「ありがとう……陽向兄……大好き」
『大好きだよ、陽向』
「うん。―俺も。幸せになって、千華」
小さな体を、両腕に包み込んで。
―決意した。
***
「今日ね、大切な人の日記を見つけたんだ」
既に日課となった、君の元へ訪ねる毎日。
「そうなの?」
僕のことを、君は覚えていないけど。
それでも、"知人”としてなら、そばにいさせてくれる。
「陽向は、それを読んだの?」
「んーん。勝手に読んだら、怒られるかなって」
パラパラとめくっては見るけど、読んではない。
だって、目の前の彼女が書いたものだし。
「読んでもいいと、莉華は思う?」
「?」
こちらの言葉を理解しているのか、どうなのか。
きょとんとした顔で見返してきては、
「陽向は大丈夫」
見当違いのことを、言ってくる君。
「……ダメだなぁ」
風が、吹く。
君は、何も変わらない。
何年経っても、君はいつまでこんな風に。
ああ、ごめん、ごめんね。
謝っても、謝っても、キリがない。
僕がこんなにも大事にしなければ、君はこんなふうになることは無かったかもしれないのに。
「……僕、莉華を失ったら、生きていけないなぁ」
しゃがみこむと、手を伸ばされる。
それに頬をすり寄せると、何故か、涙が出てきた。
「本当、だったんだよ……」
君を傷つけてしまうくらいなら、あの日、君の想いに応えなければよかった。
君に興味が出た、ただ、それだけだった。
執着心とか、基本的にない自分が唯一気になったから……まさか、こんなにも大切な人になるなんて思ってなかったから。
「ごめんね、君さえいれば、他に何もいらなかったのに」
守れなかった。
守れなかった。
君を守れなかった僕が、
君を追い詰めた僕が、
一番に、君の帰りを願っている。
それなら、もっと早く、何か手を打てたかもしれないのに。
「なかないで」
そうしたら、君は今でも笑っていたのに。
「おかしいね、私はずっと陽向のそばにいるよ」
そんな、乾いた笑顔じゃなくて。
手の届かない存在になってもいい。
君が、僕の手が届かないところでも笑って、幸せになってくれたなら。
「うそつき……」
君の頬に触れると、滑り落ちた日記帳。
地面に落ちて、風に捲られて、パラパラと。
「……」
涙もまた、風と交わる。
そして、消えてく。
君の前だけ、それは流れる。
寂しいなんて、言う資格がないのはわかってる。
それでも、君が隣にいないのは寂しいんだ。
*
千華を授かったと、母から聞いた時。
僕の横で喜んでくれた君。
あれから、十三年。
何があったと思う?
始まりは、本当に些細なことだったんだ。
妊娠しても、流産する日々。
その度に、莉華は人目につかないところで泣いて、苦しんで、それを僕に言うことも無く。
違うだろう。
その流産は、君のせいじゃないだろう?
たまに見れば、増える包帯。
階段から落ちたり、
毒が盛られていたり、
たまたま持ったものに、凶器が仕込まれていたり。
日に日に増えていく痛みにすら、君は笑顔で耐え続けた。
『陽希!』
『陽向?』
『莉華は!?』
『え……』
『莉華を見なかった!?』
"不思議なくらい”僕らの前から姿を消してしまう君を、毎日、毎日、探し回って。
見つけた時は、いつも、気を失っていた。
何かが君を襲ったのは間違いないのに、
『大丈夫だよ』
―……君はいつも何も言ってくれないから、結局、真実は闇の中に消えてしまって。
そんなことばかり相次ぐから、子供は無事でいられるはずもなくて。
その度に、君は泣き腫らした目で、僕に言ってくるんだ。
『ごめんなさい』って。
それが、辛かった。
『気にしなくていいんだよ』
そういう毎日。
授かる度に、喜んでいる君は既にボロボロだった。
そんなある日、陽希が魅雨を連れ帰ってきた。
今まで、ほぼ監禁状態で育ったらしい魅雨は何も知らなくて、反面、色んなことを知っていて、優秀で。
誰もが、魅雨を優遇した。
御前の人間でさえも、魅雨に媚びへつらった。
それを不快に感じながらも、陽希はちゃんと守ってた。
莉華も笑って、魅雨と接してた。
家族を失っていた莉華からすれば、魅雨は可愛い妹みたいな存在だったんだろう。
ショッピングしたり、テレビを見たり、色んなことをして、気分を紛らわして、笑っている莉華。
心配な反面、それがとても嬉しくて。
でも、どんどん、影もついてまわって。
魅雨が来た日も、怪しい動きをする御前。
いつからか、莉華と共に眠ることはなくなった。
莉華がそれを拒絶するようになっていったから。
今考えれば、その間に他の女と子作りをすればいいとかいう、莉華なりの配慮か、はたまた、誰かからの入れ知恵によるものだったんだろう。
夜、魘されて眠れない君を自分の寝所に引き入れようとする度、色んなことを言ってくる御前の人間。
度々、やってくる見知らずな女共。
―消してしまおうか。
鬼の力は、なかった。
陽希みたいに、この御園の家に伝わるその人外の力を使うことは出来なかった。
でも、それでも、俺は普通の人間とは違っていた。
殺してやろうと思った。
消してやろうって。
でも、それを、魅雨が止めた。
そんなことをしても、莉華は喜ばないって。
誰にも話していないのに、魅雨に止められた。
神様が、そう言っている。
精霊さんたちが、泣いているって。
こんな僕でも、どうやら加護はあるらしい。
だから、やめた。
その分、莉華をもっと、もっと、大切にしようって。
そう、思った時。
『私は……授かってあげられないから、違う人とでもって……陽向に、子供ができれば……陽向も喜ぶからって。そうっ、思ったのに!ごめん、ごめんっ、ヤダっ、やっぱり、嫌だよ!』
莉華がとうとう、泣きついてくれた。
泣きじゃくって、抱きついてきてくれた。
抱きしめると、やけにほっそりとした抱き心地にゾッとした。
最後に抱いたのは、いつだっただろうか?
こんなにも、ほっそりとはしていなかった。
ワンピースとか、そんな服で誤魔化していたのか。
―抱き竦めた。
泣き続ける君を、これ以上、晒したくなかった。
その腕の中にいる時でさえも、謝り続ける君が僕はとてももなく愛しくて、どうにかしてでも、守りたくて仕方なくて。
『莉華、二人で引っ越そう。どこか、遠い所へ』
この家の手が、届かないところへ。
それが、二十六歳の時。
海外を飛び回りながらも、協力してくれると言った両親の手を借りて、二人でこの家から出て、外で生きていく準備を続け、僕は仕事に精を出す毎日。
『陽向……?無理しちゃ、ダメだよ』
俺のことを心配そうな目で見てくる君がたまらなく愛しくて、
『大丈夫だよ。おいで、莉華』
君がいれば、何もいらなかった。
抱きしめて、キスをして、愛してると囁いて。
―そんな時間が、幸せで。
ようやく、飛び立つ日。
たまたま、飛び込んできた緊急の内容。
御前の、他の女達の目に触れないように隠し守った半年。
莉華は、本来の元気をある程度、取り戻していた。
けれど、出ていく直前に舞い込んできたその仕事は意外と厄介で、莉華を長時間、1人にしてしまうと思った。
だから、信頼していた人間に任せたんだ。―それが、間違いとも知らずに。
任せたのは、古くから家に仕えている女性だった。
使用人頭ともされていて、とても優秀だった。
誰にでも平等で、仕事が完璧だった彼女にも、大切なものはあったのに―……。
仕事中、かかってきた電話。
あれほど恐ろしかった電話は、後にも先にもない。
御園の家を出ても、御園と関連した仕事をしていくように手続きをしていた俺はその電話を取った瞬間、何かのネジが頭の中で吹っ飛んだ気がした。
『兄さんっ、早く帰ってきて!!莉華義姉さんが―っ!!』
―春馬の、焦る声。
どうして、と、そう思った時には遅くて。
駆けつけた先にいたのは、布団に横たわった意識のない莉華と泣きじゃくる10歳の春馬の姿があった。
そして、傍には悲しんでいるふりをしている御前の人間。
医者も来ていて、その医者―倉津貴弘(クラツ タカヒロ)と、後に医学界を騒がせる、鬼才の医者・18歳の松山久貴。
『……問題ありません。けれど、この家に置いておくのは危険だと思われます』
『何が危険と申されるのですか?かの方は陽向様の大切な奥方様ですよ』
―それを、傷つけたのは誰だ。
どれだけ、莉華が耐えてきたと思っているんだ。
お前達の身勝手に、どうして俺達が振り回されなければならない。
俺達はただ、幸せになることを望んでいるだけなのに。
―でも、ここでは口に出せない。
口に出してしまったら、それはきっと、巡り巡って両親に迷惑がかかってしまうから。
この男は後で、裏で処分しよう。
―そう、誰にも見つからないように。
陽希と魅雨は紗雨を連れて、留守にしていた。
春馬は小さな妹、千華を交えて、莉華と過ごしていたらしい。
普通に遊んでいたところに、その女は―俺が信頼して、任せた女は来たと。
使用人頭は、怯える莉華をとある場所に連れていったらしい。
そこは、女どもと御前に仕組まれたお茶会で。
断れるはずもない。
俺の妻という名目で、この家にいた莉華に。
『ダメだよっ、莉華義姉……』
『大丈夫』
その時の笑顔は、とても儚かったらしい。
止められなかった、と、嗚咽する弟を抱きしめて、
『こんなことぐらいで……』
ブツブツと小言を言っている、御前の当主をどうしてやろうかと思った時。
『―ねぇ、貴ちゃん』
『ん?』
親しげに、倉津医師の名前を呼んだ、久貴くんは。
『あのさ、別室の彼女のことを―……』
『ああ』
『見てきてくれない?結構、やばかったからさ』
『わかった』
倉津医師は頷くと、その部屋から出ていく。
そして、それの入れ違いになるように入ってきた、妙にはだけた服を着ているケバい女。
『あの女の人が……莉華義姉を……っ』
何かを、言ったらしい。
謝り続ける弟がいじらしく、そして、余計に腹が立つ。
女が関わっているなら、尚更。