一面草原が広がったこの場所では、のんびりと過ごすドラゴン達が横になっていた。
ゆっくりと近づくと、目が合い尻尾の先を振りながら手招きされた。
ノワールと顔を合わせてそのドラゴンの元へと近づいた。
『どうやら歓迎してくれたようです』
「良かった。これで拒否られたら乗れないもの」
ぺこりと一つお辞儀をすると、ドラゴンもゆっくりと体を起こした。
すると奥の建物から男性が歩いてきて、ノワールはその男性に向かって手を振った。
「久しいな、ノワール」
『ご無沙汰してます、グレイア所長』
そう言って挨拶を交わす2人を交互に見ていると、グレイア所長と呼ばれた男性が私に気づいて会釈をして来た。
「ノワール、この方は?」
『俺の依頼主です』
「ほう。また可愛らしい方をお連れして来たな」
慌てて私も口を開き、ぺこりと一つお辞儀をする。
「初めまして。えっと、咲と言います」
「サキか。私はここ、ドラゴン育成所の所長を務めているグレイアという。よろしく」
笑顔で迎え入れてくれているということに安心していると、ノワールが私の肩をぽんと叩きながら間に入るように話してきた。
『所長、そこのお嬢さんの願いでドラゴンに乗せてもらいたいんだ』
「ドラゴンにか?別に構わないが……見かけに寄らず活発なお嬢さんなんだな、サキは」
あ、まずい変な子だと思われた??
なんて考えるよりも先にノワールが私の手を引いて、ドラゴンの元へと走り出す。
『許可はいただいた事だし、早速乗り心地を体験してみましょうかっ!』
「えっちょ、ノワール!!」
急にお姫様抱っこをされたかと思いきや、そのまま宙に浮かび上がり先ほど目があったドラゴンの背にストンと乗り込む。
硬い鱗が足に当たるけど、痛くはないしむしろ冷たくて気持ちがいい。
ドラゴンも私達に対して嫌がるわけでもなく、背中を提供してくれた。
『お嬢さん』
「なに?」
『誰にどう思われようがお嬢さんは素敵な人ですから』
あ……もしやノワール、私が所長さんに変に思われたなんて考える時間を与えないようにして……?
嬉しさとありがたさを感じていると、ドラゴンはゆっくりと翼を広げた。
『しっかり捕まっててくださいね、俺ドラゴン扱うの初めてなんで』
そうだ、ノワールも初心者ってことはもしかして空の旅荒れたりしたりする??
もしかして間違った要望を言ってしまったのではないかと思うのは、もう遅いこと。
ドラゴンは嬉しそうに伸びながら、ゆっくりと宙へと体を浮かせ始めた。
ノワールが手綱をしっかりと握りしめたと同時に、ドラゴンは高度を一気に上げていく。
勇気を振り絞って下を見ればグレイアさんが私達に向かって、手を振っていた。
「ノワール!お願いだからゆっくりでーー」
『さあ!空の旅へ行っきましょー!!!』
楽しそうにそう言うノワールに私は、悲鳴を上げながら抱きつくことしかできなかった。
とっぷり日が暮れる頃には、私のふらふら度がピークを迎えていてノワールの支えなしでは立っていられなくなっていた。
乗せてくれたドラゴンもどこか心配そうに、でももう遊んでくれないの?とでも言うような目で私を見つめていた。
グレイアさんにお礼を言うのもやっとで、私はふらふらしながら宿に戻ることにした。
『だからドラゴンの操縦は難しいと言ったでしょう?』
「ノワールと互角だったわ……」
ため息をつく私に、ノワールはどこか嬉しそうな声で笑っている。
疲れたと言えば疲れたけど、初めてだらけの体験にすごく充実した日だった。
そう思うと疲れも飛んで行って、私もノワールと一緒に笑いながら歩いた。
夕焼け空に包まれていく街を眺めながら、私は何か暖かいものに包まれているような気がした。
あれだけ悲しみに溺れていた私が、今じゃたくさんの笑顔で溢れかえっている。
『明日は何をしましょうか』
「えーっと、とりあえず美味しい夕ご飯食べたい」
『はは、了解です』
明日は何をするか、それはたくさんの可能性が秘めているということ。
今までの自分だったら自分なんかできない、自分には無理だと思えばそこから避けてきたというのに。
この世界ではそれがまったくないし、それを作らせない人がいる。
ここでは私自身に嘘を付かずに、やりたいことをやりたいだけやればいい。
今はここで、自分を甘やかす時間を作ってあげよう。
まだ少しだけ、この少しだけおかしくて変わった素敵な人の隣で……。
それからというもの、私はやりたいことを見つけては挑戦をして失敗をして笑いに変える日々を送っていた。
ダンジョン攻略はできないと言われたけれど、毎日の積み重ねで一人でスライムを簡単に倒せるようにもなった。
ドラゴンもノワールの操縦でもふらふらになることもなくなったし、小さなドラゴンなら1人でも操縦できるようになるまで成長した。
街の人からも顔と名前を覚えてもらえて、すっかり街の住人に馴染んでいった。
文字の読み書きも一通りできるようになったおかげで、本も読めるようになった。
こうして私は、この世界で一人で暮らしていけるような知識と技術を身につけていった。
『お嬢さーん!今日は東の森での討伐はどうですか?ギルドの方から紹介状も貰ってきたので、色々と探査できますよ』
ノワールも私がすっかりこの世界に慣れてしまったものだから、危ないことにもほんの少しだけ許可を出すようになった。
嬉しいことなのか、少し寂しいことなのか正直微妙な所だけど、私をこの世界に馴染ませてくれたのはノワールだから文句は言えない。
「いいわ!行く!!」
揃えた冒険グッズも今じゃ必需品になっていて、私の本当のここにいる目的が分からなくなっていた。
多分この世界に来て1ヶ月ぐらいは生活してしまっている気がする。
カレンダーなんてものはこの世界にはないものだから、自分の時間の感覚だけが頼りだ。
宿の階段を駆け下りながらも、元の世界に戻らなきゃいけないという感情に包まれる。
帰りたくないのに、でも私の居場所はここじゃないと自分と自分が喧嘩している。
そんな感情を拭い捨てるようにしながら、ノワールの笑顔に抱きしめられるようにして毎日何かに取り組んでいた。
せっかくここまで楽しく生活できる場所を見つけたんだから、今はここで楽しめばいいのよ。
でも……本当にそれは正しいことなの?
拭い捨てても自問自答は繰り返されるばかりで、本当の自分の答えは未だに出せぬまま。
本当は分かってるその答えを、私は出したくないんだ。
『お嬢さん?』
はっと我に帰ると、心配そうに顔を覗くノワールの顔が目の前にあった。
慌てて笑顔を作るけれど、ノワールはそれを見逃さない。
すかさず顔を逸らさないようにと、私の頬を両手で包み込む。
『浮かない顔しているけれど、どうかしたの?』
「ちょっと眠たくて」
『……本当に?』
疑い深いノワールに笑って見せるけれど、ノワールの疑いは晴れないようでいきなりぎゅっと抱きしめられる。
「ノ、ノワール?」
『俺、お嬢さんのそんな顔見たくない』
「っ……」
そう言って優しい温もりを私に伝えてくる、あなたに私はきっと……
いや、こんな感情抱いた所で私達は結ばれるわけないんだから。
ドキドキと高鳴る心臓を抑えながら、私もノワールの背中にゆっくりと腕を回した。
でも彼を抱きしめる権利なんか私には持ってなくて、力なく腕を下へと下ろした。
そして思い切ってノワールを押しのけるようにして、笑顔を向ける。
「こんな所でやめてよ。誰かに見られたら口止め料とか言われてネタにされるわよ?」
『お嬢さん……?』
「さあ!目的の東の森まで今日はドラゴン達で飛んでいかない?本物の冒険っぽくなってきたわね!」
空元気を演じてみるけれど、ノワールは寂しそうな表情を浮かべて私の顔をじっと見ていた。
ダメよ、彼にこんな顔をさせてしまっては。
「実は……昨日夜更かししちゃって、それでなんだかぼーっとしてただけなの。心配しないで?」
『本当に?』
「本当に!」
嘘を吐いてノワールの手を引いて私が歩き出す。
あとどれぐらいノワールの隣にいれるのか分からないから、少しでも長く彼と笑って過ごしたい。
そんな私の感情が分かったのか、握った手のひらに力がこもった。
宿から出れば今日も仲良しな不思議な二人が街へと舞い降りたと次々に声をかけられながら、街の中を歩く。
ドラゴン達も今日も待っていましたというように、準備万端で気持ちの良い空の旅へと連れ出してくれる。
こうして、私の中の当たり前が少しずつズレている。
そんなズレに気持ち悪さを感じているこの自分の気持ちが、全ての答えなんだと思う。
そんな想いと風を切って辿り着いた東の森は、豊かな自然で満ち溢れた素敵な場所だった。
湖を囲むようにして大小様々な木々が鬱蒼と生い茂っては、その場所を守っていた。
条件が揃ったこの場所は、どうやら動物達の住処にもなっているらしい。
でもこんな森に厄介者のモンスターである、ゴブリンがこの地を荒らしているという近くの村からの報告があった。
今日はそのゴブリンの討伐……ということらしいが、荒らされているような目立った形跡はない。
「湖の畔の方なのかな……」
『もう少し奥に進んでみましょうか』
ノワールから離れないようにして歩いていくと、透き通った水面を波打たせながら水を蓄えている湖が現れた。
風と水の精霊達が私達の姿を見つけると、どこかへ飛んでいってしまう。
どうやら警戒されているのは、私もということらしい。
辺りを見渡しても、ゴブリンらしき姿は見つけられず諦めて休憩しようと腰を下ろしたその時だった。
どこからか地響きが聞こえ、慌てて構えるとこちらに向かって突進してくる群れ。
ノワールが魔法で跳ね返しの結界を張ると、見事に突進してきた群れが一気に崩れた。
よくよく見れば突進してきたのは猪で、それを器用に操縦していたのはお目当てのゴブリンだった。
剣を構えてノワールと息を合わせて攻撃を仕掛けると、ゴブリン達は慌てて頭を地に伏せた。
拍子抜けた私達は顔を見合わせることしかできずに、ゴブリン達に近づいた。
「命だけは!どうか!」
「……あなた達、ここら辺を荒らしていたゴブリンじゃないの?」
「滅相もございません!古くからこの地を守るゴブリン族にございます」
話しが色々と違うが、動物達もゴブリン達に従えているようでその話しは間違いではないようだ。
「近くの村があなた達が村を荒らしてるって聞いたんだけど……」
「荒らしていたわけではなく、この地を整えるべく適度に木々を間伐しておりました」
なるほど……それを見て勘違いした村の人達が報告してしまったという訳か。
倒す相手でもないし、ここは争う場所でもない。
「ノワール、こういう場合は?」
『俺からギルドに報告しておきます。ただ、ここら辺を手入れする時は結界を張っておくようにした方がお互い害がなくなる』
「なるほど。という訳でゴブリンさん、私達この森を少し探検してもいいかしら?」
「ええ!好きなだけどうぞ!」
笑顔でそう答えられ、おまけに道案内までしてもらえるという冒険とは打って変わって観光になってしまった。
湖の畔で釣りをしてみたり、森で育つ実を採ってみたり、動物達と戯れてみたりと楽しみ方は様々だった。
いつの間にか心を許してもらえた精霊達とも一緒になって踊っていた。
そんな楽しんでいる中、ノワールはひと足先にギルドに報告してくると街へと戻り一人、湖の大きな岩の上で寝転がって空を見上げる。
ゆっくりと流れる雲がまたしても心を冷静にしていく。
あー……楽しい。
でも、やっぱり私ここにずっといてはいけない気がする。
消えたいと願った私の願いの最終着点は、現実から逃げることではない。
自分を変えてみせることだ。
それが分かってる以上、ここにはもう長くいれない。
だってもう、私は今までの私にはない力を手に入れているんだから。
そっと目を閉じて風や岩を肌で感じては、自分の鼓動に耳を澄ませる。
生きている以上、困難なことや悲しいことに立ち向かうことは避けては通れない。
でもその壁があるからこそ、人は成長していけるんだ。
「変わったなあ……私」
なんだか少しだけ大人になったようなそんな気分に、一人小さく笑う。
『本当に……見違えましたよ、お嬢さん』
「えっ?」
驚いて目を開けて起き上がると私の横に寄り添うノワールが、優しい瞳で私を見つめて微笑んでいた。