数日間かけて、わたしは葵衣の足取りを探していた。

勤めていたバイト先も知らず、葵衣と繋がりのある人を知らなかったから、友紀さんが教えてくれた葵衣を泊めている方の家を訪ねたけれど、出て行ったと言われた。

詳しく話を聞くと、深夜に葵衣が家に帰ってきた日の朝、荷物を取りに来てそのまま戻ってこないらしい。


三月末まではお世話になると言っていたのは嘘だったのかと思ったけれど、この人もそのつもりで葵衣と話をしていたらしく、突然のことに驚きはしたけれど、一先ず毎日連絡は取れているから心配しすぎないように、とのことだ。

わたしが訪ねる前に、友紀さんにも一報入れたところだと言うから、叱るのはそちらに任せようと思う。


宛もなく彷徨ううちに、随分と時間をかけて家の近くまで戻ってきていた。

電車もバスも使う必要がないほど近くにいたのに、会いに行くこともしなかったことが今更悔やまれる。

この辺りにいてくれることを願って探し続けたけれど、葵衣は見つからなかった。


昼過ぎに家を出て、今はもう十九時過ぎだ。

街灯が照らす夜道を、一歩進むごとに泥に沈むような感覚で歩いていると、一際明るい光が一筋、わたしの真横に伸びた。


「花奏!お前、何してんだよ!」


エンジン音をかき消すほどの大きな声。

声の焦り具合よりも、呼ばれたことに対して振り向くと、ヘルメットを地面にかなぐり捨てる慶がいた。

車体にヘルメットが当たって、嫌な音を立てる。


「慶、バイク……」


ずっと会っていなかったけれど、日菜から近状だけは聞かされていた。

黒光りするバイクにぶつかるヘルメットに目をやる。

貰いものなんでしょう、と言おうとしたとき。

加減なしに肩を掴まれて、痛みに顔を顰める。


「今何時だと思ってるんだ」


「七時過ぎくらい……もしかして何かあった?」


鞄の底に押し込んだまま携帯は開いていなかったから、いくつも通知が溜まっているだろう。

慶のこめかみは汗でびっしょりと濡れていて、かなり長くバイクを走らせていたことがわかる。


「何かあったじゃねえよ。昼には出て行ったって、お前んとこのおばさんが言うから、俺は葵衣のところに行ってるもんだと思ってたのに」


「……は? 葵衣って……わたし今日ずっと葵衣のことを探してたんだよ」


どこにもいなかったけれど。

葵衣の居場所すら掴めずに、帰って来てしまったけれど。

足の痛みが麻痺するくらい、ずっと歩いていたんだから。


「花奏、まさかお前、手紙読んでねえのかよ」


「どうして慶が知ってるの?」


「いいから!読んだのか読んでねえのか、どっちだ」


「読んでないよ。手紙なんかじゃなくて、葵衣から直接聞きたいことがあるの」


手紙にはきっと色々なことの答えが書かれているのだろう。

納得出来るのかは別として、葵衣に直接聞かなきゃ気が済まない。

だから、あの手紙は開封もしていない。


「ふざけんなよ、お前……ほんと、勘弁してくれ」


「ねえ、どうして慶が手紙のこと知ってるの」


「そんなことはどうでもいいっつってんだろ。今は?手紙持ってねえのか」


「持ってるけど」


一日開けることのなかった鞄から、葵衣の手紙を取り出す。

そのまま突っ込んでいたせいで折れ曲がった角を直そうとすると、ふんだくるように手紙を取り上げた慶が雑に封を切る。


「慶、なにして……」


「読め」


開いた便箋を目の前に突き付けられて、文字を読むよりも先に文章の少なさに目が止まる。

街灯の明かりに透けたボールペンの文字の意味を理解すると同時に、全身がカッと熱くなる。


「花奏の言い分もわかるよ。手紙で残す葵衣も馬鹿だ。けどさ……これ以上すれ違うのはやめろ。葵衣の影を追うんじゃなくて、葵衣のことを追えよ」


「……どうしよう」


ここから、葵衣のいる場所までは車で二時間はかかる。

まだ電車を使うことも出来るけれど、乗り換えの時間も考えたら、二時間どころじゃない。


それに、たとえ二時間で着いたってもう、間に合わない。


「そのための俺だろ」


くしゃりと目の前で慶の手に潰された便箋を両手で受け止める。

立てた親指で自分の顔を指さして、胸を大きく張る慶の言わんとすることがわかる。

さらに、いつの間に免許を取ったのかわからないけれど、原付だと思っていた慶のバイクは見た感じから中型だとわかる。

珍しく、発言の頼もしさに行動が十分追いついていて、慶に頷いて見せる。


メットインから取り出したヘルメットをわたしに手渡しながら慶が、あっ、と声を上げる。


「そういや、花奏はバイク乗ったことあんの?」


「ないよ。乗ることないもん」


「初乗りが俺かよ。後で葵衣にどやされんなあ……」


「え、葵衣もバイク持ってるの? ていうか、免許持ってるの?」


「持ってるよ。マンションの敷地には置いてなかったけど。つか、一緒に取りに行ったしな」


「知らなかった」


葵衣がどこで何をしているのかを知ろうともしなかったから。

“ 知らないこと ” が不安にならないように、知っていることにばかり目を向けていた。


「行くぞ」


転がっていたヘルメットを拾い上げて装着した慶がバイクに跨る。

わたしも慶の後ろに何とか跨って、何か言われるよりも先に腰にしがみついた。


「そうそう。しっかり掴まっとけよ」


「足、地面につかないのこわすぎ……」


「ふはっ! そっちかよ。まあいいけど。絶対離すなよ」


「……かっこいいね、慶」


言葉も、背中も。

いつの間にか大きくなっていた慶の背中に頬を押し当てて、回した腕に力を込める。


「そういうのは葵衣に言ってやれ」


わたしの返事を待たずに、急発進したバイクが方向転換をして夜道を走り出す。

一言も行き先を告げていないのに、葵衣のいる場所がわかるということは、慶は連絡を取り合っていたのだろう。


慶のお腹に回した手に握り締めた便箋には、たった二行の短いメッセージが書かれていた。


【 2/1 午後5時 】
【 約束の場所で待ってる 】


あの杉の木の下に、葵衣はいる。