***
「さてと――」
「大事な話って、何ですか?」
いきなり連れて来られた資料室。さっき、いきなり手を握られたりとイヤなことをされているから、二人きりでいるのが当然、すごく苦痛だった。
「どぉしよっかなぁ?」
体のラインを舐めるように下から上へとじっくり見られるせいで、ゾクゾクと悪寒が走る。
自然と後ろに下がって、小野寺先輩から距離をとった。そのとき廊下からバタバタ誰かが走ってくる音とともに、勢いよく扉が開かれる。
「何をしてるんですっ!?」
鎌田先輩の顔を見た途端に体中の緊張が一気に緩み、涙腺が崩壊しそうになった。
「小野寺……キサマ、彼女に何をしたぁっ?」
怒りながら小野寺先輩の胸倉に掴みかかって、壁際にぎゅっと押し付ける。
「鎌田先輩ってば、結構乱暴だなぁ。まだ何もしてませんよ」
視線を私に移したときの鎌田先輩の顔――さっき小野寺先輩が言ってたように、無表情ですっごく怖かった。
「何かされませんでしたか?」
抑揚のない声で告げられたせいで、言葉がすぐに出てこない。
「あ……その、手を、握られ、て……」
たどたどしくやっと答えたら、小野寺先輩を掴む手に力が入ったのが見えた。
「えっと、だけどすぐに離してくれたので、何もなかったんですっ!」
これ以上、刺激をするような言葉を告げたら暴力沙汰になりそうな雰囲気を、肌でひしひしと感じとった。
普段は見ることができない鎌田先輩の様子にハラハラしながら、この場をどう収めたらいいかを、ない頭で一生懸命に考えた。
(ここで暴力を振るわせたらダメ、私が何とかしなきゃ)
なのに――
「なぁんで、そんなに怒っているんですかぁ鎌田先輩?」
氷のような視線が、小野寺先輩に移る。
「彼女の上司、だからですか?」
「小野寺先輩、あまり鎌田先輩を刺激するようなことを、これ以上言わないで下さい」
そう言っても小野寺先輩はひょいと肩を竦めて、私の言葉をやり過ごすような笑みを浮かべた。
「……俺、彼女に告白したよ」
(――告白って、何のことだろう?)
私が首を傾げると小野寺先輩は鎌田先輩の手を強引に振り切り、きちっと身なりを整える。
「俺はアンタと違って、言いたいことを直接伝えるし、何かあったら駆けつけて守ってやる。周りの目なんか、ぜーんぜん気にしない!」
そしてさっき自分がされてたみたいに、鎌田先輩の胸倉を掴んだ。
「守りに入ってばかりだから、鎌田先輩はダメなんですよ。この勝負、俺の勝ちですね」
爽やかに微笑んで言いたい言葉を告げ終えると、鎌田先輩の体を放り出すようにして資料室を出て行く小野寺先輩。
――話がさっぱり見えない。一体、何がどうなっているの?
鎌田先輩は何も話さずに、ずっと佇んだままでいた。その様子はどこか、ひどく傷ついているように見える。
「鎌田先輩……」
なんて言葉をかけたらいいのか分からない。分らないから、そっと袖口を掴んでみた。私の行動でやっとこっちを見た鎌田先輩の目は、さっきと違って虚ろな感じだった。
「何だかすごく、恰好悪いところを見せてしまいましたね」
「そんなことないです、助かりました。正直ここで、何をされるか分からなかったですし」
「本当に、手を握られてただけなんですね?」
「はい……」
ほっとため息をつくと、今度はいきなり私を抱きしめてきた。
「かっ、鎌田先輩!?」
「明日、この間の場所でライブがあります。君に絶対来て欲しい……」
耳障りのいい声が間近で聞こえてたせいで、頬が一気に上気する。
今、自分の身に何が起こっているのか、分からなくなっていた。鎌田先輩のいい匂いが、全身にまとわりつく感じ。
――ドキドキが止まらない――
「これは上司命令です、必ず来てください。いいですね?」
それだけ言うと同時にぱっと体が解放されて、気が付いたら鎌田先輩は消えていた。私は高鳴る胸を押さえて、その場にしゃがみこむしかない。
(小野寺先輩といい、鎌田先輩といい……一体何なの?)
何だか二人に、いいように翻弄された一日だった。
***
ヘロヘロになった体を引きずったまま、次の日を迎えてしまった。
正直、よく眠れなかった。考えれば考える程、昨日のふたりのやり取りが意味不明だったから。
資料室から部署に戻ったら鎌田先輩の姿は部署にはいなくて、予定表には出張→直帰と書かれてあった。小野寺先輩もどこかにでかけたのか、定時まで部署に戻ってこなかった。
「おはようございます……」
恐るおそる部署に入る。そこには鎌田先輩の姿はなく、小野寺先輩がいつもの爽やかな笑顔でほほ笑んできた。
「おはよう!」
その様子にウッと思いながら、自分の席に着く。
「昨日俺が去った後、どうなった?」
何故だかワクワクした顔で、問いかけてくる。しかも机に頬杖付いたまま、こっちを楽しそうに見つめるまなざしに、嫌悪感しか沸かない。
そのあまりな態度に目を合わせず、
「別に……。何もなかったですよ」
素っ気なく答えたら、ずっこける格好をした小野寺先輩。
「はぁ? どうして何もないんだよ……おかしいだろ」
なぁんて、のん気に言われても。
「この間の話、もしかして信じちゃった?」
どこか楽し気に聞いてきた言葉の意味が分からず、小首を傾げる。
「引き出しのプレゼントが、元カノから貰ったモノだったって話」
その台詞にあの時の事を思い出し、胸の奥がキリキリと痛んだ。
「ああ、別に。そんなの信じてませんけど」
「真実、知りたいと思わない?」
「……別に」
聞きたくない話だったから顔を背けて仕事を始めようと書類を手にした私を見て、小野寺先輩はため息をついた。
「鎌田先輩といい山本さんといい、どうして素直になれないのかねぇ」
呆れたような物言いをし、デスクをばしばし叩きはじめた。
「俺は君の恋愛、応援しているつもりなんだけどさ」
「じゃあ昨日のは、何だったんですか?」
まったくもって、さっぱりワケが分からない。
「昨日の敵は、今日は味方って感じ!」
「はぁ!?」
「あのプレゼントは元カノから貰ったモノじゃなく、誰かにあげようとして隠されていたモノだと、俺は思うね」
そう言うと小野寺先輩は席を立ち、部署の扉に向かう。
「もっと素直になって、よぉく考えてみなよ。鎌田先輩に疑問点を聞いてみれば、あっさり解決するって」
疑問点……たくさんありすぎて、どこから聞いたらいいか正直分かりません。
「昨日は、いろいろとごめんね」
手を合わせて謝るポーズをして、逃げるように出て行った。
謝るくらいなら最初からするな!
そんなセリフを大声で叫びたくなるのを堪えるのに、必死になってしまったのだった。
***
その日鎌田先輩は昨日同様出張だったらしく、顔を合わせられなかった。いつも通り私は仕事を終えて、会社をあとにする。
「あのライブハウス、ちょっと距離があるんだよな」
自宅に帰って着替えをしていたら、開演時間に間に合わない。意を決してこの間のように、スーツ姿で行くことにした。
「――上司命令、か」
一緒に仕事をしてきて、言われたのは初めてである。どんだけ自分勝手な上司なんだか。
ちょっとだけ笑いながら、急ぎ足で大通りを歩いた。
頭に浮かんでくるのは鮮やかに仕事をこなしている姿だったり、昨日の会議中のみんなの前で、堂々とレクチャーしている姿だったり。だけど遠かったな――自分と鎌田先輩との席の距離が、何となく今の状態を表しているように思えた。
普段私のことをガミガミ叱っていたのに(叱られるような仕事しかしていないのも悪いけど)昨日突然抱きしめられて、すっごくドキドキした。だから考えれば考えるほど謎だったりする。
足取りが重いままいろいろと考えていたら、ライブハウス前に来ていた。
ライブはもう始まっているらしく、外まで歓声が聞こえてくる。
「悩んでいても始まらない、上司命令って言われてるし。これは仕事なのよ」
思いきって、店の中へと足を踏み入れてみた。前回と同じく満員御礼のライブハウス。観客の間を縫うように歩いて、後ろの方の空いてるところからステージを眺めた。
スポットライトの中にいるメンバー全員がこの間見たラフな格好じゃなく、なぜかスーツ姿で演奏していた。観客達はみんなノリノリで、曲に合わせて踊っていたり、何かを振り回したりと大盛況だった。
「すごいな……」
ステージ上の鎌田先輩の姿に釘付けになる。一番後ろから見ているせいだろうか。会議の時のような距離感を覚えた。
すごく遠い――その距離感にしんみりと感傷的になっていたら、鎌田先輩とバッチリ目が合った。
次の瞬間、突然拳を突き上げたと思ったらピースサインをする。アップテンポな曲が、フェードアウトで終わってしまった。
いきなりのことに観客達はざわめき始めた、当然だ。あんなにノリノリだったんだから。
鎌田先輩はステージの中央に立ち、マイクを握りしめて静かに話を始めた。
「突然曲を終わらせてしまい、申し訳ないです。実は告白したい人が、今ここに来たんです」
そう言うと観客の中で「いやぁ」と叫んでいる女の人が、何人かいた。
「メロディラインは完成していたのですが、まだ一番しか歌詞ができていなくて……。本当は全てを完成させてから、彼女を呼ぶつもりでした」
そう言って、私をじっと見つめる。
「だけど自分の気持ちをどうしても抑えられなくなってしまい、彼女をここに呼びました。聞いてください、Clumsy Love」
ドラムもベースも演奏することはなく、ギターと鎌田先輩のふたりだけで、スローテンポな曲が始まった。
彩りのない毎日の中で 君に出会った
君と接していくうちに 周りの景色が鮮やかな色彩に変わる
追われる仕事を放り出し 追いかける恋愛
そんな不器用な日々の中で 君をどんどん好きになる
頼りないところや勝気な瞳 全部好きさ
――愛してる
歌にしなければ伝えられない 君への気持ち
こんな臆病な俺でもいいかい?
優しいメロディと歌詞が、じわりと心の中に沁み込んできた。
――鎌田先輩が私のことを好き?
気がついたら涙が流れていた。驚きすぎて思わず、ライブハウスを飛び出してしまったのである。
両想い……だけど私には鎌田先輩は勿体ない。不相応だよ――そう思ってしまったのだった。
***
彼女に告白する大事な日、思いきって有給をとり朝から作詞していた。
メロディラインはけん坊が担当してくれたモノがあったので、それに載せることにしていたのだが、いろいろと想いが詰まってしまって上手く歌詞が書けなかった。
こんなところにまで不器用な自分が現れる。伝えたいのに、伝えられないもどかしさ――結局一番しか作る事ができないまま、急いでライブハウスに向かった。
到着して早々メンバーに大事な話があるからと早めに呼び出していたのに、俺が一番出遅れて会場入りした。控え室に入ると、何故かみんながニヤニヤしながら顔を見つめる。
妙な雰囲気を感じて不審な顔した俺に、けん坊が開口一番口を開く。
「やっと……やっと、この日が来たんだな!」
嬉しそうに言って、ぎゅっと躰を抱きしめてきた。
「まさやんの顔を見た瞬間、全て悟ったよ! ついに告白する気になったんだな?」
「それでいつやるの? どうやって告るの?」
「何だか俺まで、緊張してきちゃったっすよ」
なんてそれぞれ口々に感想を述べる。どうして人の顔を見ただけで、それをすることが分かってしまったのだろう?
訝しく思いながらも、彼女がやってきたら拳を突き上げてピースサインするから、曲を適当に終わらせてくれと打ち合わせした。
ライブの最中、観客の中にいるであろう君を必死になって捜す――気がおかしくなりそうな気持ちを何とか隠しながら歌うのは、思っている以上に至難の業だった。
「上司命令です」
何て言って君を無理やり縛り付けなければ、ここに来ないのではないかと不安になった。自分に自信がないわけじゃない、ただ傷つくのが怖い――それだけなのだ。
何曲目だっただろう、君が現れたのは……。恐るおそるといった様子で、中に入ってきた。
目が合った時の彼女は、何だか淋しげで一瞬不安に駆られる。
そんな不安を打ち消すように拳を高く突き上げて、メンバーに見えるようにピースサインをした。曲が終わっていくのを聞きながら、自分の心の中をしっかりと見つめ直す。
「俺、彼女に告白したよ」
何の躊躇いもなく、堂々と言える小野寺に嫉妬した。何もできない自分が、すごく腹立たしく思えた。
でも今なら言える――こんなに臆病な俺を君が変えてくれた。メンバーのみんなも、そんな俺を応援している。葉の上に溜まっていた不安という名の朝露が、ポロッと落ちていった。
そのお陰で気持ちを最大限に籠めて、彼女の前で歌うことができたのに――彼女が泣きながら飛び出していったのを確認したのは、歌い終わって間もなくのことだった。
どうしよう――何も言えずに、思わず出てきちゃった。
「さっきの返事を聞かせて下さい」って聞かれたら、
『私、他に好きな人がいるので無理です』
そう答えよう。私に鎌田先輩は過ぎる人だから、きっと途中で上手くいかなくなるに決まってる。前回の恋愛でこりごりだったはずなのに、また同じようなできる人を好きになってしまった。
過去の出来事や今現在抱えてる心情のせいで、自然と涙が頬につたっていく。
「待ってください!」
聞き慣れた声が後ろからしたので振り返らずに立ち止まると、真後ろで動きが止まる気配を感じた。
「なぜ逃げたんですか?」
「来いと命令されたから来ただけで、あとは好きにしていいと判断したからです」
精一杯、冷たく言い放ってみた。
(君の態度が、さっぱり分からない)
「さっきの俺の歌に対する、返事を聞かせてほしい」
その言葉に、心がズキンとする。
(距離はこんなに近いのに、君の気持ちが見えない)
「……無理です」
ああ、他に好きな人がいるから――を言い忘れてしまった。
(……あっさり無理って断られた)
「理由は? それを聞かせてください」
(勇気を振り絞って君に訊ねた、俺の気持ちは変わらない。断られてもけして――)
「…………」
(答えない変わりに、何故か肩を震わせ泣いているのはどうしてなんだろうか)
「どうして、泣いているんですか?」
(迷うことなく、後ろから抱きしめた。守ってあげたくなるような小さな体が、愛おしいくて堪らない)
「だって……鎌田先輩が私には勿体ないくらいの人で、釣り合わないっていうか……。だのに引き出しには、こっそりプレゼントが隠されていて、他に好きな人がいるんじゃないかなって」
(こんな時でも君は相変わらず、支離滅裂なことを言うなんて)
私の体から右手をそっと離して、あの青いリボンが付いたプレゼントを目の前に見せてくれた。
「これは昨年に渡そうとした、君への誕生日プレゼントだったんです」
「えっ?」
「ずっと君を見ていました。受け取って下さい」
そう言って私の手に、プレゼントを握らせる。
(やっと渡せた――渡すことがないと思っていた。絶望的な片思いだと確信していたから)
――びっくりした。一年以上前から私は、鎌田先輩に想われていたなんて。なのに私は……鎌田先輩にいつも、ひどい態度をとっていたと思う。
「俺を勿体ない人だと言いましたが、俺の方こそ君が勿体ないくらいの人だと思っていますよ」
鎌田先輩が、私の前に回りこむ。
「俺みたいに臆病で……情けないくらい臆病で、自分の気持ちをなかなか上手く口にすることができない人間で」
貰ったプレゼントから、鎌田先輩に視線を移す。
「大事にしたいと思っているのに、それすらも言えなくて傷つけてばかりでした。不器用すぎるよな、カッコ悪い……」
肩を落とす鎌田先輩に、思わずぎゅっと抱きついた。
「そんな不器用なところも、コワイところも全部……全部大好きです!」
気付いたら自分の気持ちを、鎌田先輩に伝えてしまった。そんな私の体に両腕を回してくれる。
「本当に、こんな俺でもいいんですか?」
じっと顔を覗き込む愛しい先輩。告げる代わりに鎌田先輩の首に手を回して、その唇にキスをしてみた。すると背骨が折れそうな勢いでキツく、ぎゅっとこの身を抱きしめ返してきた。
鎌田先輩の香りが鼻をつき、頭がクラクラした。
唇が離れる瞬間に下唇だけ名残惜しそうに甘噛みされ、全身に甘い衝撃が走る。そして私を優しく抱きしめ直す。
「大切にします――」
心に沁み込む様な低い声が耳元に囁いた言葉だけで、嬉しくてたまらなかった。言葉にならない想いを伝えるのに、頷くのが精一杯だった。