真正面から風を受け続けていたこともあり、お互いにほとんど言葉を交わさなかった。
手袋も何もしていない指先が悴んで感覚がなくなっても、慶に回した手だけは離さずにいた。
目的地までもうすぐというところで赤信号に捕まり、ちょうど風も止んだタイミングで慶が軽く咳をしたあと、掠れた声を絞り出す。
「着いたら俺は先に帰るからな」
「……うん。ありがとう」
ここまで連れて来てくれたこと。
わたしを探してくれていたこと。
慶の真っ直ぐなところが羨ましかった。
人の事情に感されずに自分を貫けるのは、慶が単純だからだとか、そういう理由だけではない。
慶がいつも『 葵衣にだけ伝えろ 』と言っていた意味を受け止めようとせずに、相反するからと跳ね除けて。
それでも、わたしが聞き入れなかった言葉を、何度も与えてくれたのは、こんな日が来ることを信じてくれていたからなのかもしれない。
「ありがとう、慶」
バイクが走り出すタイミングで言ったから、慶に聞こえていたのかはわからない。
スピードを上げて、一層強く冷たい風が顔面に当たるけれど、記憶の奥にある目的地までの道と今走っている道を重ねる。
時刻は二十一時を回ってしまっていて、きっともう上宮は閉門されているだろう。
だから、約束の場所へ行くことは出来ない。
連絡も入れずにここまで来たけれど、葵衣がまだその場所にいるとは限らない。
急いで、と思う反面、止まって、と言いたくなるのを堪えて唇を噛み締めた。
何度も逃げてきた。
葵衣、日菜、慶、そして自分から。
今もこうして慶の力を借りなければ、葵衣のもとへ行けない自分の非力さが腹立たしいけれど。
「花奏」
徐々に緩んでいくスピード。
慶に呼ばれて顔を上げると、駐車場を突っ切って参道の脇に並ぶ鎖のそばにバイクが停まる。
「行ってこい」
慶に回していた手をポンと叩かれる。
エンジンは切ってくれたけれど、降りようとはしない慶に手を借りることは出来ず、飛び降りるように地面に足をつけると、踏み締めた感触に違和感を感じる。
凝り固まった手足を動かして、参道の奥へと向かう。
仄かに明るい道の端を振り向かずに歩いていると、しばらくして背後からエンジン音が聞こえた。
灯篭の明かりは消えていて、申し訳程度に足元を照らすのは、頭上を揺れるいくつかの提灯。
途中、何人かの参拝客とすれ違いながら、鳥居を潜り抜けて先に進む。
見えてきた上宮への扉は固く閉ざされていて、ここからでは約束の場所が見えない。
苔の生えた石畳の階段を上り、雲が晴れて覗いた月明かりが行く道を照らした。
閉ざされた門を向いて、真っ直ぐに背を伸ばした人の姿が見える。
名前を呼ぶよりも先に、駆け出していた。
まだ温もっていない足は縺れて、ところどころ石が飛び出た不安定な地面に転びそうになるけれど、足を止めてしまうと届かない気がした。
足音に気付いた葵衣が振り向くのと、背中に飛び込むつもりだったわたしがその胸にぶつかるのはほぼ同時で、受け止められたことに安堵した途端、身体から力が抜ける。