俺がこんなに好きなのは、お前だけ。




時間が経ってからすこし言いすぎたかもしれないと反省をした。だけど、彼の態度や言いぶんを思い出すと、やっぱり納得がいかなくて憤慨してしまう。


そんなことを繰り返しながら夜ごはんを食べて、お風呂に入って、ベッドに横たわった。


なんだか寝る気になれず、毎月欠かさず買っている雑誌を手に取った。めくると可愛いモデルたちが今流行りの洋服やバッグ、アクセサリーを身につけて笑っていたり、かっこよくポーズを決めていたりして、うっとりする。


私もこんな風にスタイルのいいかわいい女の子だったら、恋もできるのだろうか?


思い立ったように雑誌を閉じ、姿見の前に立って雑誌のモデルたちと同じようにポージングしてみるけれど、そこにはスタイルのスの字もないような見るにも耐えない幼児体形の自分の姿しかなく、うなだれて、ベッドに再びダイブした。


どうしたら平凡な私でも恋ができるんだろう?

どうしたら素敵な男の子に出会えるの?

どうしたら誰かを本気で好きになれるんだろう?


友だちだって好きな人がいるし、彼氏だっている。
毎日がキラキラしていて、すごく楽しそうなんだ。


私も、そんな毎日を送りたい。

心から好きになれる誰かと……。


16才にもなって好きな人ができたことがないって、やっぱり変なのだろうか?


私がおかしいから、恋が、好きな人が、できないのかな?




「…………」



部屋の天井を見つめて、胸の奥が切なく痛むのを感じた。


焦る。だって普通、初恋が高校生にもなってまだだなんて、そんなの遅すぎる。


このまま一生誰にも恋しないまま人生が終わっちゃったらどうしよう。それだけは絶対に嫌だ。


考えることを無理やり中断させるように部屋の明かりを消した。


まぶたを閉じて睡眠の世界へと入っていった。



***



次の日の朝、大粒の雨が降っていた。傘をさして自宅近くの駅まで歩き、電車に乗って、学校の最寄り駅で下車してまた歩いた。


眠くてあくびをすると、目尻に涙がたまった。まばたきをすると流れてしまいそうになった雫を、指ですくった。


好きな人がいれば、毎日の学校も、楽しみになるのかなぁ……。


濡れた地面のコンクリートのデコボコを流し見ながら、そんなことを考えた。



「ももか、おはよう」



たどり着いた学校。教室に入ってすぐ結衣羽が笑顔で声をかけてくれた。
私も自然と笑顔になって「おはよ」と返事をしながら席に着く。


かばんの中身を引き出しに移し替えながら、教室のなかを何気なく見渡した。


すぐ近くでは仲良しカップルでお馴染みのクラスメイトの男女ふたりが仲睦まじく談笑しているのが目に入り、


目を背けた先の廊下では、うちのクラスの男子ととなりのクラスの女子が楽しそうに話している姿もある。もうすぐカップルになりそうな、そんな感じ。とても、羨ましい。



「……ねえ、私の運命の人どこですかぁー?」

「うわ、でた。今日は一段と早いですね、その口ぐせ」

「だってぇ……」

「はいはい、もう聞き飽きたから」



ひどい。せめて言わせてくれたっていいじゃないか。





もう一度ため息を吐きかけたとき、クラスメイトたちがざわついて、アノ人気者が登校してきたことを知らせた。


肩に負荷がかかったみたいに重くなって、気持ちがげんなりする。



「大志、おはよ!」

「おはよう、大志くん」

「ちーっす!」

「あはは、おはよう!」



みんなが待ってましたと言わんばかりに彼に挨拶するサマを、私は頬杖をついて眺める。まるで動物園みたいだ。


当の本人は「みんなおはよう」だなんて爽やかな笑顔で返しているのも、なんだか腹立たしい。


そんな私に気づいていないのか、結衣羽が「お、ももかの王子様がきたよ」なんてニヤついている。



「やめてよ、マジで。あんな人願い下げだから」

「あれ、どうしたの、いきなり」

「昨日ちょっとね」



クラスメイトがたくさんいる教室で、あまり話せる内容ではないけれど。


みんなあの笑顔に騙されているんだ。本当は人の気持ちがわからない冷たい人なのに。



「ようやくももかにも春がきたと思ったんだけどなあ」

「勘違いだったんだよ」



顔が整っていて、あんな爽やかな笑顔で優しくされたら誰だって好きになっちゃいそうになるよ。女の子の気持ち、わかるよ。


でも私はもう騙されない。
女の子の告白をあんな風に断る最低な人、好きになれっこない。


落ちかけた夢から覚めたんだから。



「小田さん」



呼ばれて肩と心臓がびくっと跳ねる。
振り返るとそこにいたのは心のなかで毒を吐いていた相手、佐野大志くんだった。



「これ、昨日落としてたよ」



差し出されたのは、黄色いハンカチだった。






そういえば昨日、決まっていつも帰宅後すぐに洗濯に出しているハンカチがポケットに入っていなくて焦って探していたことを思い出した。


あのとき落としていたからなかったのか。



「……どーも」



受け取って、軽く頭をさげて気持ちのこもっていない一瞥を彼にやった。


すると彼は微笑んだ表情をしたまま眉を一瞬だけピクッと動かした。イラッとしたのがまる見えだ。


私はぷいっと彼がいる反対を向いた。
遠くへ行く足音。数秒後、そばからいなくなったことを確認する。



「……ほんと、なにがあったのやら」

「言いたくない。思い出したくないから」

「はいはい」



結衣羽と佐野大志の話題はそれで終了した。


それから私はなにかと大志くんを毛嫌いするようになり、あちらも同じく私のことを見るとあからさまに顔をしかめるようになった。


お互いがお互いのことが苦手なのがわかっていて、周りもそれを理解し始めた頃、とある噂が頻繁に耳に入ってくるようになった。



──「佐野大志には、忘れられない初恋の人がいるらしい」



そんな噂が出回っていた。
嘘か真かは、定かではない。どこからの情報かも、わからない。


あんなやつのこと、別にどうだっていい。気になったりしない……って、言えたらどんなにいいか。



「…………」




今日も爽やかな笑顔でクラスの中心にいる彼を睨むように見る。
彼の席の周りにいる男の子も、女の子も楽しそうに笑って話している。


……気に、なる。


あの、サイコパスのような佐野大志に、忘れられない初恋があるだなんて。
それが本当なら詳しく聞きたい。知りたい。




佐野大志のハートを射止めた女の子は、一体どんな子だったんだろう。

片想い?両想い?付き合ってた?別れたの?いま、その子とはどんな関係?


聞きたい。教えてほしい。


恋が嫌いな佐野大志が、どんな恋をしていたのか。


恋をしたことない私に、恋に憧れる私に、ぜひとも。


だけど、まあ当然、聞けるわけがない。私たちはいま、劣悪な関係なのだから。



「あっ……」
「あ、」



私の声とその声がかぶったのは、放課後のことだった。


本屋さんにいつも買っている雑誌を買いに来たのだけれど、たまには一般文芸のコーナーも見てみようと視線をなにげなく本棚に向けていたときだ。


大嫌いな佐野大志と鉢合わせたのは。

突然目の前に現れた背の高い佐野大志に心臓が跳ね上がる。ぶつかるかと思った。



「……なんでいんのよ?」

「なんでもいいだろ。そっちこそなんでいんだよ?」

「べつに、なんでもいいでしょ?」



佐野大志の横を通り抜けようとしたとき、同じ方向に足を踏み出した佐野大志とぶつかりそうになる。


次に反対方向に私が進む。でも、同じように佐野大志が私の行く手を阻む。



「ちょっと……!」

「お前、ふざけんな、わざとかよ?」

「そんなわけないでしょ……っ」

「どーだか。性格悪いしな」

「はー?」



小馬鹿にしたようなその態度にハラワタが煮えくり返る。
ほんっと、失礼な人。
ふと佐野大志が私が持つ雑誌に目を落とす。



「……本読めよ」

「いーじゃん、雑誌でも」

「恋占い特集って、まだ恋したいとか思ってんの?」

「悪い?」





ムッとして、佐野大志を睨みつける。
すると彼が「……まあ、せいぜい頑張れよ」と私の肩に触れながら、半笑いで横を通りすぎて行った。


ちょっと、セクハラしないで!ばか!


心のなかで反復するイライラ。なんで学校以外で会っちゃうんだろう。本当に運が悪い。早くこの雑誌たち買って、帰ろう。


そう、歩き出したとき、前を見ていなかった私は今度こそ誰かとぶつかって、尻もちをついてしまう。持っていた雑誌たちは地面に散らばった。



「わ、ごめん!大丈夫!?」

「いたたた……」



打ちつけた腰をさすりながら、ぶつかった相手を見ると、これまた不思議なことに見慣れた制服を着た男の子が目の前にいた。


心配そうに私の様子を伺うその男子に見覚えがあり、首をかしげた。


あれ……?



「あれ?もしかして、A組の小田さん?」

「え……?あっ、もしかして、B組の佐藤くん?」



名前を呼ばれて、タイミングよく彼の名前を思い出すことができた。
そうだ、彼はとなりのクラスの佐藤くんだ。
何度か廊下ですれ違ったこともあるし、うちのクラスに遊びにきている姿を何回か見かけた。どうりで見覚えがあるはずだ。


特別にかっこいいわけではないのだけれど、フレンドリーな性格なのか、うちのクラスにも友達がいて、楽しげに話している姿が印象的な彼。


差し出された手を見て一瞬戸惑ったけれど、遠慮したら逆に失礼かなと、彼の手を掴んで立ち上がった。




健康的な小麦色の肌。筋肉質な腕に男の子を感じる。
うちのクラスの意地悪な偽り優等生くんとは違う。
あの人は正反対に色白で、ひょろひょろとしていて、チカラなんてまるでなさそう。



「……小田さん?」

「へっ?」

「いや、ぼうっとしてたから。……ごめんね、俺前見てなかったから。怪我してない?」

「いや全然! むしろ私のほうがごめん!」



申し訳ないと真摯に謝る彼に私も戸惑いながら謝罪した。

前方不注意は、私も同罪だ。



「小田さんは買い物?」

「うん」

「そっか……。あ!あの、小田さんって甘いもの好き?よかったらこれ食べない?」

「え?」



思い出したかのように差し出されたのは本屋さんの横にあるカフェのケーキの無料券だった。
甘いものに目がない私。思わずごくりと喉を鳴らしてしまった。



「い、いいの?」

「うん。さっき買い物したらもらったんだ。よかったら今から一緒に行かない?俺はコーヒーが飲みたいんだ。ケーキは小田さんが食べて」

「えっ、うん!ぜひ!」



舞い上がって即答。ついつい浮かれて返事が大きくなる。


でも、佐藤くんと話すのはこれが初めてで、接点もまるでないのに、いきなりカフェでふたりきりって、うまく会話できるだろうか?


急に不安になってきた。



「ここのコーヒーもケーキも美味しいって聞いたからさ、楽しみだなぁ」



隣で嬉しそうに笑う佐藤くんを見て、私も笑った。
まあ、どうにかなるでしょう。


雑誌をレジで会計して、ふたりで本屋さんを出てカフェに入った。


そのカフェは白と黒を基調としたテーブルや椅子で揃えられており、店内は落ち着いたBGMが流れていて、とても大人っぽい雰囲気。とてもSNS映えしそうな感じだ。





店員さんに席へ案内されて、佐藤くんとは向かい合わせで座った。


ひとつしかないメニューを佐藤くんが開いて「小田さん、なに飲む?」と聞いてくれた。


細やかな心配りができる人なのだとわかった。



「キャラメルにしようかな……でもさすがにカロリーやばいかな?」

「小田さん細いし、今日ぐらいならいいんじゃない?」

「……!?」



佐藤くんの発言に、目を見開く。たぶんいま、私の目は相当輝いている。


細い?私が?この幼児体型の、くびれもなにもない私が?


全世界の男の皆さん、聞きましたか。いまの佐藤くんのパーフェクトな返し。


感動して、言葉になりません。



「どうしたの?小田さん」

「……ううん、じゃあ注文しよっか」

「そうだね」



にこやかに笑って、手をあげて店員さんを呼んだ佐藤くんが私のぶんの注文までしてくれた。


なんて、いい人なんだろう。


物腰が柔らかくて、注文後は店員さんにもきちんと「ありがとうございます」と言える人だった。



「急に誘ってごめん。なんも用事なかった?」

「うん!どうせすることなかったし、むしろ誘ってくれてありがとうだよ」

「いきなり誘って迷惑だったかなっていま反省してた。でも俺、小田さんと話してみたいなってずっと思ってたんだよね」

「え?」



照れたようにすこし頬を赤らめて笑う佐藤くん。
流れ出すむず痒い雰囲気に、急に落ち着かなくなった。





この流れはなに?
もしかして……恋のはじまりですか?


佐藤くんは特にイケメンというわけではない。二重で目がキリッとしているけれど、彫りが深く、見た目からもとても男らしい人。


その後も会話は途切れることなく続いた。それぞれの担任の話や、クラスで起きた面白いエピソードを話し合って笑って過ごした。


カフェを出るとき、ケーキ代は無料だったのだけれど、自分が飲んだキャラメル代は払おうと財布を取り出すと「いいよ、ここは」と佐藤くんがささっと払ってしまった。


悪いからと、お金を差し出しても受け取ってくれず、「俺が誘ったから」とその一点張り。



「じゃあさ」

「……?」

「次、なにかの機会があったときは小田さんに奢ってもらおうかな?」



帰り道、頬を膨らませた私を見て、佐藤くんが両方の目尻を下げながらそう言った。


私たちに"次"があるの?



「わかった」



ちょうど、乗る駅に到着して、私は頷いた。

そのままふたり並んで中に入って行くかと思いきや、となりにいると思い込んでいた佐藤くんがいなくて、立ち止まる。



「じゃあまた、学校でな」

「え?佐藤くん乗らないの?」

「ああ、俺電車じゃなくてバスなんだ」



目を見開いた。
嘘、佐藤くんも電車だから一緒に歩いてたんだと思ってた。


まさか、わざわざ駅まで送ってくれたってこと……?



「じゃあな」

「うん、また明日!」



手を振る佐藤くんに私も手を振って応えた。
改札を抜けると、電車に乗り込んで、私は佐藤くんのことを考えた。


優しい人だった……。