体操教室の始まる20分前、準備を終えて1人教室の片隅で百瀬はバインダーに目を通していた。

夏休みも半ばを迎え、サンライズ体操教室小学校受験コースでも、来週頭には行動観察模試を控えている。
百瀬の受け持つ内部生の申し込みは、ほぼ100%、外部生の受講者も何名か参加する予定だ。
ここ本部にある体育館に、いくつかあるサンライズ支部の受講生が全員集まり行われる大規模な模試となるため、ここのところずっと準備に追われていた。

模試を控えた自分の受講生達とその保護者達に、今日はどんな言葉をかけるべきか、百瀬は真剣に考える。
夏休みのこの時期になると、小学校受験対策に疲れを感じてしまう家庭も少なくない。
ずっと頑張ってきたからこそ感じる疲れではあるけれど、まだまだ本番まで2ヶ月半。
ここで今一度、やる気を高めてもらう事はとても大切な仕事だった。
それに今日は来月行う親子面接対策の案内もしなくてはならないし、保護者へ話すことが山のようにある。
百瀬は大きく息を吐いて、頭を切り替える。
ひとまずは今日の体操教室で行う内容を頭の中で整理しなければ…。
受講生一人一人に思いを巡らせようとした、その時だった。
突然背後から「百瀬先生!!」と聞き慣れた可愛らしい声がした。

振り向くと、入口の方から体操着姿の友利乃亜がこちらへ向かって駆けてくる。
あっという間に乃亜は百瀬のもとにたどり着き、そして勢いよくギュッと抱きついた。

「わぁ、乃亜ちゃんか。びっくりした。」

乃亜は力強く百瀬にギュッと抱きついたまま動かない。
顔を上げると、友利みちかが照れたような表情で百瀬に近づいてきた。

「こんにちは。すみません先生。乃亜ちゃん、ご迷惑よ。」

濃紺の上品なセットアップに、珍しく髪をゆるく巻いた友利みちかはとても可愛らしく見え、百瀬はドキッとした。

「先生、乃亜ちゃんね、先生に会いたかった。」

乃亜が百瀬を見上げ、ニコッと笑う。
その無垢な表情に、思わず心が和み百瀬は手にしていたバインダーを教壇に置くとしゃがみこみ乃亜の手を取った。

「乃亜ちゃん、ありがとう。先生も会いたかったな。」

そう言ってから、百瀬はハッとした。

「そうか、乃亜ちゃん夏期講習を受けてきたんだよね。他のお教室はどうだった?」

先週、友利みちかは面談で、光チャイルドゼミナールの夏期講習へ行くと話していた。
百瀬がゆっくりと乃亜に質問すると、乃亜は小さく首を横に傾けて少しだけ口をへの字に曲げた。

「乃亜ちゃん、百瀬先生が一番だと思った。」

小さな声で乃亜が呟く。
可愛いなぁ、と純粋に思いながら百瀬は乃亜の頭をポンポンと撫でた。
そして立ち上がった百瀬は、友利みちかに視線を合わせた。