「ただいま」
夕方、あたしはそっと家に入り込んだ。
「早かったな」
リビングには鼻と口の間にシャープペンシルを挟んで、原稿用紙とにらめっこしているオヤジが一人。
父はこっちを向かずに一言あたしに声をかけた。
「予定じゃ、明日までバイトで泊まりのはずじゃなかったのか?」
「早く終わったの」
あたしは冷蔵庫からお茶を出してコップに注ぐ。
「お前、そんな洋服持ってたか?」
と、再びこちらを向きもせずあたしに問いかけた。
あたしはぎくりと一瞬顔を青くする。
「も、持ってたよ。お父さんは滅多に家にいないから、あたしが何着てるかなんて分からないでしょ」
あたしは少し棘のある言い方をしてみた。
父は「そうか」と苦笑気味の表情を浮かべてから、洋服については聞かなくなった。
あたしはほっと安堵の息をつく。
「俺にもお茶」
「はいはい」
父の分のお茶を入れて、手渡ししようとした。
と、父の視線が気になる。
あたしの左手をじっと見つめていた。
「……へぇー」
父は悪戯めいた表情を浮かべて、あたしを見つめた。
あたしは顔を真っ赤にして左の薬指を隠す。
左の薬指にはラウルから貰ったハウワイの指輪が、はめられたままになっていたのだ。
「ち、違うからっ!」
「何が」
父はまだにやにやと笑っている。
ちょっと……いや、かなりムカつく。
「まぁ、この2日間で何があったか深くは訊かねぇけどな」
そう言って、父は再び原稿用紙とにらめっこを始めた。
あたしはそっとため息をつく。
そして、右手と左手を交互に見比べた。
右の薬指には父からのダイヤの指輪。
左の薬指にはラウルから貰ったハウワイの指輪。
完全に挟まれた。
父と恋人という嫌な関係に。
あたしはもう一度ため息をついた。