翌日。朝起きて、戸波さんの部屋にイヤリングを片方忘れたことに気が付いた。
知らないふりしようか迷ったけれど、万が一戸波さんが間違って持って帰ってしまって、奥さんがみたらとんでもないことになる。
これからどうなるかも知ったことじゃないというのに、初っ端から疑念の芽を放置するなんてあってはならない。
仕方なく電話をした。
おはようございます、
おはよ。どした?
戸波さんの部屋にイヤリング忘れました。
テレビの横に。
片っぽしかないよ?
片っぽだけです。もう片方はポケット入れたんで。
あはは、何それ。分かった、持ってくわー。
ありがとうございます。お願いします、それだけです。ほんなら失礼致します。
それだけの通話やのに、顔が熱くなった。
朝の電話もいいものだ。
おはよ、とかいわれるだけで胸がぎゅっとする。
わざと置いていったなんて思わんやろか。
さすがにないかな。メリットないし。
無くもないか。また話が出来る。
朝お話できるチャンスと言えばチャンスやった。
そんなことを考えながら身支度をすませ、下に降りた。
戸波さんがいて、わたしを見るなりにっこりした。ティッシュに包まれたイヤリングらしきものを渡そうとしてきた。
隣には支店長、営業グループの上司。
もうばか、怪しいでしょ。
むっとした顔を作って首を振り、
口パクであとで!と訴えた。
戸波さんはちょっとだけ頬を膨らまして、
ぷいとそっぽを向くと、少し離れたソファーに座りに行った。
しばらくしてからわたしも行って、スマホを触る戸波さんの眼前に掌を突き出した。
なんやねんもう。むちゃすぐやん。
ごちゃごちゃ言いながらイヤリングを渡してくれる。
あえてティッシュに包むからだめなんですよ、怪しいじゃないですか。。
折角持ってきたったのに、何その言い方ー。
はいはい、ありがとうございます。
あまり二人で話すのもまずいと思い、それだけ話した後ほかの先輩に近寄っていった。
会場までのタクシーの列でも極めて近寄らないようにして、接近しないようにしたし
会場内での支店ごとの待機スペースでも、頑張って戸波さんの方を見ないようにして、大分離れたところに座った。
見ないように、と思っていても
ほかの先輩が戸波さんと気軽に話しているのが羨ましくて羨ましくてならなかった。
戸波さんに聞きたいことしかなかった。
チャンスさえあればあれこれめんどくさい質問を投げかけようと、頭は常に昨晩のことでぐるぐるしていた。
朝礼が終わって、わたしは途方に暮れた。
今日午前中に来るはずやったお客さんが、早くても昼過ぎにしか来ないという情報を得たからだ。
また暇なんか、そう思ってぐるぐるしていたら戸波さんがラッキーなことに暇そうやった。
あれ?お客さんは来ないんですか?
なんか連絡ないねん。昼くらいになるーとは言うてんけど。まあ、とりあえず午前中暇やわ。双海は?
同じ感じです。早くて昼過ぎしか行けませんて連絡あって。
やったら一緒にブラブラしよか。
いいんですか、やった。
また戸波さんとブラブラした。
戸波さんは顔も広いし物知りやから、一緒におると色々教えてもらえる。いろんな人に紹介もしてもらえて、1石3鳥くらいのメリットがある。
戸波さんにトレンディやMJで仕入れた話をするのも楽しかった。
わたしは無知やから、戸波さんのような人に面白がって聞いてもらえるような話は何一つないはずやのに、戸波さんはずっと表情をくるくるしながら聞いてくれはった。
少しブラブラして、休憩して、お茶を飲み、雑談をしては色んな妄念にわたしは苦しめられた。
どんなつもりで一緒にいるの?
どう考えてるん?昨日のこと。
わたしは忘れらんないよ。
赤の他人になれ、過ちを犯すとこやったとあなたがいうならわたしはもう見なかったことにするけど。
そういう言葉が口をつきそうになっては慌ててやめ、
それらの言葉の重さに一人で苦しんだ。
戸波さんと目が合う度にイライラしたり悲しくなったりした。
なんでそんな平然としていられるの?
大人なんやから当然?
ああもうそんな目でこっち見ないで。
イヤリングやっぱかわええなとか言わないで。
そんな感じのもどかしい時間が昼過ぎまで続いた。
なにかおしゃべりしてよー。俺もうだいぶ飽きてるからさ、と言われて最後のあたりは雑談しかしていなかったけど、気が気ではなかった。
全然余裕なんてなかった。
そんなこんなでいるうちに、戸波さんのお客さんがきた。