音もなく降り始めた雪を見つめながら真っ白な息を吐き、微かに上がった息を整えながら歩調を緩める。

誰もいないこの静かな道は、一人ということを余計に突きつけてくる。

泣きたくなんかないのに、堪えていた涙がじわりと滲んだ。

冷たく吹き付けてくる風のせいで、徐々に心が凍りついていくのが分かる。


いや……これは寒さのせいなんかじゃない。


飛び出して来たお陰で、身につけてきたのはコートだけ。

マフラーも手袋もない状態で、こんな真冬の空の下に飛び込んできてしまったのは、そもそもあいつのせいだ。

信じていたのに、どうしてこんな結末を毎回辿らなきゃ行けないんだろう。



「どうしたらいいのか……分かんないよ……」



ぽつりと小さく呟いても、その言葉は誰の耳にも届くことなく消えていく。

もう誰にも必要とされていないのではないかというマイナスの考えばかりが浮かんで足に力が入らなくなって、薄ら雪の積もった道路のど真ん中でしゃがみ込んだ。







見なければ良かった、でも信じていたから見てしまったのだ。

高校の時に先輩として慕っていた存在は、いつの間にかかけがえのない存在になっていた。

高校卒業後は、先輩とは別の大学へ進んで気持ちを抑えようとしたけど無理だった。

久々に会って気持ちを確認して、思いもよらないことに向こうからの告白。

めでたくゴールしたと思いきや、社会に先に飛び込んで行ったのは当然、彼だ。

忙しいながらも私達は、その愛を確かめていっていた。

彼が移動になっても、連絡を毎日取る日々で忙しい中の陽だまりのようなそんな存在だった。

付き合って二年経って、ついにプロポーズまでされたというのに。

なのに……どうして。


【今日はありがとう。美奈と同じ時間を過ごせてすごく幸せだったよ。今度また会うのが楽しみでしょうがない】


その言葉が送られたのは、私じゃない。

――どこの誰かも分からない知らない女性。

隠し事なんかしないから、彼のスマホはいつでもロックがかかっていない、だからこそ安心していた。

……その一通のメッセージが来るまでは。








【この前は家に誘ってくれてありがとう。今度はお泊まり道具持っていくね】




怒りよりも悲しみよりも……湧き上がったのは呆れだった。

彼の仕事場が変わり、当然環境が変われば出会いもある。

私も就活をこなしながら、お互い忙しい中で会う予定を決めてはいたものの、せいぜい3ヶ月に1回というペースになってしまっていた。

そんな中でも、きちんとプロポーズされていたというのに。


――彼は、私をもう見ていない。


別れてしまえば、私の精神的なフォローをしなければいけないとでも思っていたのだろうか。

喧嘩よりもタチが悪いこの現状を生み出したのは、紛れもなく向こうだというのに。

そんなもの必要ない、むしろ目障りだ。

でも、どうしてこんなにも胸が苦しいのだろう。

浮気されていたという事実が、目の前で突きつけられたというのに……それでもなぜ……


「ふざけないでよ……」


この言葉は彼に対してなのか、彼を断ち切れない自分自身への怒りなのか分からなかった。

頭が真っ白になる前に落ち着かなきゃいけないとは分かっていても、今から何をすればいいかなど考える余裕は持ち合わせていない。


泣きたい、苦しい、ごめんなさい、情けない、意味がわからない。

一気に押し寄せてくる感情の波に押しつぶされて、今はただその場でじっとしていることしかできなかった。

冷たい雪が髪にそっと降り積もり、手足の感覚が冷たいではなく痛いに変わっていく。


――いっそこのまま消えてしまえば、全て終わるのに。


そんな、馬鹿馬鹿しい考えがふと頭を過ぎる。

さっきまで押し寄せてきていた感情の波が、ピタリと止まり“消えたい”という願望だけが強く残る。

どうやって消えてやろう、どこで消えてやろう、と考える方向が完璧に斜めに上に向かっていってしまう。

どうせ必要とされていない女が消えた所で、あいつは私のことなんて何も思わない。

そう、もう私は好きに動けばいい。

彼が好きだといったロングヘアも、落ち着いた地味なマニキュアも必要ない。

ショートカットにして、ド派手の真っ赤なマニキュアで、私がお気に入りの彼が似合わないと言ったグレーのワンピースを着て消えてやる。


私はもう、必要ないんだから――


拳にぎゅっと力を入れて、堪えていたものを吐き出そうとしたその時だった。


『おやおや?これまた随分とまあ、もの変わりしたお嬢さんだ』


聞き覚えのない声が、頭の上から聞こえてくる。






力なく頭を上げると、すぐ目の前に真っ黒なコウモリのような仮面で顔を隠す男が私を見ていた。

驚くことを忘れ、その仮面の奥に秘めた綺麗なグレーの瞳を見つめた。

綺麗な白い肌に、鼻筋が通った綺麗な顔。

そんな綺麗とは似合わない、にんまりとした笑みを浮かべるとずいっと私に顔を近づけてきた。

鼻と鼻が触れるか触れないかの所で、その距離を保ちつつ男はスンと私の匂いを嗅いだ。


『悲鳴も何もあげないとは……余程のお方で。まあ、こちらとしては骨があって面白いという所だから、良しとしよう』


ふふふと笑われたかと思えば、ゆっくりと近すぎた距離を離していく。

ふわりと落ち着いた香りが鼻に残るような感覚に、一つ目を閉じた。


――ついに私、おかしくなってしまったのかな。


起こっている事が余りにも不自然で、現実味がない。

消えてしまいたいという感情が、おかしな幻覚を見せているのかもしれない。






『さてさて。お嬢さん?そんな所で縮こまっていたら、始まらない』

「これは夢か何かでしょう。それとも幻覚?妄想?」

『失礼ながら、お嬢さん。妄想や幻覚という言葉はそちらの国の医療用語だ。君は今、精神的に殺られてるかもしれないが、安心しな。そこまでじゃあ、ない』


ついに、会話してしまったと小さく笑って目を開けた。

そっと差し出されていたスラリとした手を見つめながら、恐る恐るその手に自ら触れた。

するとくいっとその手を引っ張られたかと思えば、そのまま立ち上がった。

思ったよりも男の背丈は大きい。

全身真っ黒なローブに包まれて、その顔は仮面で隠すなど、怪しさ満載だ。

それでも不思議と恐怖心もなく、なぜか安心感に似た何かがある。

こんなのおかしいと思うものの、心は正直だ。


『それでは遅くなりましたが、初めましてお嬢さん。我が名は、ノワール。ここから180度と太陽三周の方向。いざこざと赤ん坊の鳴き声の響く所からやって来た。以後お見知りおきを』


訳の分からない自己紹介をし終えると、胸に手を当て綺麗に礼をしてみせた。

どこかのサーカスか何かの道化師のようだ。

聞きなれない名前は、職業名か何かか。

指をパチリと鳴らしたかと思えば、何かが弾けるようなそんな変な音があちこちから響き渡る。