苦笑いを浮かべながらも、本音を吐き出すとノワールが私を抱きしめる力を強めて、あのにんまりとした笑みを浮かべた。
『何でも屋のこの俺に、出来ない事はございませんよ』
「……本当に叶う?」
『もちろん』
「じゃあ、お願い。私、あいつにギャフンと言わせたい!!」
『仰せのままに、お嬢さん。それじゃあ、とびきりの魔法かけてあげるよ』
「痛いとか、そういうのは嫌よ?」
『あはは、大丈夫。君自体が魔法の塊なんだからね』
ノワールのその答えに首を傾げると、どこか嬉しそうに肩を竦めた。
そっと吹く風にはっとして、首を横へ動かす。
いつの間にか空中へ浮かんでいるという恐怖心は消え、広がるその景色にため息を漏らした。
「綺麗……」
どこまでも続く青空の下に広がるのは、自然と共に暮らしつつも魔法が進歩した国。
赤煉瓦の建物がズラリと並ぶ奥には、大きくそびえ立つ真っ白な城が見えた。
見慣れない街は私の心を大きく揺れ動かした。
ここなら私はきっと大きく変われる。
――もう、誤魔化さなくてもいいんだ。
肩の力が抜けると共に、見返してやるという闘志を燃やしながらもう一度ノワールを見た。
「私の願いを叶えることで、あなたに利益ってあるの?」
『それは企業秘密で、何も言えないね』
そう言うノワールの表情は仮面の下で、相変わらず読めない。
謎の多い人だけど、確かな安心はちゃんとここにある。
「私に振り回されて途中で投げ出さないでね?」
『それについてはご安心を。中途半端な事が大嫌いな質でね。さあて……お嬢さん、準備はいいかい?』
私に笑いかけるノワールはどこか楽しそうに声を弾ませた。
気合いを入れてこくりと頷くと、ノワールはきゅっと私を強く抱きしめて――
そのまま猛スピードで街の空を駆け巡った。
前言撤回。
やっぱり、この人には安心という言葉は似合わない。
空中散歩の旅は、地獄のようで生きた心地がしなかった。
肩で息をしながらフラフラと歩く私を、必死に笑いを堪えて横で歩くノワールを睨んでやりたいがその元気は私にはない。
というか、奪われたと言ってもいい。
空中散歩が終わり、ノワールのお気に入りの食堂へと向かったがジェットコースターを何十分も乗った状態に近い状態で、目の前に美味しそうな物が並べられても食欲が湧いてこなかった。
デザートのプリンのような甘い味のする、りんごみたいな果物を一人ちびりちびりと頬張る中、ノワールは肉料理を堪能していた。
そのまま酔いに近い何かが収まる頃に食堂を後にして、またノワールと共にフラフラになりながらも歩く。
まったく……あの男は一体何を考えているんだか、本当に読めない。
自分が楽しみたいがだけに、私を振り回しているなら一発蹴りを入れたい所だ。
落ち着いた雰囲気のある通りの隅っこで、その雰囲気を壊すように私はノワールに変な念を込める。
『お嬢さん?』
その念が伝わったのか、どこか心配そうな声で私の顔を覗き込むノワールに一発頭突きを食らわしたが、ヘロヘロな私の攻撃はダメージ0と言ったところか。
向こうはよろけた拍子にぶつかったとでしか思っていないようだ。
「んもー……なんであんたそんなに元気なのよ……」
『慣れてるから』
ごもっともな答えに、返す言葉もない。
ため息を漏らしていると、そっと背中を摩る感覚に横を見た。
せっせと背中を摩るノワールは、どこか必死だ。
もしかしたら念が届いたのかもしれないと、小さく笑うとノワールは苦笑した。
『ちょっとやり過ぎたって反省してる。ごめん』
「だったら次はドラゴンに乗りたい」
『ドラゴンって操作するの大変なの知ってる?』
「知るわけないでしょ」
そんな街の文化ですら知らない私が、ドラゴンの扱い方など知るわけない。
ドラゴンには乗ることは出来なさそうだと残念に思いつつも、空の旅はもうしなくていいことを意味し少し気が楽になる。
そのままノワールに支えられながら、向かったのは私の世界で言う美容室。
彼のために伸ばしてきた髪はもういらないと、ノワールに伝えるとバッサリ切ってしまおうということになった。
洒落た店が並ぶのは、世界が変わっても同じなようだ。
明らか露店が並んでいた場所とは違い、建物自体がお洒落なデザインが特徴的だ。
城との距離も近いらしく、行き交う人はどこか上品さがある。
少し場違いな所に来てしまったものだと思っていると、そっとノワールが腕を差し出してきた。
何をするものかと思って怪しい目を向けると、私の手を取ってその腕に掴ませた。
『しばらくの間は俺にエスコートさせて』
そう言って、歩き出すノワールに合わせるように私の足も動き出す。
ゆったりと流れる時間の中で、徐々に私の体調も元に戻り余裕が生まれていった。
周りを見渡せば、慎ましく歩くカップルや夫婦達の姿がちらほらと見える。
……もしや、傍から見たら私とノワールもそう見られなくもない?
だから、こうやってエスコートなどと言って、私を誘導しているのだろうか。
隣に歩く私は、ノワールを引き立たせるために存在しているように思えて少し哀しくなる。
バレないように斜め上を見上げ、ノワールを見れば穏やかな表情にため息を零しそうになる。
こんな整った顔に、こんな私が隣を歩いてノワールの評価が下がってしまったらどうしよう。
そんな感情に、腕に添える手を振りほどきたくなった。
しかしそんなことをしてしまえば、逆に注目を浴びてしまうだけだ。
ぐっとその感情を抑えて、なるべく下を見て歩く。
見返したいと思うのに、こんな自信のなさでは見返すことなんて不可能に近い。
変な話だが、自分の自信のなさには誰にも負けない自信がある。
そんな自信があっても何も役にも立たないとは分かってはいるものの、人というものはなかなか変われない。
――その努力を認めてもらえなかったから、ますます自信を失くす一方だったことも知ってる。
『お嬢さん、見て』
ふいに声をかけられて、慌てて前を見つめた。
しかし何を見て欲しいのか分からず、困惑した表情を浮かべつつノワールを見た。
すると、ノワールは小さく笑って頭をポンポンと叩いてきた。
何が起こったものかとぽかんとしていると、ノワールは足を止めた。
どうしたものか、ノワールはしばらく私を見つめたまま動きを止めてしまった。
「ノ、ノワール……?」
恐る恐る声をかけるとはっとしたようにノワールは、行きましょうと声をかけ再び歩き出す。
変なノワール……って、元々この人おかしいんだった。
すると、くつくつと小さく笑い出すノワールにやっぱりおかしい奴だと確信する。
「何?私って、そんなにおかしな顔してる?」
嫌味を込めて言うと、首を横に振られる。
何を考えているか本当に分からない奴だ。
『少し嬉しくなっちゃってね。ついだよ、つい』
「私をヘロヘロにさせたのが?」
『まさか。お嬢さんみたいな綺麗な人が、俺の隣で歩いているのが嬉しかっただけ』
「へ?」
思いもよらない言葉に漏れた言葉は、あまりにも馬鹿丸出しだ。
今更口を塞いだ所で、発した言葉が消えるわけでもない。
マヌケな私に対して、またしてもノワールが笑い出す。
『お嬢さん、胸張って歩いていいよ。君は充分綺麗なんだから』
真っ直ぐなその言葉を素直に受け止められることができず、くすぐったさが全身に伝った。
この人もしかしてこうやって女の人口説くの得意なんじゃないかと、半ば疑いつつも小さくありがとうと呟いた。
恥ずかしい気持ちが強すぎて、ノワールとは反対方向を見て必死に誤魔化す。
『お嬢さん……耳真っ赤』
ふいに吐息混じりに耳元で囁かれ、小さく悲鳴を上げた。
思わずノワールの腕から手を離して耳を隠した。
「ちょ、ちょっと!そうやってからかうの止めてくれない?!私、こういうの……な、慣れてないんだから……」
強気でかかろうとしたのに、最後は力なく小声になってしまった。
調子が狂う、私こんなことで感情が高ぶるなんて。
そもそもこんな事をされたことなかったから免疫がない。
笑うノワールを睨みたくても、恥ずかしさが勝ってどこかに埋まりたい気分だ。
するとまた腕を差し出されたかと思えば、距離を詰めてきた。
『暗い顔しないで。君の笑顔が、俺の力になるんだからさ』
ね?と言いつつ首を傾げるノワールの声が、あまりにも優しくて全身を痺れさせた。