火の前に立つ事、かれこれ数十分――湯気が立ち上り、視界が揺らぐ。

「……暑い」

 目の前にある黒光りする鉄鍋(鉄鍋愛好会から拝借してきた)からは食欲を刺激される香りが漂っているが、軽い拷問を受けているような気がするのは気のせいではないだろう。

「自分で作ってくださいよ、和音さん」
「えーっ、暑いからやだよん。それより――お腹空いた、早くして。お腹空いた、早くして」

 俺が暑いのはいいんですか?

 テーブルに顎をついて扇風機を独り占めしている和音さんは「お腹空いた、早くして」と、壊れたロボットのように繰り返していた。

「はいはい……あと少しで完成ですから、ちょっと待ってください」

 カセットコンロの上にある鉄鍋を和音さんに投げつけたい衝動に駆られているが、ここはグッと我慢してお鍋作りに専念しようではないか。

 まあ、少しずつ作っているのが楽しくなっているのは秘密だが、さすがにこの時期に火の前に立っているのは自殺行為だよな。

 全身から汗が流れ出して脱水症状を起こして倒れそうだし、胸の奥にあるやり切れない怒りにも似た感情をどこにぶつければいいのか分からない。


 ……隠し味を入れるか。


 少しだけ和音さんにも楽しんでもらおうと思い、俺は手近にあった赤い調味料が入った小瓶を手に取って一人笑みをこぼしていた。

 別に和音さんをどうこうしようとは微塵も思ってないが、少しくらい面白いハプニングがあった方が俺の気持ちもスッキリするので。