踊り子には毎年、可憐で学業に富んだ才色兼備の少女が選ばれている。

菜摘は確かに才色兼備と言えるけれど、少女と云うよりは女性に近い。舞台に立つには、女らし過ぎる。

「ねぇ秋、'陰'って知ってる?」

コーンフレークが入ったお皿を脇に避け、身を乗り出すようにして菜摘は話す。先ほどまで重たそうだった瞼を持ち上げ、大きな瞳を輝かせて、内緒話をするように声を潜めながら。

「陰?」

知らないわ、と首を振り、菜摘の口元に耳を寄せる。

「そう、陰。昨日香から聞いたんだけどね、踊り子が天使様を裏切らないように、陰は踊り子に選ばれた子の事を、降臨祭が終わるまでの間ずっと監視するんですって。陰も同じように、三学年の中から一人、選ばれているみたいよ」

噂話をする菜摘の瞳は輝き、私はその瞳に微笑みかけながら口を開く。

「まさか。そんな話しは聞いた事ないわよ?それに今まで、踊り子に選ばれた子はすぐに知れ渡るけれど、陰に誰かが選ばれたなんて、一度も聞いた事がないわ」

コップに水を注ぎながら、笑みを浮かべて菜摘にだけ聞こえるだろう声で囁く。

最も、降臨祭の話題で賑わう食堂の中で、人の話題を聞いている人がどれだけいるかはわからないけれど。

ばかね、とニヤリと口元に笑みを浮かべて言いながら、菜摘は言葉を紡ぐ。

「だから陰なんじゃない。誰にも、踊り子にも気付かれないように監視をするのよ。そして踊り子が天使様を裏切った時に、陰は天罰を下すの」


――でもね、秋。気をつけて。

ふいに、母の強い口調を思い出して、鳥肌が立った。

『でもね、秋。気をつけて。
天使を裏切ると天罰が下るのよ。嵐が起きて、それが収まる朝、手も足も何もかも、空に返さなければならないの』


強い風が、食堂の窓を叩いた。

空は青く、晴れているのに。