その日家に帰ると、久しぶりに玄関にはお母さんの靴しかなかった。
23センチの、ヒールがない茶色のローファー。
何となくため息が出る。

「ただいま」

リビングに行くとやっぱりお母さんがいた。
本を読んでいたらしいお母さんは顔を上げて

「おかえり」

とぎこちなく笑う。
それで、ちょっと「めんどうだな」と思った。

「早かったのね。今日お母さんもパートが休みになって」

「ふぅん」

「折角の休みだからと思ってケーキ買ってきたの。
一緒に食べない?」

「ケーキ」の言葉に飛びついて、私は頷く。
一緒に飲む紅茶は私が淹れた。
お母さんはティーパックでいいと言うけれど、この前みどりさんに紅茶の淹れ方を教わったのだ。
紅茶をきちんと淹れるには、時間を掛けなくてはいけない。
もらい物だけど、ちゃんと紅茶の葉っぱがあるのだ。
お母さんは、自分と私用にケーキを皿の上にのせる。
ケーキの箱には季節もののモンブランと、スタンダードな苺のショートケーキが2つ、シュークリームが1個あった。
シュークリームはケン兄用だろう。モンブランは多分お父さん用。

「佑香、前から紅茶なんて淹れられた?」

お母さんは意外と言わんばかりに私の顔を見る。

「最近覚えた」

「あら、いつの間に」

と言ってお母さんは笑う。

ケーキは近所に最近できたケーキ屋さんから買ってきたらしい。
そう言えば通学路に小さな看板が出ていたのを思い出した。
うさぎのイラストが入ったかわいい看板。
ケーキを一口食べてみる。

「おいしいね」

「ね。なかなかでしょ」

お母さんは少し得意顔になる。
それでふと力が抜けて、おとなしくケーキを味わった。

「ねえ、佑香。もしかして彼氏できた?」