最後の保護者が教室を出て行くと、百瀬は思い切り伸びをした。
9月の面談がやっと終わった。

受験が近づくにつれて緊張感が高まる分、ピリピリとする保護者が増えてくる。
あまり言いすぎるのは良くないけれど、ここで甘い事ばかりも言っていられない分、この時期の言葉選びには特に神経を使う。

事務室へ戻ろうと立ち上がると、静かな教室に、ドアをノックする音が響いた。

「はい、どうぞ。」

声をかけるとドアがガラガラと開き、ジャージ姿の関崎が顔を出した。

「面談終わった?」

「はい。」

関崎は「すごいよ、ももちゃん。」と、ニヤニヤしながら百瀬の方へと歩いてくる。

「面談後のお母様方ね、難関小学校行動観察ガイダンス講座、全員申し込んで行ったよ。」

「うわ、全員ですか?」

「うん。百瀬先生にオススメされたので、だって。すごいね、みんな百瀬先生大好きだよね。」

百瀬は眉間に皺を寄せ、手をひらひら横に振って見せた。

「敬栄学園の先生が見えるからですよ。俺の力なんかじゃないですから。」

関崎が目の前の椅子を自分の方に引き寄せて腰を下ろしたので、思わず百瀬ももう一度椅子に腰掛けた。
自然と2人で向き合うかたちになり、なんだか再び面談のようだ、と百瀬は思った。

「友利さんも申し込んでたよ。あ、彼女に話した?異動の事。」

「友利さんにですか?話しましたよ。」

友利みちかとも今日、面談をした。
雪村幼稚園の異動の話しをした時の、彼女の哀しそうな表情は忘れられない。

「なんて言ってた?」

「残念そうにしてくれましたよ。急だからびっくりしたんだと思いますけど。」

関崎は「ふぅん。」と、言いながらまたニヤニヤした。
そんな彼を無視するように百瀬は真顔で言った。

「友利さん、なんだか元気ないんですよね。聞いてみたんですけど受験の事でも無さそうだし。ちょうどあの模試の辺りからのような気がするんですけど。」

今日も友利みちかは覇気が無い様に百瀬には見えた。
娘の乃亜は光チャイルドの夏期講習や模試の効果もあってか見るところ調子がとても良いし、友利みちか自身もそれには気づいている様子ではあった。
家庭で何かあるのだろうか、それともどこか具合でも悪いのか、色々考え百瀬はとても心配になった。

「模試の時って、体調不良だったっけ?あの時、ももちゃんが飛んで行っちゃったのはほんと面白かったなぁ。分かりやすいよね、百瀬。」

「分かりやすいって…。勘弁してくださいよ、関崎さん。」

百瀬はため息をついた。

「友利さん、あの時、泣いてたんですよ。」

「は?泣いてたの?なんで?」

驚く関崎に、百瀬は首を傾げて見せた。

「いやぁ…。気分が悪いとは言ってたけど。実際、体調不良とかではなさそうで。何かものすごくショックな事があったような感じだったんですよね。」

「ふぅん。それで、医務室で休んでもらってたのかぁ。」

しばらく黙ってから関崎は、声を潜めて「なぁ。」と言った。
彼の顔があまりに真剣なので、思わず百瀬は息を飲んだ。

「旦那が浮気したとかじゃない?たまたま女と歩いてる所を見ちゃった、とか。」

「まさか、そんな事あります?」

百瀬は呆れてため息をつく。

「あり得ないよな。体調悪かったからじゃないの?ご両親の事とか、まぁ色々とありそうな年代だよな。受験に差し支えないといいね。」

関崎が立ち上がったので、百瀬も立ち上がり一緒に教室を出た。