ドS上司の意外な一面

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「いつも通り過ぎて、何だか拍子抜けしちゃった」

 昨日の一件で何となくだけど、少しだけ距離が縮まった感じがしたのにな……

 コピー機から出てくる紙を見ながら、いらないことばかりを次々と考えてしまう。ため息をつきながら書類を纏めてデスクに戻ると、鎌田先輩とばっちり目があった。

「コピー、有り難うございます。これから第三会議室に行って朝のミーティングしてきますので、小野寺が戻ったら、そこに来るように伝えてください」

「はい……」

「それとこれ」

 上着のポケットからそっと、鍵を取り出す。

「一番上の引き出しの鍵です。俺の印鑑が押してある書類がチェック済みになるので、確認したら君の印鑑を押して課長に提出して下さい」

(あれっ? 今、俺って言わなかった?)

 ビックリして鎌田先輩を見ても、そのことにまったく気付いていないらしく、急いで部署を出て行ってしまった。

 ――昨日の名残なのかな。少し……いや、かなり嬉しい。

 いそいそ鍵を回して引き出しを開け書類を出そうとしたら、何かに引っかかってしまった。引っかかっている物をどけようと手を伸ばした瞬間、

「鎌田先輩のデスクの中の家捜し?」

「わっ!」

 どこから出てきたのか、小野寺先輩が隣にいた。しかも体にかなり密着している状態だった。

「声をかけたけど、気がつかなかった?」

「はい、探し物に夢中だったので……」

「それで、鎌田先輩の引き出しからエロ本でも出てきたとか?」

 笑いながら、引き出しの奥を覗き見する。

「ふーん」

 密着している体をさりげなくどけて、自分のデスクに戻った。

「きちんと鍵を閉めないと、また鎌田先輩に怒られるよ?」

「そうですね」

 妙なドキドキを抑えつつ、慌てて机の鍵を閉める。

「鍵付きの引き出しにしまっているくらいだから、とーっても大切な物かもね」

「えっ!?」

「奥にあった、青いリボン付きのプレゼントらしき物」

「はぁ」

「きっと元カノから貰った物で、なかなか捨てられないのかもしれないなぁ」

 元カノから貰った、大切なプレゼント――

「ほら鎌田先輩ってさ、浮いた噂がないでしょ? もしかしたらその元カノのことを未練がましくずっと想っているから、誰とも付き合わないのかもなぁって思ったりしたんだよね」

「小野寺先輩、鎌田先輩が第三会議室に来るようにって言ってました……」

 早くどこかに行ってほしい。胸がズキズキする――

「ああ、決算報告書を持って行かなきゃならないんだった。教えてくれて有り難う」

 そう言って軽い足取りで去って行く、小野寺先輩を見ることができなかった。

 目元が熱い……

 やり場のない気持ちに胸が押しつぶされそうで、苦しくて堪らなかった。
***

「ハハッ。してやったりかな?」

 スキップしそうな軽い足取りで、会議室へと向かう。少し遅かったのか、ミーティングは既に終わっていた。

「遅かったですね。どこで道草くっていたんですか?」

 メガネの奥から、レーザービームのようなものが放出される。殺傷能力が半端ねぇ感じで、マジ怖い。

「俺も、鎌田先輩並みに忙しいんです。すみません」

 頭を下げながら、報告書を手渡した。

「打ち合わせって言っても名ばかりな、朝の雑談でしょ、どうせ!」

 俺は壁に寄りかかり、報告書に目を通す鎌田先輩を横目で見やる。どうせ、今朝の噂話の弁解を必死にしていたんだろうさ。

「何を言ってるんです。各部署との連携をはかるための大切なミーティングです」

 ――とんだミーティングだな。

 鼻で笑ってから、鎌田先輩の目の前に立ってやった。

「……なんですか?」

「俺、鎌田先輩と男の勝負がしたいです」

「なんで君と、そんな勝負をしなければならないんですか?」

 実にものすごく、不満そうな顔をしているように見える。

「彼女をかけて勝負をしましょうよ」

 メガネの奥の瞳の色が、瞬く間に変わった。へえ、目は口ほどに物を言う例えはホントだね。

「隠していたんですけど、彼女を好きになってしまいました」

「っ……。君は受付嬢の彼女がいるのでは?」

 へぇよく知っているじゃないか。噂には疎そうなのに。

「そうですね。だけどいつも気取ってばかりの女と付き合ってると、正直疲れるんです。鎌田先輩にはそういう話が、全然分からないと思うんですけど」

「…………」

「毎日、フランス料理ばかり食べていたら飽きるでしょ。そこにお茶漬けを出されたら、食べずにはいられない」

「彼女は、お茶漬けではありません!」

 低く唸るように、鎌田先輩は言い放つ。悪いけどそんな脅しは、俺に通用しないから。

「だーって、お茶漬けって飽きがこないでしょ。それに最近気づいたんです、彼女結構可愛いなって。あどけない仕草もそうだけど、やっぱり笑ってる顔が一番好きだなぁと思いまして」

 笑いながら目の前にいる怖い顔した先輩の肩に、優しくポンと手を置いてみた。僅かだけど震えているのが伝わってくる。

「先輩が大事にしている彼女、俺が美味しく戴かせてもらいますね」

 耳元でそう宣言して、会議室をあとにした。鎌田先輩の顔は顔面蒼白だった。
***

「たっだいまぁ」

 明るい声の小野寺先輩とは対照的な、真っ暗い私の心。引き出しにあったプレゼントが元カノからの物だと決まったわけじゃないのに、たったあれだけのことで嵐のように心が乱されてしまった。

「おいおい、書類が逆さまになってるよ」

 耳元で小野寺先輩が笑いをかみ殺したような声で囁く。今日はやけに体を密着してきて、すっごく不愉快だな――

「何か心配事があるなら、俺でよければ相談にのるよ?」

 覗き込むような視線をやり過ごすべく、微妙に椅子をずらして小野寺先輩からそっと体を離した。

「いえ、大丈夫ですから」

 やんわり断ると、目を細めて私の顔を眺める。

「さっきさ、鎌田先輩と楽しい話をしてきたんだよ」

「えっと……?」

「キツネの目の前にあった、とっても美味しそうな油揚げが、トンビにさっさと捕られちゃう話なんだけどね」

「……トンビではなく、雑食のカラスなのでは?」

 いつの間にか現れた鎌田先輩が小野寺先輩の腕を掴み、強引に後方へと引っ張った。

「雑食のカラス……ねぇ。ふぅん」

 二人の間に見えない火花が、ばちばち散っているように見える。もしかして会議室で何かあったのかな?

 自分の想いでいっぱいいっぱいだった私には、全く想像できなかった。
***

(もう、こんな時間になっていたのか。やっと一段落できる――)

 時計を見ると、もうすぐ午前0時になろうとしていた。

 両腕を天井へと伸ばし、うんと伸びをする。疲れがちょっとだけ溜まっているかもな。

 昨日カバンを置きっぱなしにして彼女とライブに出かけてしまったので、帰宅してから仕事ができずにいた。なので朝早く出勤して急いで取りかかっても思うように進まず、現在に至る。

「小野寺のヤツ……」

『俺、鎌田先輩と男の勝負がしたいんです。彼女を賭けて勝負をしましょう』

 ――何なんだ。俺に対する嫌がらせなのか?

『彼女のことを、好きになってしまいました』

 恥ずかしくもなく、どうして堂々と言えるのだろう。

『あどけない仕草もそうだけど、やっぱり笑ってる顔が、一番好きだなぁと思いまして』

 俺の心に浮かぶのは、彼女の困った顔やふくれている顔ばかり……。笑っている顔なんて、ここしばらく見ていない。自分の態度が悪いせいだと分かっているのだが――残念なことに、そんな顔ばかりさせてしまう。

 一番上の引き出しを開けて、奥に隠してある物を取り出した。

「いつか……渡すことができるんだろうか」

 昨年の君の誕生日プレゼント。その頃、髪が短かった君はイライラすると、耳に髪をかける仕草をよくしていた。

 君の誕生日の前日、小さなミスだったのに感情的になってかなり叱ってしまい、落ち込ませてしまったお詫びに、このプレゼントをちゃっかり買ってしまった――中身は髪留め。結局渡しそびれて、引き出しの奥底に眠らせてしまっている。

 今はその髪も伸びてしまったので一つに束ねているから、こんな物は必要ないのかもな。

 そんなことを考えつき、引き出しに手をかけて片付けようとしたが、ぎぎっと体が強張った。

『先輩の目の前の彼女、美味しく戴かせてもらいますね』

『キツネの目の前にあった、とっても美味しそうな油揚げが、トンビにさっさと捕られちゃう話』

 小野寺の言葉が、不意にリフレインする。

 自分の気持ちに、このまま蓋をしておくわけにはいかない――玉砕覚悟で行くか。それよりも小野寺から君を守ることの方が先決だろうか……。

 いろんな感情が入り乱れ、いつもの冷静な判断ができない。だけど――

 手にしていたプレゼントを胸ポケットに仕舞い、会社をあとにした。

 君はもう、眠りについただろうか。夜空の浮かぶ細い三日月に目をやる。

 ――これ以上、小野寺の勝手にはさせない!

 新たな決意を胸に抱き、颯爽と帰宅したのだった。
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 ここ最近の忙しさの理由は、明後日に控えている重役会議のせいだった。部署が一丸となって頑張ってきたプロジェクトが、認められるか否か緊張感いっぱいでみんな仕事をしている。

 私のくだらない妄想でプロジェクトの足を引っ張ってしまったら、鎌田先輩に迷惑がかかってしまう。それだけは避けたかったから尚更、気を引き締めて仕事をしていた。

 鎌田先輩も昨日同様に、さくさくと仕事をこなしているようにみえる。

「それが一段落してからでいいので、他の部署の女子社員を何名か集めて、小会議室にお茶の用意をしておいて下さい」

 パソコン画面を見つめたまま、鎌田先輩が指示を出す。明後日の会議の前に問題点がないか、最終的な打ち合わせをするためだろうな。

「わかりました!」

 少しでもいいから鎌田先輩の力になりたい。今は自分のできる事を、どんなことでも精一杯しよう。

「一段落つきそうになかったら何か手伝うよ? 大丈夫?」

 隣で小野寺先輩が貴公子のような爽やかな笑みを浮かべ、声をかけてきた。

「だってあれもこれもって、ひとりで大変じゃないか」

「大変なのはみんな同じですから、だいじょ――」

「できることが分かっているので、俺は頼んでいるんです。彼女を甘やかさないでいただきたい!」

 キッと小野寺先輩を睨み、少し大きな声で会話に割り込んできた鎌田先輩。そんなコワイ鎌田先輩の視線を直に受けてもまったく動じずに、まぁまぁというジェスチャーをした小野寺先輩もある意味すごいかもしれない。

「山本さんが大変そうだったから、声をかけただけです。すみませんでした」

 小野寺先輩が漂々とした感じで言う。完全に謝っている態度じゃない――しかもなぜかふたり、じーっと睨み合っているとか……。

 もともとソリの合わないふたりだと思っていたけれど、昨日から態度でそれを表しているのが見てとれた。何があったか分からないけどとにかく、私を巻き込まないで欲しい。

 見えない火花を散らし合うふたりの様子を横目で見ながら、体を小さくして仕事をしたのだった。
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 彼女がお茶の用意をしに会議室に行ったのを見計らって、そっとため息をつく。お陰で、少しだけ緊張が取れた。完全に取れないのは、目の前にいる小野寺のせいだ。隙あらばと言わんばかりの態度が、ますます俺をイライラさせるから。

 ――余裕な態度や、自分を馬鹿にした対応が堪らない……。

「鎌田先輩がどこまで守りきれるか、すっげぇ見ものだなぁ!」

 ポツリと呟く、小野寺の声が耳に聞こえてきた。

「鎌田先輩と彼女の間にはファイルの壁やパソコンの壁があるけど、俺の隣には何もないもんね」

「……何が言いたいんです?」

「仕事上の立場ですけど、鎌田先輩と彼女は完全に上司と部下の間柄。俺と彼女は、ただの先輩後輩の仲。どっちが仲良くなりやすいかなぁという話です」

「…………」

「しかも見た目は草食系を気取っているけど、本当の中身は獰猛な肉食のくせに」

 意味深な含み笑いをし、じっと俺の顔を見る。

「(隣で眠っているあどけない君の顔 愛しくてその肌にキスを落とす)だったかなぁ?」

「やはり、お前だったのか――」

「まだそんな関係じゃないのに、妄想だけでよくアレが書けたもんですね、さすがは鎌田先輩。何でもできる人は、羨ましいを通り越して本当に妬ましくなります」

 怒りが頂点に達しそうだったので、ぎりっと奥歯を噛み締めながら席を立つ。

 こんなくだらない挑発に乗っている場合じゃない。大事な会議がこれから行われる予定なんだ、早く冷静にならなければ――

「あれぇ、もう逃げるんですか?」

 後ろから、声を投げかけられる。

「自分は逃げも隠れもしません、受けて立ちます」

 吐き捨てるように言って、必死に苛立ちを隠しながら部署を出た。
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 会議は十三時から始まった。部署総勢五十名あまり、全員で会議に臨む。

 私がいるのは末席、鎌田先輩は上座側にいる。そしてなぜか私の隣には、小野寺先輩がいた。

「俺には発言権、まーったくないしね。ここにいても会議には支障ないんだよ」

 とか何とか言って、ちゃっかり隣を陣取ったのである。

 前にいる鎌田先輩が立ち上がり、ホワイトボードに向かって皆に分かりやすく説明に入った。途中容赦なく入る質問にも、明朗な態度で的確に答えていく。その鮮やかな仕事ぶりを遠くから見つめるだけで、心拍数が勝手に上昇した。

(鎌田先輩、本当にカッコイイ――)

「……ちょっと、ガン見しすぎじゃない?」

 隣にいる小野寺先輩が、口元を押さえながらコソッと呟く。

「あんなヤツの、どこがいいのさ?」

 言いながら机の下にある私の左手に、小野寺先輩の空いた手を被せてきた。反射的に引っ込めようとしたけど強い力で握られてしまい、簡単に捕らえられた。

 驚いて小野寺先輩の顔を見るが私とは目を合わせず、前方にいる鎌田先輩を見たまま固まる。

「……離して下さい」

 強い口調で言ったのに、無視し続ける小野寺先輩。それどころか指を絡めてきて、ガッチリ逃げられないように確保されてしまう始末。

(ああ、どうしよう……)

「君自身に何かあっても、鎌田先輩は飛んでこないよ。こーんなに距離があるんだからさ!」

 鎌田先輩から私に視線を移して、覗き込むように見つめられる。

 どうにも困ってしまって鎌田先輩に視線を投げかけてみたら、ホワイトボードからこっちへとちょうど顔を向けた時で、視線が一瞬だけ重なったように感じた。

 次の瞬間、鎌田先輩の顔色がみるみる内に陶磁器のように白くなる。

「小野寺先輩……止めて下さいっ」

 もう一度、強く言ってみた。

「悪いけど鎌田先輩の様子を、もう少し堪能してからね」

 一重瞼を細めてどこか悪びれた表情を浮かべたまま、さも面白そうに告げて、また鎌田先輩に視線を戻す。

 助けを求めようにも鎌田先輩の位置は遠すぎて、やるせなさに胸が痛んでしまった。しかも小野寺先輩は私が嫌がっているのを分かっていながら、この状態をキープするし……。

 しょうがないので俯いて、この気持ちをやり過ごすことに専念したのだった。
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 明後日の会議に向けての重要な話し合い。気合は十分だった――どんな厄介な質問をされてもいいように、しっかりとシュミレーションもしている。

 しかしそれよりも厄介なのは、君の隣になぜか小野寺がいることだった。

 あからさまにしてやったりな顔のアイツを、苛立ちを隠しながら眺めた。後方に行けば行くほど、視野が展開される。何かあれば、すぐに分かるだろう。

 気遣いながら会議を進めていったら案の定、泣き出しそうな君の視線とぶつかった。持っていたマジックを、思わず握り潰しそうになる。

「どうしたんだね鎌田君? そのまま続けて下さい」

 彼女の異変に固まってしまった俺を何とかしようと、課長が静かに声をかけてきた。

 目を閉じて深呼吸を二、三度してからきっちりと気持ちを入れ替えて再びボードに向かい、何事もなかったように書き込みをするしかない。

 自分の立ち位置がこんなにもどかしく思えたのは、これが初めてだった。

 頭に浮かぶのは君の泣き出しそうな顔ばかり……何もできない自分が、無性に悔しくて堪らなかった。

 俺と彼女の距離は、月と太陽そのものなのだろうか――
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「ちぇっ、つまらないな。反応なしかよ……」

 俯いたままの彼女を横目で眺めつつ、目の前で平然と会議を進める上司に呆れたので、すぐに手を離してあげた。

「仕事そっちのけで、助けてくれたら良かったのにねぇ」

「――小野寺先輩?」

 彼女の顔をじっと見つめながら、小さなため息をついてみせた。

「厄介な男を好きになったもんだね。あんなストイックなヤツの、どこがいいの? 俺に嫌なことをされているのが分かっているクセに、平気な顔して黙認した男だよ。山本さんが傷つくだけだと思うけどな」

「う……」

 今度は鎌田先輩の方を見て、ため息をついてやる。

「俺が同じ状況だったら、迷うことなく困っている君を助ける。会議中だろうが何だろうが、最優先で助けに行くのに」

「でも立場上、鎌田先輩はそういうわけにはいかないんじゃ」

「しょっちゅう会社でキレてるトコ見られているんだから、ここでキレてもみんなは何とも思わないさ。まぁマジギレした所は、まだ誰も見たことはないだろうけどね」

 朝のミーティングの出来事を、頭の中でぼんやりと思い出してみた。

「マジギレ?」

「顔がね、どんどん超無表情になって、瞬きもせずに睨んでくるんだよ。視線で殺してくる感じなんだ」

 ブルブル体を震わせて、怖がる素振りをしてみた。その視線で彼女に近づく、何人の男共を殺してきたんだろうな。

「いつまで紳士な騎士(ナイト)気取りでいるんだか……」

 チラリと隣を見ると、何を言っているんだろうという感じの不思議そうな顔をしていた彼女。

 このまま何事もなく会議を終わらせようとしている鎌田先輩に、なんとしてでも動いてもらおうか。会議を壊さないならこの後、強引にでも彼女を連れ出すまでだな――男同士の勝負をしてもらわなければ! 是非とも、かかってきてもらいますよ。