私は自分の生まれた場所を知らない。
 物心ついたときには母と二人、この街にいた。
 父は私が生まれる前に死んだという。何故なのかは知らない。
 自分が私生児だということに気づいたのは、確か中学に上がったばかりの頃だった。
 うすうすそんな気はしていたが、私が父のことを聞くと母は決まって悲しそうな顔をして口を噤んだ。
 だから私も父についてそれ以上は聞かなかった。母の言う通り死んだのかもしれないし、ほんとうはどこかで生きているのかもしれない。

 母の故郷についても、祖父母の話も聞いたことがない。
 私は自分のルーツというものをまったく知らない。それはまるで土台のない場所に立っているようで私を不安にさせる。
 私の悲しみのルーツがそのことにあるのか、自分でもよくわからない。
 
 いちばん古い記憶を呼び覚ますと浮かんでくるのは、柔らかな雨に包まれて彩りを増した木々の香り。
 
 雨は私の愛する人を連れてくる。
 
 母は窓の外の濡れた木々を眺めては、よくそう呟いていた。