いつだって、予感なんてない。
恋は嘘みたいな奇跡をはらんで、日常のそこかしこにひそんでいる。

この季節の天気は、雪の名残で雨が多い。
雨、雨、晴れ、晴れのち曇り、雨、晴れ、雨。
冬物のコートをクリーニングに出して油断していると、時折強烈に冷える日があって、雨が雪に変わることもある。
春はいつだって穏やかさとは無縁で、それゆえに心まで沸き立つ忙しない季節だ。

4月2日月曜日。晴れ。
いまだ葉のないイチョウの向こうに見える空は灰色の強い青で、器用に晴れになりすました曇り空にしか見えない。
本部の入ったビルごとぼんやり空なんか見て歩いていたら、冷たい強風に背中を押された。
とんとんとんと階段を上って自動ドアを抜ける私の横を、コンビニのビニール袋がものすごい勢いで飛んでいく。

「おはようございまーす」

惰性の笑顔を添えて同じ課の先輩である伊東さんに挨拶すると、

「あー、おはよーございまあああ」

返って来た挨拶は、半分あくびへと変わった。

「伊東さん、転勤なくてよかったですね」

「あったら困る。ここに骨を埋めるつもりで生きてるから」

地元採用の私と違って、伊東さんは一応東北全域どこの事業所でも転勤の可能性がある。
けれど、基本的に最初に配属された事業所内に収まることが多い会社だ。
伊東さんも奥さんの実家をリフォームして、ここに根をおろしている。

「誰も異動ないんだから、歓迎会なんてしなくていいと思いませんか?」

新年度の始まりと言っても、結局はただの月曜日。
どこかにいる新入社員のフレッシュ感はここまで届いて来ない。
歓迎する相手がいなくても年度始めの飲み会はしっかりある上に、事業所全体での観桜会も立て続けにある。

「懇親会費集めてるから、やらないと予算余るの」

「だったら観桜会を豪華にホテルでやりましょうよ!」

「肝心の桜は?」

「心の目で観ます!」

小さなビルなので、エレベーターは2基しかないけれど、さほど混んでいない。
会話は丸聞こえだとわかっていても、一応マナーなので声はひそめる。

「外で飲むのが楽しいんじゃない」

「だって寒いですもん」

「飲めばあったかくなるって」

「寒い中、冷たいビールなんて口にする気にもなりませんよー」