「天内君、僕と子どもを作ろう。今すぐにでも」


「……またその話?」


 あたしは薄目になりながら、隣に座っている門川君をジトーッと見つめた。


 門川君はそんなあたしの冷たい視線にまったく怯む様子も見せず、これ以上ないくらい真面目な顔してあたしを見返している。


 門川君と絹糸が異界からしま子を連れ帰ってきてから、もう二ヶ月くらい過ぎた。


 あの頃はまだ、夏の名残りと秋の気配がせめぎ合っていたけれど、今こうして門川君の私室から眺める庭園はもう秋の終盤。


 ふたり並んで縁側に腰掛け、よく晴れた青空から拭きつけてくる肌寒い風に身をさらしながら、あたしは門川君にハッキリ答えた。


「お断りします」


「なぜだ!?」


 責めるような口調で聞き返してくる彼に、あたしはハーッと大きなため息をつく。


「だって前にも話し合ったじゃん。そういうのは、お互いの機が熟してからにしようねって」


「だから、今がその時期だろう!」


 門川君がさらに声を張り上げて、縁側を掌でパーンと叩いた。


「僕と君が正式に結婚する方法は、もうこれしかないんだ!」
 あたしは、まるで深呼吸みたいな大きなため息を連続でついた。


 門川君が言ってるのは、上層部の人たちとの話し合いの結果のことだと思う。


 非公式の話し合いだけど、あたしと門川君の結婚のことについて、ついに本格的に偉い人たちと真面目に話し合ったんだ。


 で、結果から説明すると……


 あたしは、門川君の正妻には、なれない。


 ということに決定してしまった。
 その理由は、しま子だ。


 しま子の現状は相変わらずで、異形の世界から強引に連れ帰った状態のまま。


 鬼神の力を封じる術陣の中からは、まだまだ怖くて一歩も動かせないんだ。


 いつ訪ねていっても、背中を丸めて道場の床に座り込み、無言でこっちをジーッと睨んでいる。


 大きなひとつ目は、まるで野生動物みたいにギラギラ光っていて警戒の色が濃い。


 でもだいぶマシになったんだよ。最初の頃なんて、やたらめったら騒ぐし暴れるし!


 今でも騒ぐことは騒ぐんだけど、『狂ったゴジラ』から『乱暴なティラノサウルス』くらいには、どうにかテンションが落ち着いてきてる。
 で、門川君が『しま子をこのまま道場内に住まわせる』って周囲に宣言したとき、神の一族たちは大騒ぎになった。


 だって調伏しているならまだしも、しま子は鬼神のまま。


 当然のごとく大反対の嵐が巻き起こって、『しま子を異界へ送り返せ』運動にまで発展しちゃったの。


 本当に大騒動だったんだよ。まるでデモ隊みたいだったんだから。


 でもどんなに周囲から反対されようが、非難されようが門川君は頑として意思を曲げない。


 それで、困り果てた門川上層部が交換条件を持ちかけてきたんだ。


『天内の娘を正妻にしないと約束してくださるのなら、赤鬼のことは黙認いたしましょう』って。


 いやー、話を持ち掛けられたときは、『そうきたか!』って思ったね。


 嫁取りに関して、ぜんぜん自分たちの思い通りにならない門川君に手こずっていた上層部にとって、これは絶好のチャンスだ。


 あたしを取るか、しま子を取るか。


 こんな効果的な交換条件はないよ。だってしま子を選べば、門川君はあたしを失う。


 でも逆にあたしを選んでしま子を見捨てれば、彼はあたしからの信頼と愛情を失う。


 どっちに転んでも門川君は、あたしと結婚できないってわけだ。


 さすがタヌキじじいの集団だよ。老獪だよねぇ。


『亀の甲より年の劫』っていうけど、あの連中も、ムダに顔のシワが多いわけじゃないんだね。


 で、答えに困窮している門川君に変わって、あたしがその場で即答したの。


 それでオッケーですって。
「天内君、なぜあんなことを言ったのだ?」


「なぜって、それでオッケーだと思ったからだよ」


 あっさりそう答えるあたしに、門川君は少々恨みがましそうだ。


「だから、なぜオッケーだなどと思ったんだい? まさか君は僕と正式な夫婦になりたくないのか?」


 そんなピントのずれたことを言う門川君に、あたしは笑いながら答えた。


「なに言ってんの。なりたくないわけないじゃん」


「ならば、今すぐ子どもを作ろう! 君が門川の第一子を身ごもれば、また状況は変わってくる!」


「やだ」


「だから、なぜ嫌がるんだ!? 僕には君を幸せにする義務があるんだよ!」


「義務感なんかで幸せにしてほしくないでーす。それに、人は義務感じゃ幸せにはなれませーん」


 ウッと言葉に詰まった門川君は、そのまましばらく沈黙した。


「……君は時々、妙に核心を突いた発言をするな」


 そして、しんみりとした声で言う。


「それでも僕は、君と正式に結婚したい。君を『妻』と呼びたいと心から願っている」
 その実感のこもった言葉に、胸がキュンと切なくなる。


 うん。ありがと、門川君。


 門川君はあたしが現世と縁を切ったことを、いまだに自分の責任だと思ってるんだよね。


 それにたぶん、彼のお母さんのことを思い出しているんじゃないかな?


 門川君のお母さんの淡雪さんは、正妻じゃなくて、愛人の立場だった。


 そのせいで散々苦労したあげく、命を落としてしまった。


 あたしも淡雪さんと同じ運命を辿るんじゃないかと、心配でたまらないんだろう。


 だから、なんとしてもあたしと結婚して、少しでもあたしの立場を安定させたい思ってくれてるんだ。


 門川君の気持ちは、とっても嬉しい。


 でもね、だからこそあたしは安心して、門川君の正妻という立場よりもしま子を選べたの。


「ねえ、門川君。正式に結婚できなくてもさ、門川君はあたしのことが好き?」


「ああ。もちろん」


「正式な奥さんじゃなくても、あたしのこと守ってくれる?」


「当たり前だろう。なにがあっても守ると誓うよ」


「一生、あたしと一緒にいてくれる?」


「一生どころか永遠に一緒だ。たとえ“死”をもってしても、僕たちを引き離すことはできない」


「門川君……」


 彼の嬉しい言葉に胸の奥がキューンと痺れる。


 熱い視線を送るあたしに、門川君は、すごく真面目な顔して言葉を続けた。


「年を取って、もしも僕が君より先に死んだら、魂になって君を監視し続けるつもりだ」


 監視って……。


 それちょっと方向性が間違ってません?


「……あたしが先に死んだらどーすんのよ?」


「君の魂を呪術で拘束して、決してあの世に行かせないから大丈夫だ。絶対に僕は君を手放さないから安心したまえ」