもん」



結衣さんがにこっと笑う。私もつられるよう笑った。


ふと視線を外して、大志くんに目を向けたその奥、廊下にいる佐藤くんが私たちの教室を覗き込む姿が目についた。


中を見渡していた彼と目があって微笑まれる。




首をかしげた私に「ちょっと来て」と言われて立ち上がった。
何人かのクラスメイトたちが何事?と投げられた視線を感じたが、気にせず彼のもとへ歩いた。



「ごめん、英語の教科書貸してくれない?」

「えっ?いいけど……」



どうして私?

佐藤くん、ほかに友達いるはずなのに……。



「持ってくるから、ちょっと待ってて」

「うん。さんきゅーな」



佐藤くんに一言告げて、自分の席へ向かう。
引き出しから英語の教科書を取り出すと、再び佐藤くんのもとへ歩いた。


その途中、大志くんと目が合った気がしたのだけれど、私は止まることなく佐藤くんのところへ向かった。


目があった瞬間、心臓がドキッとした。



「マジごめん。終わったら返すから」

「いいよ、急がなくて。私たち今日英語はラストだから」

「助かる。それとさ、よかったら明日、みんなで来週に向けてテスト勉強するんだけど、小田さんも来ない?」

「えっ?」

「俺たちのクラスのやつら数人とやる予定なんだけど、小田さん都合悪い?」



佐藤くんたちのクラスの人たちと、勉強会?

私、親しい人いないなかでやるの?

それって、最高に居心地悪くないでしょうか?


なんと言って断っていいかわからず苦笑いで「そうだなぁ……」と、頬を人差し指で掻いていると「小田さんの友達もよかったら連れてきていいから」と、なにかを察したのか、佐藤くんがそう言った。