高巳に渡されたタオルで手についた血を軽く拭った弘翔。
無表情で無感情、ゾクリと身体が震える。
私が見ていたのは弘翔の一面に過ぎなかったんだ。極道としての弘翔を目の当たりにして改めて弘翔の生きる世界を実感する。
だけど、こんな惨状を見て、弘翔の極道としての顔を見て、狂気を見て、私の為に理性を切った男を見て、不覚にも…少しだけ嬉しいと思ってしまった。
ずっと誰かにこんな風に全身全霊で愛されたかったんだ。
この光景を見てこんなことを思ってしまう私はどこかおかしいのかもしれない。だけど仕方ない。惚れた男が極道の男だったんだから。
手を拭った弘翔はそのまま何も言わずに広間を出て行ってしまった。
上座に視線を移せば、扇子で煽いでいる柊さん。目が合うと何故かウインクされた。
そして…無言で険しい表情を浮かべて腰を上げた昌さんと聖弥さん。
上座から私が立ち尽くす入口までゆっくりと歩いて来て…あろうことか、手をついて頭を下げた。
「えっ…!?ちょっと…やめて下さいよ…」
「すまなかった美紅ちゃん。館山の非は全て、秋庭の長である私の責任だ」
「うちの傘下の無礼は詫びる、申し訳ない」
深々と頭を下げられて私は一人でパニック状態だ。
こんな大勢の前で、この中で頂点に立つ二人が私のような小娘の為に頭を下げていていいのだろうか。
「あ、あの…聖弥さん、昌さん」
冷静に考えれば、こんな場所で下の名前を呼ぶことすら恐れ多い。
「顔上げてください…」
震える声を振り絞って言えば、ゆっくりと二人は顔を上げてくれた。
だけどその目は弘翔に劣らず殺気を孕んでいて、本気で怒っているのがわかってしまう。
弘翔とは違う圧力、後ずさりしそうになるのを必死で堪えた。
「館山。うちの若頭が十分やったからこれ以上は貴様を締め上げる気はない。
だが…傘下への降格、並びに今後会合への参加及び秋庭本家へ足を踏み入れることを一切禁止にする」
そして、
一拍空いて、昌さんが誰も気がつかない程度の視線を蓮さんに送った。
その視線に気づいたのは蓮さんだけじゃなかったようで...
何故か、上座の柊さんが満足そうに口角を上げたのが私の視界に映る。
「貴様の娘は諮問部屋にかける」
「ッッ、親父…。それだけは勘弁を…。
あんな奴でも大事な娘なんです…どうか…」
「…美紅ちゃんは私にとって娘も同然の子だ。今ここで貴様も貴様の娘も殺してやりたいのを、組長としての理性で抑えているんだ。言っている意味、わかるな?」
「し、しかし…」
「破門にされたいのか?」
「ッッ、」
弘翔にやられて顔の至る所から血を垂れ流している男は苦しそうに懇願するも、昌さんは冷たい視線と言葉で一蹴した。
聖弥さんはというと…床に額をつけている組長二人の胸倉を掴み上げ、
「俺の嫁にくだらない事をしてくれた時は楓に言われて目を瞑ってやったが…公の場で春名の顔に泥を塗るとはいい度胸だ」
一人ずつ殴り飛ばした。
意識を失って倒れていた組長も同様に胸倉を掴み無理やり立たせると、間髪入れず殴り上げた。
「か、頭…」
「申し訳ありませんでした…」
「この世界にいる以上、法や倫理について偉そうに何かを言うつもりはない」
それでも、
「俺たちは極道であって、外道ではない」
失せろ。
聖弥さんの言葉が何を意味するのか私には分からなかったけど、二人の組長の顔から完全に血の気が引いた。