みんな同じ格好をしているはずなのに、大志くんが一番かっこよく見える。"好き"のフィルターがかかっているのかもしれない。
だけど細く、スタイルがいい大志くんにはカフェの店員さんの姿は相性がいい。
目が合う。すると大志くんが私に向かって真っ直ぐ歩いてきた。
「今日は頑張ろうね、小野さん」
優等生の大志くんだ。にっこり微笑まれて、私も同じように笑って頷いた。
「あと、午後のことだけど……」
「うん、楽しみだね」
食い気味に答えると大志くんが少しだけ驚いたように目を見開いて、その後にまた笑ってくれた。
心に切なく広がる淡いブルー。泣きたくなる気持ちをくっと堪えて私も笑顔を絶やさないように努めた。
体育館で始まりの挨拶がされて、校長や生徒会長やらが壇上でたくさんのことを話していた。
それも終わって教室に戻ると、チラホラと他校の生徒や親御さんなどがやって来て、学校は賑やかになっていった。
私たちのダンス&カフェも、大盛況だった。
「い、いらっしゃいませ……」
アルバイトをしたことのない私は挨拶すらままならなかった。クラスメイトにくすくす笑われて、とても恥ずかしい。
肩身の狭い思いをしていると、肩を優しく叩かれた。
顔を後ろに向けると、そこには大志くんがいた。
「いつものお前らしく笑ってればいいから」
耳元で、小声で囁かれた台詞。やや掠れた声で、色気を感じた。
わざと惚れさせられている気がする。もっともっと、想いが膨らんでいく。じゃないと、こんなにかっこいい言葉をかけられたら、さすがにドキドキして、たまらない。
顔が赤くなっているのが、鏡を見なくてもわかる。
大志くんが私のとなりに立つ。目が合うとニヤリと笑われた。
……ああ、もう、ほんと。
恋に落ちたときから、ずっとこの人のこういうところに弱い。ひたすらに、好き。
誰にでも優しい優等生かと思えば、女の子の告白を無碍に突っぱねる性格悪い人だったし、恋を嫌っていて、でも、本当の本当は優しい人。思いやりに溢れた人。
だからこそ私が変な手紙に悩んでいたとき、支えて、守ってくれた。
そして君は、本当は、恋をしたことがあって、突然終わりを告げた恋にトラウマがあっただけなんだよね?
だから私との恋も臆病になって、一歩を踏み出せなかったんでしょう?
また恋を始めても、終わってしまうんじゃないかって、怖かったんでしょう?
でも、それだけじゃないよね。
大志くんの心のなかには、私じゃない女の子への気持ちも、まだあるんじゃないのかな……。
だから、ね?
私は、──
続きは、言わない。大志くん、隠れんぼしよっか。
「ごめん、先生の手伝いで呼ばれたから30分後に中庭のベンチで待ち合わせでもいいかな?」
午後を担当しているクラスメイトと従業員役を交代した。
ようやく慣れない接客から離れることができて、肩の荷がすごく軽くなった。
着替え終えた大志くんが廊下で私のことを待っていた。すれ違う他校の生徒や、来客で賑やかな校内。
だけど私は嘘をついた。
先生から頼まれた作業なんてない。
「うん、わかった」
「ごめんね、あとでね」
背を向けた。
歩き出した足は、行く先を決めていない。
この前美夜ちゃんと話したとき、30分後の時刻に中庭のベンチに座っておくように言っておいた。
ふたりは再会する。きっと積もる話も、あるだろう。
大志くんは私のことなんか忘れて話に耽るに違いない。
私はひとりでこの学校のどこかに隠れているから。
もし、君が私と恋をしてくれるというのなら、探しにきてほしい。
これは、はじまりの合図もない隠れんぼ。
私は、君を試すよ。それぐらい許してほしい。
嘘つきくんには、これぐらいしても、いいよね?
来ることはないってわかっているけれど、期待せずにはいられない。
──君はいま、誰のことを想っていますか?
【佐野大志side】
俺は恋に本気になんてならない。恋なんてしない。
恋なんて──大嫌いだ。
なぜか俺は物心ついた幼稚園に通っていた頃から女子にモテた。
バレンタインデーになればたくさんのチョコレートをもらったし、手紙もたくさんもらった。
誰かから好意を寄せられることについて、最初から嫌悪感があったわけじゃない。
歳を重ねるに連れて、その想いのカタチは変わっていった。
一方的に伝えられるだけだった感情は、いつしか"付き合ってほしい""恋人になりたい"という要求に変わっていった。
でも俺はいまいちその利点がわからなくて、女子たちの告白をずっと、「ごめんね」とひたすらに断り続けていた。
誰かと付き合いたいとも、恋人になりたいとも、思わなかった。
告白を断ることに、最初から罪悪感がなかったわけじゃない。気持ちを同じだけ返せないでいることに多少の申し訳なさはあった。
けれど時間が経って、俺に告白してきたやつが友だちに告白しているところを目撃したり、俺をあからさまに毛嫌いして避けるようになった女子もいて、もう、わけがわからなかった。
だからかもしれない。俺はこの世界でいちばん"好き"という恋愛感情が信じられなかった。
所詮、その程度。俺が一度「ごめん」と言っただけで諦めたり、嫌いになる程度の浅い気持ち。
いつしか俺に好意を寄せる女が苦手になっていった。
「大志のこと、好き、なの……」
正直、美夜も同じだった。
美夜は学年でいちばん美人だと言われているような女の子で、長い黒髪と白い肌が群を抜いて美人度を高めていた。
俺もすげぇ美人な女がいるって、はじめて美夜のことを見たときそう思った。
だけど俺のことを好きな女なんて、俺は、どうしても信用できない。
美夜にはじめて告白されたのは、中学二年生の春だった。
「ごめん。誰とも付き合う気ないんだ」
もちろん俺の返事はこうだ。もう何度言ったかわからない台詞。噂好きなくせに、こういう情報は共有しないのか。それとも都合の悪いことは、聞かなかったことにするのか。
俺はやっぱり女子の考えることは、わからない。ほとほとうんざりする。
「私、大志のこと、諦めないから……っ」
去り際に、美夜が吐いた言葉に目を見開いた。
でも、どうせそんなのすぐ覆る。美夜だって男からモテているのだから。きっと、自分に振り向かない男なんて待っていられるはずない。
そう、思っていた。
だけど、彼女は違った。
「好き!」
「大志、付き合おうよ」
「デートしよっ」
ずっと素っ気なく接していた俺に懲りずにアプローチを続けてきたのだ。
諦めることなく、毎日。俺が、なんと言おうと。
そんなこと、はじめてだった。だから俺も嬉しくなったんだ。
美夜のことが次第に気になっていった。
その気持ちが"恋"なのかは、わからない。だけど、たしかに気持ちに変化はあった。
「付き合ってよ」
「うん、いいよ」
「へっ?」
驚いたような顔。放課後の教室にふたりきり。窓から夕陽が差し込み、風がカーテンを揺らす。
クスッと笑うと、みるみるうちに美夜の顔が赤くなり、瞳に水分が含まれていく。
季節は流れて、冬になっていた。
「いま、なんて……」
「だから、いいよ?」
「嘘じゃん」
「嘘じゃないよ」
信じられないといったように、両手のひらで口元を隠す彼女。正解かどうかはわからなかったが、俺は手を伸ばして彼女の頭を優しく撫でた。
好きって感情は、正直まだわからない。だけど、ずっと変わらず俺のことを好きだと言ってくれる彼女だったら、恋人になってもいいのかもしれないって、そう思えたんだ。
ほかの中途半端な女とは違う。"本気"で俺のことを好きだと言ってくれているのだと、感じたんだ。
「嬉しい……っ」
泣いて喜んだ美夜を見て、俺も嬉しくなる。
じんわりと温かいなにかが、心のなかに広がった感覚がした。
それから俺たちの交際は順調に進んでいった。
美味しくてお洒落な隠れ家的なカフェを見つけてふたりでよく通ったし、休みの日もデートをした。
だが、なんの問題もないとそう思っていたのは、俺だけだったことを知る。
「別れよう」
「え?」
放課後、ふたりで並んで帰っていたとき、美夜が突然そう切り出した。
最近顔が暗くて、今日もとなりを歩いていても上の空で、思いつめたような表情をしていた。
心配していた矢先の出来事だった。
「なんで……?」
「うん、なんか、想像と違ったんだよね」
「…………」
「最近大志への気持ちも冷めちゃってさ……」
ズサ、ズサ。心がナイフに刺される。痛い。
……だからなのか?
だから最近お前は思いつめたような顔をしていたのか?
お前を悩ませていたのは俺?
──「冷めちゃってさ……」
んだよ、それ。ふざけんな。お前だけは、ほかのやつらとは違うってそう信じていたのに。
そんな簡単に裏切るのかよ……。
所詮、お前も周りの女子たちと同じってことか。
「……わかった」
「え?」
「もう二度と俺に喋りかけんな」
美夜を置いて、その場を早歩きで去った。俺たちが別れたのは中学3年生の春だった。
もう、恋はしない。やっぱり恋なんて──大嫌いだ。恋愛感情なんて信用できない。
本気で恋なんて……できないんだ。誰も。俺も。
俺、美夜のこと好きなんだと思ってた。だから、大事にしようと思ってたんだ。
だけど、違った。冷めたって言われて、俺の心まで冷めた。
俺も、周りの女たちと一緒なことに気づいた。振られたからって、美夜のことを嫌いになった。近づくなとまで宣言してしまった。
まじでダッセェ。ダサすぎる。
永遠なんてない。
誰かひとりのことを、ずっと好きでいることなんて、無理なんだ。
それから俺は女の子たちの告白を鋭い言葉で傷つけて、断るようになった。
みんな泣いて去っていく。それでよかった。
誰も恋なんかするな。どうせ本気になれやしないのだから。誰のことも好きになれない欠陥品の俺なんか、好きになられる価値すらねえ。
うざったい。
いったい俺のどこを見て「好き」って言ってんだ。
顔?学力?性格?
本当の俺を知ったら、きっと、誰も残らない。すぐにその感情はなくなる。
泣いて去っていった女の子たちも、時間が経てば俺への気持ちは跡形もなく消えるんだ。
そんなこんなで時間が経過し、俺は高校生になった。
当たり障りなくみんなと接しているうちに、優等生な自分ができあがった。
でも別に偽っているつもりもないし、これはこれで俺だからそこらへんはどうでも良かった。
そして、クラスメイトに見ているだけでイライラする女がいた。
「あー、もう、私の運命の人どこっ⁉︎」
「またそれ?」
小田ももか。
朝も昼も放課後も、ずっとあんな調子で、聞こえてくる話題はほとんど変わらない。
運命の人なんかいてたまるか。
だから思ってもみなかったんだ。こんなに仲良くなるなんて。第一印象も最悪で、かつ、告白現場を盗み見ておきながら俺に説教までしてきた小田ももか。
告白してきた女の子が可哀想だの、大嫌いだのと、言いたい放題。
でも、だからか、俺は素の自分を小田ももかには見せられた。
いい格好をしようと、気を張ることがなかったからかもしれない。
べつに、嫌いなわけじゃない。
ただ、俺が信じられない恋を、未経験のくせに真っ直ぐに信じている、その、無邪気さが放っておけない要因だったのかもしれない。いま、思えば。
小田ももかを泣かせて傷つけた佐藤のことは許せなかったし、夏祭りで気安く小田ももかを連れ出そうとしたクラスメイトにもクソほど腹が立った。
自分で、自分の感情がわからなかった。
嫌いか、好きかと問われたら、「好き」なのかもしれない。
だけど確信が持てなかった。
また、同じことを繰り返したくなかったんだ。
だから彼女の告白の返事はうまくできなかった。
友だちのままが、よかった。
いまの関係が居心地よくて、恋人になっていつか終わりを迎えるぐらいなら、このままがいいと、そう考えたのだ。
離れたほうがいいんじゃないかって、本気で考えた。
本気で恋できないのに、距離だけ近づくのも、お互いに辛いんじゃないかって。だから、クラスの大半が参加したバーベキューにも参加しなかった。
だけど夏休みが明けて、あいつの顔を見たら、ダメだった。
距離をとることなんて、できなかった。俺が、耐えられないのだと悟った。
こんなのもう、好きじゃねぇか……。
俺のなかで大きくなっていく、得体の知れない感情。
熱くて、でも、ときに痛む。たくさんの色に変化する。