お父さんとお母さんと過ごした記憶はない。ニュースに出るほどには大きな事故で私を庇って亡くなったから。新進気鋭の、先日上場企業の仲間入りを果たしたばかりのお父さんの会社は叔父さんが引き継ぐことになり、私も叔父さん夫婦に引き取られた。この時3歳。なにも、おぼえていない。






叔父さん夫婦は私に優しかった。けれど、どこかよそよそしいのも感じていた。その理由がわかったのは5歳の話。家にはお父さんとお母さんのお仏壇があって、毎朝挨拶をしていたから2人がもうしんじゃってる、っていうのはわかっていた。けれど、まだ5歳。実感なんてないし、そもそも憶えていないんだから悲しいとかそういう感情は一切なかった。

ある日の夜のことだった。夜中に目が覚めてしまってトイレに行こうとした時リビングから漏れ出ている光に気づいた。
(叔父さんたち、まだ起きてるのかなぁ?)
なんて思って、ドアをそっと開いた。



叔母さんの、泣いている声が聞こえた。

「あの子を、あの子を庇わなければまだお兄ちゃんもお義姉ちゃん生きていたのにっ」

そう、泣いていた。



(わたしは、いらないこなの?)







次の日もその次の日も、叔父さん叔母さんは優しかった。けれど…。
わたしは、いらないこ。
その言葉が頭にこびりついて離れない。





7歳になった。叔父さんも叔母さんもやっぱり優しかった。

ダイニングテーブルいっぱいに広がるご馳走。ケーキ、ハンバーグ、からあげ!どれも私の好きなものばかり。

「お誕生日に、何か欲しいものはあるかい?」
にこにこしながらそう言う叔父さんのその問いに、こう答えた。
「教えて。叔父さん、叔母さん。
私は、いらないこですか?お父さんと、お母さんをころしたいらないこですか?」
「何言ってんだ、そんなことないだろ」
そうすぐに答える叔父さん。だけど、私はそんな答えが欲しいんじゃない。

私が真剣に聞いていることに気づいたのか、叔母さんはこう答えた。

「今でもあなたが1日でも早く、もしくは遅く生まれていたらお兄ちゃんとお義姉ちゃんは生きていたかもしれないと思う。それか、自分の命を優先させればきっと2人は助かった。だって、1人だけ瓦礫に埋まったあなたを見捨てて逃げればよかったんだから。けど、2人はあなたを助けた。あなたは、お兄ちゃんとお義姉ちゃんが命をかけて助けた。あなたがいらない子なら、お兄ちゃんとお義姉ちゃんの命も、無駄になっちゃうよ。」

叔母さんの目からは、涙がこぼれ出ていた。





事故に遭ったのは、私の誕生日だった。
私の誕生日は、お父さんとお母さんの命日。8歳からのお誕生日には、ダイニングテーブルには2人が大好きだったパクチー料理が並ぶようになった。

『誰も食べるわけでもないのにねぇ』
『まあ、ありがたくいただくとしようよ』

そんな、声が聞こえた気がした。
その声は、聞いた記憶はないのに何処か懐かしかった。