俺がこんなに好きなのは、お前だけ。



冷たい。表情も言葉も声も。目線も、態度も。

まるで"恋"が嫌いみたいだ。


でも、それでも……。



「私は、恋がしたいよ?」



全否定しないでほしい。

まるで恋が悪いことのように、粗悪なもののように言わないでほしい。


だって憧れなんだもん。



「そっか」

「うん」

「そろそろ終わる?俺やっぱりもう行かなきゃなんだけど」

「もう終わるよ。ごめんね、付き合わせちゃって。私のことは気にしないで、行っていいよ」

「うん。最後まで付き合えなくてごめん。行くわ」



席を立った大志くん。かばんを手にすると、さっさと教室を出て行ってしまった。


好印象だった彼から、恋についてマイナスな発言が出てきたことが、なぜかショックだった。


高校生っていったら男女問わずに恋愛に興味があるのが当たり前なのだとかってに思っていたのだけれど、違うのかもしれない。


すこし気になる存在になっていた大志くんが恋人のことを"飾り"だと言ったことに対してモヤモヤしてしょうがない。


そんなんじゃないのに。


でも自慢したくなっても、おかしくないと思う。


素敵な彼女や彼氏がいたら、自慢したくなっちゃうのはわかるもの。


そんな恋人と思い出をつくれば、誰かに話したくなるよ、きっと。


自慢したくて恋をしているわけじゃない。
恋をしているから、自慢したくなるのだと思うの。


そんなひよこが先か卵が先かみたいな話、心の中で繰り広げたって、大志くんには伝わらないんだろうけど。


モヤモヤが、だんだんイライラに変わってくる。


モテてる人は、私みたいな凡人とは感性が違うのかもしれないね。


好きになりそうだなんて、撤回する!

なんか、いけすかない!




"恋なんて興味ない俺、かっこいい"とでも思ってるのかな?自分に酔ってる?


ぷりぷり怒りながらもようやく日誌を書き終えることができた。職員室までの道のりを歩く。担任に提出すると、さっさと帰ろうと下駄箱まで向かった。


靴を履き、外へ出ると空は夕日で赤く染まっていた。



「私、大志くんのことが好きです……っ」



そう聞こえたのは昇降口前の階段を一段降りたときだった。
聞こえた方向、右斜め後ろを見る。昇降口を正面にした左側の向こう。
恐る恐る足音を立てないように壁にへばりついて、角のその先を見る。


運動場と校舎の間にある大きな木。その木の下で見たことあるとなりのクラスの女子と大志くんが向き合って立っていた。


嘘、いまの、告白……?


ふたりにバレないように細心の注意をはらいながら、でも、もっとふたりの様子を見たいという葛藤に苛まれる。


大志くん、なんて返事するんだろう……?



「ごめんね、きみとは付き合えないよ……」



大志くんの声は優しさを含んでいた。噂とは違った断り方で拍子抜けした。


なーんだ、結構普通じゃん。



「どうして?好きな人、いるの?」

「いないよ」

「じゃあ彼女もいないんだよね?」

「うん」

「私じゃダメ、かな?私とじゃ付き合えないかな?お試しからでもいいから……」



すがるように女の子が大志くんの制服を掴んだ。私はそれを固唾を飲んで見守っていると「はぁ……うっざ」と遠くにいるはずの私ですらビビってしまうほどの低い声がどこからか聞こえた。


周りには私を含めて3人しかいない。じゃあ今の声って、もしかして……。



「あんた、やっぱりうざいよ」






私の心臓まで痛んだ。その冷たい声と言葉。それを放ったのは大志くんだった。


告白をした女の子は、きっと、ものすごい勇気を出して告白したに違いないのに。


うざいだなんて、そんなの、あんまりじゃないか?



「こっちが優しく断ってるのにさぁ、空気読めないわけ?いい加減引き下がってくんない?」

「……っ……」

「あー、泣かないでくれる?俺、なんも悪いことしてないよね?」



大志くんの言葉で女の子が泣いていることを知る。大きく身を乗り出してふたりの様子をうかがうが、よく見えない。ただ、女の子の肩が震えてるのが遠目からも確認できた。


可哀想。せっかく好きな人に想いを伝えたのに、その好きな人からきつい言葉を浴びせられるなんて、きっと考えてすらなかっただろうに。


深いため息を吐いた大志くんがなにもかもめんどくさそうに、そしてイライラしたように頭をデタラメにかく。



「ごめんなさい……っ」



吐き捨てるようにそう言って、女の子が勢いよくこちらに向かって走ってきた。
あわてて身を隠すけれど、猛スピードで私の横を通り過ぎて行った彼女は、どうやら俯いていて、私の存在には気づかなかったようだ。危なかった。


ほっと胸をなでおろしていると「おい」と後ろから低い声がして、吐いていた息をあわてて吸いなおした。


壊れかけたロボットのように関節を不器用に動かしながら、後ろを振り返った。
そしたら案の定、そこには不機嫌な表情をした大志くんが目を細めて立っていた。



「ア、アハ、アハハッ。こ、こんなところで奇遇ですねぇ?た、大志くん」

「お前、なにしてんの?」

「へ?」


お、お前……?





彼の顔に不穏な陰が落ちている。静かな怒りのオーラが彼の背後に見える、気がする。
私は引きつった笑みを浮かべたまま逃げようと足を後ろに引いた。いけない。後ろは壁だった。



「人の告白盗み見るとか悪趣味すぎじゃね?」

「べ、べつに見たくて見てたわけじゃないし……」

「それにしては滞在時間長かったな」

「へっ?」



鋭い指摘。動揺して短いその声が高くどこかへ飛んだ。

額から汗がにじんでいるのがわかる。



「隠れきれてねぇーから。普通に見えてたから」

「そ、それは誠ですか……?」



私、日本語不自由かよ。


ぽっと出た私の意味不明な言葉に返事はなく、代わりに睨みが強まって「ごめんなさい……」とこぼした。これはもう私の完敗だ。



「嘘つき」

「ごめんなさい……」

「性格悪い女だな」

「そ、それはあなたの方でしょう⁉︎」

「あ?」



低い声をだされて狼狽えつつも、負けじと私も目線をそらさないように気をはる。


だって性格激変してるじゃん。大志くんって優しくて、頭良くて、よく笑うみんなの人気者、優等生さんですよね?


いま、顔、こわいし。そんな険しい顔できたんですね、大志くんって感じ。声だって低いし、言葉は厳しい。


それに、なにより……。



「……あの子、可哀想だった」



思いのほか私の声も低くなってしまった。
さっき私の横を通り過ぎていった女の子の目尻から光って見えた涙。振られたのは私ではないのに、それを見た私の胸までもが痛んだ。


絶対あの子の心も同じように痛いに決まっている。
好きな人から拒絶されるの、うれしい人なんていないはずだから。



「俺、安易に告白してくるヤツ大っ嫌いなんだよね。俺のどこを好きになったわけ?話したこともなければ、名前だって知らないのに、付き合えるわけねぇーだろ」






それは、そうかもしれないけど。



「もっと言い方ってものがあると思う」

「優しくしたらつけあがるだろ」

「それでも告白してきた勇気に対して、誠意をもってお返事してあげないと、女の子が報われない!」

「……なにそれ、めんどくさ」



吐き捨てた台詞。そのあとやれやれと言ったふうに首を横に振った彼のその態度を見て怒りが頭にくる。


めんどくさい?
告白の返事に、すこし配慮することが?


大志くんって、そんな人だったの?
すこしでもかっこいいとか、好きになりたいとか思った自分を盛大に殴ってやりたい。



「……大志くんがそんな最低な人だとは思わなかった」

「は?」

「私、大志くんのこと嫌いだ」

「なっ……」

「大嫌い!」



口をついて出た言葉。


背の高い大志くんを見上げると、いつもは優しく下がっている目尻がつり上がっていて、怒っているのが伝わってくる。


でも、私だって怒っているのだ。


ひどい人。
普段あんなに優しいのも偽りなんだ。


噂も本当だった。
女の子からの告白をひどい言葉で断る、例の噂。



「……大志くんのほうがよっぽど嘘つきじゃん」

「…………」

「最低。すこしでも"いい人"って思った自分バカだった」



始まってすらないはずなのに、失恋でもしてしまったかのような失望感に苛まれる。


学年一のモテ男がこんなんじゃ、私の理想の恋なんて絶対できっこない。



「お前なぁ」

「もうなにも聞きたくありません。さよーなら」



埒があかないと、私は踵を返してその場をあとにした。


大志くんのことなんか、絶対好きにならない。なれない。あんな、人の気持ちに鈍感な人。なんでモテるのかさえわからなくなった。


イライラして、大股になってしまう。空にむかって、大声で叫びたい気分だ。



大志くん、本当に、最低──ッ。






時間が経ってからすこし言いすぎたかもしれないと反省をした。だけど、彼の態度や言いぶんを思い出すと、やっぱり納得がいかなくて憤慨してしまう。


そんなことを繰り返しながら夜ごはんを食べて、お風呂に入って、ベッドに横たわった。


なんだか寝る気になれず、毎月欠かさず買っている雑誌を手に取った。めくると可愛いモデルたちが今流行りの洋服やバッグ、アクセサリーを身につけて笑っていたり、かっこよくポーズを決めていたりして、うっとりする。


私もこんな風にスタイルのいいかわいい女の子だったら、恋もできるのだろうか?


思い立ったように雑誌を閉じ、姿見の前に立って雑誌のモデルたちと同じようにポージングしてみるけれど、そこにはスタイルのスの字もないような見るにも耐えない幼児体形の自分の姿しかなく、うなだれて、ベッドに再びダイブした。


どうしたら平凡な私でも恋ができるんだろう?

どうしたら素敵な男の子に出会えるの?

どうしたら誰かを本気で好きになれるんだろう?


友だちだって好きな人がいるし、彼氏だっている。
毎日がキラキラしていて、すごく楽しそうなんだ。


私も、そんな毎日を送りたい。

心から好きになれる誰かと……。


16才にもなって好きな人ができたことがないって、やっぱり変なのだろうか?


私がおかしいから、恋が、好きな人が、できないのかな?




「…………」



部屋の天井を見つめて、胸の奥が切なく痛むのを感じた。


焦る。だって普通、初恋が高校生にもなってまだだなんて、そんなの遅すぎる。


このまま一生誰にも恋しないまま人生が終わっちゃったらどうしよう。それだけは絶対に嫌だ。


考えることを無理やり中断させるように部屋の明かりを消した。


まぶたを閉じて睡眠の世界へと入っていった。



***



次の日の朝、大粒の雨が降っていた。傘をさして自宅近くの駅まで歩き、電車に乗って、学校の最寄り駅で下車してまた歩いた。


眠くてあくびをすると、目尻に涙がたまった。まばたきをすると流れてしまいそうになった雫を、指ですくった。


好きな人がいれば、毎日の学校も、楽しみになるのかなぁ……。


濡れた地面のコンクリートのデコボコを流し見ながら、そんなことを考えた。



「ももか、おはよう」



たどり着いた学校。教室に入ってすぐ結衣羽が笑顔で声をかけてくれた。
私も自然と笑顔になって「おはよ」と返事をしながら席に着く。


かばんの中身を引き出しに移し替えながら、教室のなかを何気なく見渡した。


すぐ近くでは仲良しカップルでお馴染みのクラスメイトの男女ふたりが仲睦まじく談笑しているのが目に入り、


目を背けた先の廊下では、うちのクラスの男子ととなりのクラスの女子が楽しそうに話している姿もある。もうすぐカップルになりそうな、そんな感じ。とても、羨ましい。



「……ねえ、私の運命の人どこですかぁー?」

「うわ、でた。今日は一段と早いですね、その口ぐせ」

「だってぇ……」

「はいはい、もう聞き飽きたから」



ひどい。せめて言わせてくれたっていいじゃないか。





もう一度ため息を吐きかけたとき、クラスメイトたちがざわついて、アノ人気者が登校してきたことを知らせた。


肩に負荷がかかったみたいに重くなって、気持ちがげんなりする。



「大志、おはよ!」

「おはよう、大志くん」

「ちーっす!」

「あはは、おはよう!」



みんなが待ってましたと言わんばかりに彼に挨拶するサマを、私は頬杖をついて眺める。まるで動物園みたいだ。


当の本人は「みんなおはよう」だなんて爽やかな笑顔で返しているのも、なんだか腹立たしい。


そんな私に気づいていないのか、結衣羽が「お、ももかの王子様がきたよ」なんてニヤついている。



「やめてよ、マジで。あんな人願い下げだから」

「あれ、どうしたの、いきなり」

「昨日ちょっとね」



クラスメイトがたくさんいる教室で、あまり話せる内容ではないけれど。


みんなあの笑顔に騙されているんだ。本当は人の気持ちがわからない冷たい人なのに。



「ようやくももかにも春がきたと思ったんだけどなあ」

「勘違いだったんだよ」



顔が整っていて、あんな爽やかな笑顔で優しくされたら誰だって好きになっちゃいそうになるよ。女の子の気持ち、わかるよ。


でも私はもう騙されない。
女の子の告白をあんな風に断る最低な人、好きになれっこない。


落ちかけた夢から覚めたんだから。



「小田さん」



呼ばれて肩と心臓がびくっと跳ねる。
振り返るとそこにいたのは心のなかで毒を吐いていた相手、佐野大志くんだった。



「これ、昨日落としてたよ」



差し出されたのは、黄色いハンカチだった。






そういえば昨日、決まっていつも帰宅後すぐに洗濯に出しているハンカチがポケットに入っていなくて焦って探していたことを思い出した。


あのとき落としていたからなかったのか。



「……どーも」



受け取って、軽く頭をさげて気持ちのこもっていない一瞥を彼にやった。


すると彼は微笑んだ表情をしたまま眉を一瞬だけピクッと動かした。イラッとしたのがまる見えだ。


私はぷいっと彼がいる反対を向いた。
遠くへ行く足音。数秒後、そばからいなくなったことを確認する。



「……ほんと、なにがあったのやら」

「言いたくない。思い出したくないから」

「はいはい」



結衣羽と佐野大志の話題はそれで終了した。


それから私はなにかと大志くんを毛嫌いするようになり、あちらも同じく私のことを見るとあからさまに顔をしかめるようになった。


お互いがお互いのことが苦手なのがわかっていて、周りもそれを理解し始めた頃、とある噂が頻繁に耳に入ってくるようになった。



──「佐野大志には、忘れられない初恋の人がいるらしい」



そんな噂が出回っていた。
嘘か真かは、定かではない。どこからの情報かも、わからない。


あんなやつのこと、別にどうだっていい。気になったりしない……って、言えたらどんなにいいか。



「…………」




今日も爽やかな笑顔でクラスの中心にいる彼を睨むように見る。
彼の席の周りにいる男の子も、女の子も楽しそうに笑って話している。


……気に、なる。


あの、サイコパスのような佐野大志に、忘れられない初恋があるだなんて。
それが本当なら詳しく聞きたい。知りたい。