ザクッ、ガコン、ザクッ、ゴトン。包丁とまな板が無様な音を鳴らす。多くの包丁さばきを見てきた碧惟でも、もう何年も聞いていないような不器用さが、それだけで十分伝わった。

 どれほど難しい素材相手に格闘しているのかと、梓の背中越しにのぞき込むと、まな板の上に載っているのはキャベツだった。

「薄く……薄く……」

 ブツブツと呟いているが、どう見ても千切りには見えなかった。短冊切りでもない。ザク切りでも、料理教室の生徒なら、もう少し整えられる。

 包丁は何度も空振りし、梓の丸っこい指をかすめる。

 しばらく見守っていたが、碧惟は我慢しきれず口を出してしまった。

「千切りというより、百……いや十切りってところか」

「ですよね……って、先生!?」

 包丁を持ったまま梓が振り向いたので、碧惟は思わずその手首を掴んで、調理台に押さえつけた。このそそっかしさは、放っておくと怪我をする。

「ひぇっ!?」

「包丁を人に向けるな」

「すみません!」

 梓の指が包丁から離れたのを確認して、腕を離す。

 梓は、掴まれた右腕を左手で覆った。

(その仕草、いつか見たな)

 初めて梓に起こしてもらった朝だ。

 あれ以降、梓には触れていなかったが、そのときのふっくらした感触は覚えている。まざまざと思い出してしまいながら、碧惟は梓を見おろした。

 碧惟がこれまであまり縁のなかった、ふくよかな体型だった。恭平ほど太ってはいないが、恭平のように固太りしておらず、指が沈んだ。今かすかに赤らんでいるような気のする頬は、きっと二次発酵したパン生地のような弾力と柔らかさを兼ね揃えているだろう。

(何を考えているんだ、俺は)

 慌てて妄想を吹き飛ばし、調理台をよくよくのぞき込んだ。

「驚くほど、下手だな。それで手伝いがしたいなんて、よく言ったもんだ」

「……すみません」

「しかも、料理本を担当したいだなんて」

 梓は、うめき声を漏らした。

「言い訳のしようもありませんけど、本来の担当者の弥生さんは料理上手で、先生の本の料理は全部作ったって言ってましたから!」

「全部? そりゃたいしたもんだ」

 しかし、問題は梓だ。初心者なんてレベルではない。おそらく、包丁を持ったことさえほとんどないのだろう。

(そんな人間が、コソコソ隠れて何をやってんだか)

「昨日も、これをやってたのか」

「えっ! どうして、それを……?」

「見ればわかる。誰かが使ったあとがあった」

 今日は料理教室があったため朝一番に、生徒の使う調理台も確認した。

 きれいに片付けられてはいたが、調理台にかすかな違和感があった。それに、排水溝にわずかにゴミが、今夜と同じことをしていたのならおそらくキャベツの削りカスが残っていた。それで、もしやと思っていたのだ。