テーブルに指で『小川晴太』と書いてみる。

「いい名前ですよね。本当にぴったり」

小川さんは珍しく視線を逸らした。

「……ありがとうございます。なんか恥ずかしいですね」

割り箸をくるりと逆さまにして、グラス周りの結露をインク代わりに、小川さんはするすると文字を綴る。

「『中道美夏』さんもいい名前ですよ。ぴったりです」

「でも私、書道は嫌いでした。右払い多くて。せめてしんにょうがなければな」

『道』『美』『夏』とうまく書けない文字ばかりをテーブルに再現する。

「確かに、しんにょうは難関ですね」

そう言いながらもくねくねと淀みなく割り箸を滑らせる。

「あ、『小川』さんはいいですね。これなら上手に書けそう」

「そうですね。しんにょうに比べたら書きやすいです」

縦、縦、縦。
水分を補充しながら、割り箸は動き続ける。

「でも『美夏』さんはいい名前です。『ミカ』さんより『ミナツ』さんがいいですね」

横、てん、縦、横、曲がって、横、横……。
するっするっと楽しげに跳ねていた小川さんの割り箸が、ぴたりと動きを止めた。

「……ミナツさんはどんなカップでしたか?」

急に話題を戻して、濡れたテーブルをさっさと紙ナプキンで拭いてしまった。
小川さんが書いた透明な私の名前。
名残惜しいなどと思う間もない、あまりに儚い文字だった。

「私、毎回違うんですよね。きっとそのとき手近にあったものを使ってるんですよ」

「そもそも、ミナツさんは陶器じゃない気がします」

「え! プラスチック!?」

「あはははは! 丈夫で使いやすくていいですね、プラスチック!」

杏仁豆腐を大きく頬張って、見事な膨れっ面を作りあげた私に、小川さんは穏やかな笑みを向けた。

「ガラスがいいです、ミナツさんは」

「ガラス、ですか?」

「熱にも強くて、丈夫で、きらきらと透明な」

できることなら、その鉢のような黒い器を頭からすっぽりとかぶってしまいたいと思った。

「……恥ずかしいです」

「恥ずかしいでしょう?」

ふかふかした背もたれに背中を預けて、小川さんはゆったりと笑った。

私は全然「きらきら」でも「透明」でもない。
こんな褒め言葉を真に受けるわけにはいかないけど、それでも表札のひとつじゃなくて、ちゃんとひとりの人間として、小川さんの目に映っていたいと思う。