イーゼルの前に座り、前方に置いたリンゴとスケッチブックとの視線が90度になるように高さ設定も、なぎさ先輩に教えてもらった。


「リンゴの全体、見えてる?」

描きはじめる前に、先輩が私と同じ目線になって確認してくれた。


「見えてます!」

「じゃあ、今日はこの3Bの鉛筆ね」


手渡されたのは小学生の時によく使っていたメーカーの鉛筆だけど、芯が細くて長く尖っている。


「鉛筆の濃さとか、カッターナイフで芯を削るやり方とかも、あとで教えてあげる」

「ありがとうございます」

 
先輩から受け取った鉛筆が魔法のステッキのように思えて、これなら本当に絵が上達しそうな気がしてきた。


「ちょっと芦沢くん」

描く気満々な私とは違い、いまだに天音くんはイーゼルも用意しないで座っている。そんな天音くんを笹森先輩が見かねて注意していた。


「私の話、聞いてたよね?今日はこのスケッチブックを使ってリンゴを描くのよ」

先生が来ない分、こういう役目も笹森先輩がしないといけないらしい。

……大変だろうな。私もなるべく迷惑かけないようにしなきゃ。


「絵って強制されて描くものなんですか?」

なのに、天音くんは口答え。


「僕は好きなものしか描きたくないです」

「好きなものをより上達させるためのデッサンなの。人物画も風景画も全体を見渡す能力が大切だから、こういう初歩的なことを怠るとあとで大変……」

「僕が描きたいのは人物画でも風景画でもないので」


不穏な空気が美術室に流れる。すると、ガタッと勢いよく椅子を引く音がして、天音くんに近づいたのは松本先輩だった。