ずっと、ずっと。

本当の気持ちは、胸に巣食う想いのそばにあった。


触れて、触れないで。

壊れてしまえと願うことは出来るのに、壊してしまう勇気がいつもなかった。


聞いて、聞かないで。

言わないと決めたくせに、言えないことが苦しくて、いっそ、気付いてほしかった。


見せて、見せないで。

閉じ込めて、その目を塞いでしまいたかった。


届いて、届かないで。

手のひらに乗せて、その胸に押し付けて届けたかった。


信じて、信じないで。

嘘吐きの本当を信じてほしくて、けれどいつもの嘘のように吐いてみせた。


言って、言わないで。

同じ気持ちでいることを伝えられるのがこわかった。


忘れて、忘れないで。

交わした約束に込められた想いさえも知らずに、真逆の心を叫んだ。


壊して、壊さないで。

握り潰そうとする葵衣の手だけが傷付かないように、わたしもこの手を重ねた。


やっと、お互いに手を伸ばして、掴めること、掴まれることを確信して安心しきれるようになったのに、わたしは葵衣の背中を押さなければいけない。


本当なら今頃、葵衣に背中を向けて、もしくは葵衣の背中を見て、拳と唇を結び涙になれない血を流していたはずだった。

葵衣の背中を押せる。

突き飛ばすためでも、突き落とすためでもなく。

いつかの未来の、わたしと葵衣のために。


それが堪らなく嬉しくて、寂しさなんて一瞬で姿を消すほどだ。

一年前、今はもうない、誰にも見せることの出来なかった婚姻届よりも、確かにわたしを幸せにしてくれる、この一瞬がたくさんのものを引き連れて、連れ去っていく。


葵衣の手がわたしの肩を押して、素直に離れるけれど、吐息が触れ合う距離まで退いたところでぐっと腕を掴まれる。


「葵衣……?」


わたしと直線上に交わり合った視線を更に下にずらして、その位置で再び近付いたらどこが何に触れ合うのかを理解して、カッと頬が熱くなる。


「約束は変えませんって神さまに報告。曖昧なままだったからな」


「そんなの、都合良すぎ……」


「知ってる。もう黙ってろ」


わざと低く囁かれて、目を閉じろとまでは言われていないのに、至近距離で葵衣を見ていられなくて、上下の瞼をくっつける。

力が入り過ぎていることに気付いたのか、葵衣がふっと笑う声が、耳からは遠く、唇に近く、聞こえた。


「ずっと、花奏が欲しかった」


こんなときにくれるのがわたしの想像していた二文字ではないなんて、葵衣は空気が読めない。

すぐそばにあるのに一向に触れ合わないことに痺れを切らし、薄く瞼を開けたとき。


「好きだ、花奏」


最後のわたしの名前は、ほとんど唇に直接流し込むみたいに、ふたりの間に溶けた。


やっと聞けた。やっと、言ってくれた。

次がいつになるのかもわからないけれど、この一度があればいいと思えるほど。


わたしの約束は葵衣の約束でもある。

もし、離れている間に葵衣が別の人を想うことがあるのなら、決して嘘は吐かないで。

絶対に泣かないとは言えないけれど、葵衣を諦めること以上に難しくて苦しいことなんてもうないことを知っているから、他の理由なんて及ばない。


これが最後になってもいい。

わたしの最後が、今でもいい。


「わたしも好き」


あえて、一言だけではなくて『 も 』と言った。

葵衣と同じ気持ちであることがすごく特別で、夢のようで、けれど現実だということを噛み締めたかった。