「ももちゃん、今日終わったら飲みに行かない?」

事務室でPCに向かっていた百瀬の耳元で、関崎が囁いた。
百瀬は、ハッとして関崎の顔を見る。
いつも時間になればまっすぐ家に帰るイメージの関崎から飲みに誘われるなんて珍しい。

「え、いいですけど…。」

半信半疑で百瀬が応えると関崎はニタッと幼児に向けるような笑みを浮かべた。

久々に定時に退社をし、関崎に連れて行かれたのは女子がデートに好むような可愛らしい半個室のある居酒屋だった。

「関崎さん意外ですね。こうゆう趣味だったんですか。」

席に着いた百瀬が真顔で言うと、関崎は苦笑いした。

「そんなわけないだろ。ももちゃんの好みかなぁ、と思ったんだよ。」

「マジですか。嬉しい…。」

関崎の冗談に百瀬は笑った。

「俺はとりあえずビール。あとは百瀬の好きなもの頼んでいいから。」

「あ、いいんですか?じゃ、とりあえずビール頼んでから決めようかな。」

そう言って、百瀬は店員を呼ぶと2人分のビールをオーダーした。

「しかし、すごいお洒落ですね。」

テーブルの上に載っているメニュー表も木製だし、天井には小ぶりなシャンデリアが吊り下げられていて、そこかしこが凝った造りだ。
関崎の背後からドーム状に百瀬の背後まで続いている真っ白な壁は、よく見るとヨーロッパの古城の壁のような模様の漆喰塗りだった。
思わず百瀬は壁に手を伸ばし、撫でてみる。
壁はほんの少し掌に痛みを感じるようなザラザラとした刺激的な感触をしていた。

「でも、こうゆう店なんて彼女とよく来るでしょ?」

関崎がそう言ったタイミングでちょうどビールが運ばれてきて、2人はひとまず乾杯をする。
あっという間に、グラスの中身は半分以下になってしまった。
ふぅ、とひと息ついた後、百瀬はポツリと口を開いた。

「関崎さん、俺、別れたんですよ。」

百瀬の言葉に関崎が無言のまま両目を大きく見開いた。

「うそ、いつ別れたの!?」

関崎が悲壮感漂う表情で小さく叫んだ。
まるで体操の時間に跳び箱から落ちた幼児に向ける表情と同じだ、と百瀬は思った。
関崎さんは俺が振られたと思い込んで哀れんでくれているんだなぁ、と思いながら百瀬は梨沙と別れた時期を必死で思い出そうとする。

「えっと…。いつかな、先月ですかね。」

すでに、別れたのがいつだったのかさえよく思い出せない。
そのくらい自分は冷めていたんだな、と百瀬は改めて思う。
実際に、梨沙と別れて寂しいと思った事は一度もなくて、むしろ気分は清々としていた。

「なんでまた…。」

相変わらず苦い顔の関崎に、さすがに別れた本当の理由なんて言えないよなぁと百瀬は思った。

「会える時間がなかなか取れなくなってたんで。別れたら楽になったんですよ。」

百瀬は出来るだけカラッと言った。
関崎は退屈そうな表情で「マジかよ。」と、呟く。

「だから放ったらかすなって言ったのに。」

そう言ってビールを飲み干す関崎に、聞いてくださいよ、と言いたいのを百瀬はぐっと堪える。
疲れているのに朝夜構わず何度も求められて、人前でも構わず身体にベタベタ触れてきた梨沙。
あんなに四六時中しつこくされたら、関崎だって耐えられないだろう。